10:

「で、どこに向かうのよ?」

 ロゼが隣を見ると、ルタはいつの間にかフードを目深に被っていた。

 ルタは顔が割れているが、ロゼのことを知っている人はほとんどいない。しかし、念のためにフードを被ろうとしたが、ロゼの服にはフードがなかった。

「……」

 なんだか恥ずかしくなったロゼは、空を見上げた。

 天気は快晴だった。日暮れにはまだ時間がある。

 どちらかというと、少し暑さを感じるが、風が吹いているので、総合的にはちょうどいいくらいの気温だった。

「どうにかして、お金を手に入れなくちゃね」

「で、どこに向かうの?」

「お金がなければ何もできない。ああ、僕は無力だ……」

 ルタは手で顔を覆って、絶望したような演技をしてみせた。

「あたしの質問に答えなさい」

「孤児院に行ってみようかなって思ってる」

「孤児院?」

 ルタは孤児だった。

 両親はルタを現世に残して、死者の国へと旅立った。死因は知らないが、どうやら殺されたらしい。

 誰に殺されたのか?

 どのように殺されたのか?

 なぜ殺されたのか?

 どれも知らない。

 ルタが知っているのは『両親が何者かによって殺された』という事実のみだ。両親が殺されたのは随分と昔だったので、二人のことはあまり覚えていない。

 両親は自分のことを可愛がってくれなかった記憶がある。なぜかはわからない。二人の愛は主に姉に注がれていた。

 姉のこともあまり覚えていない。

 姉は端正な顔立ちをしていたはずだが、ルタが彼女の顔を思い出そうとすると、靄がかかったようにぼやけてしまう。

 姉が両親の死後どこに行ったのかはわからない。もしかしたら、既に死んでいるのかもしれないし、案外近くにいるのかもしれない。

 どうでもいいといえば、どうでもいい。

 姉との思い出はほとんどないので、執着する気も起きない。まったく気にならないと言えば嘘になるが。

 ほんの少しくらいは気になっていたりする。

 ルタはロゼの横顔を見た。

(いや、お姉ちゃんはロゼよりも年上だったかな……)

 さすがにロゼやリアが姉ということはありえないだろう。

 馬鹿げた妄想に自嘲的な笑みを漏らす。

 両親の死後、ルタはとある孤児院に引き取られた。ルタがロゼやリアと出会ったのは、その後のことだった。

「あー……」

 ロゼは過去の記憶を呼び起こした。

「そういえば、あんた孤児院出身だったわね」

「うん」

「なんて名前だったっけ?」

「うん? 何が?」

 ふざけたことを言うルタに、ロゼは呆れた顔をする。

「何がって孤児院の名前に決まってるじゃない」

「キラッサ孤児院」

 そう答えたルタの顔は、少し引きつっていた。

「あー、そんな名前だったわね」

 ロゼは思い出したのか、うんうんと頷く。どうやら、ルタの些細な表情の変化には、気づいていないようだ。

「で、そこの院長から金を恵んでもらおうってわけね?」

「うん」

「くれそうなの、金?」

「うーん……どうだろ?」

 ルタは首を傾げ考えてみるが、わからなかった。

「もう随分、あそこに行ってないからなー……」

「もしかして、孤児院を出てってから一回も帰ってないの?」

 ロゼは意外そうな、不思議そうな顔で尋ねた。

「そうだね」

「出てってから何年くらい経つの?」

「えっとね……三年くらいかなあ……?」

 一〇歳のとき、ルタはキラッサ孤児院を出た。

 当初は寮で暮らしていたが、賢者になってからは国から与えられた家で、一人で生活していた。

「ふうん。三年、ねえ……」

 ロゼはしみじみと呟いた。

「三年って長いわよね。とくに子供にとっての三年って、とても大きいと思うの。背がぐぐって伸びるし、中身だって少しは大人らしくなる。でしょ?」

「確かに背は三年で二〇センチ近く伸びたかな……。中身は……どうだろう? 変わったかな? 自分じゃよくわからないな」

「三年で二〇センチ、か……」

 そう呟くと、ロゼは立ち止まり、ルタの頭の上に手を置いた。手を水平に移動させると、ロゼの目のあたりに当たった。

「伸びたわね。昔はもっと差があったのに……」

 ロゼは嬉しそうにも寂しそうにも見える、複雑な表情を浮かべた。

「あんた今、何センチ?」

「一四九、かな」

「あたし、一六〇」

「ふうん。一一センチ差かー……」

「まだまだちっちゃいわね」

 ルタの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でると、ロゼは再び歩き出した。その後をルタは追いかける。

「今は成長期だから、きっとそのうちロゼの身長を追い越すと思うよ」

「でっかいルタって、想像つかないわ。ルタってずっとちっちゃいイメージだから……」

 そんなことを言いながらも、ロゼは大人になった長身のルタの姿を想像してみた。しかし、うまく想像できないうえ、恥ずかしくなったので、すぐに脳内から消し去った。

 ぶんぶんと首を振るロゼを見て、ルタはくすりと笑った。

「未来の僕を想像してたの?」

「まあ、ね……」

 ロゼは頬を触りながら、こくりと頷いた。

「どうだった?」

「やっぱ想像できない」

「僕も想像できない」

 二人はくすくすと笑った。

「だよね。未来の姿なんて想像できないわよね」

「五年後、十年後……。生きてる保証なんてどこにもないからね」

 しんみりとした口調でそんなことを言ったルタを、ロゼは不可思議な生物を観察するかのようにじっと見た。

「え、なに?」

 ルタは困惑した。

「あんたって楽観的なのか悲観的なのかよくわからないわね。つかみどころがないっていうか……」

「そう、かな……?」

「うん」

「でも、僕だってロゼのこと、よくわからないよ?」

「あたしなんて、ルタの一〇〇倍くらい単純でわかりやすい人間よ」

 その言葉に、ルタは苦笑した。

(自覚あったんだ……)

 確かにロゼは単純でわかりやすい人間だ。

 しかしそれでも、ロゼのことがよくわからない。

 人間の心や本質といったものを十全に理解することがルタにはできない。

(いや、それは僕だけじゃない。誰にだってできないはずだ……)

 ルタはそう考えるが、実際のところはわからない。

 他者のことを完全に理解することができる人間だっているのかもしれない。しかし、ルタはそこにはカテゴライズされない。

「それでも、僕はロゼのこと全部はわからないな」

 ルタの言葉を聞き、ロゼはおかしそうに笑った。

「そんなの当たり前じゃん。他人のことを全部理解できるわけないじゃない。自分のことだって一〇〇パーセント理解できてるわけじゃないんだから」

「自分じゃ見えない、他人からじゃないと見えないこともあるよね」

「そう、盲点ってやつね」

「ロゼには見えているのかな?」

「そりゃまあ、色々と見えるわよ。ルタはどう?」

「うーん、どうだろ……」

 ルタは曖昧に首を傾げた。

 ガラガラガラガラ……。

 舗装された道を馬車が駆けていく。

 キラッサ孤児院まで馬車に乗って行きたかったが、残念ながら二人分の料金を払えるほど手持ちは多くない。

「馬車……」

 ルタは遠ざかる馬車に手を伸ばした。

「馬車になんて乗らなくても行ける距離なんでしょ?」

「まあ、ね……」

「じゃ、頑張りましょ」

「うん……」

 体力にはあまり自信がないルタだった。

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