9:
賢者ライリスが殺された――。
その知らせはすぐに賢者の間に知れ渡った。
このことを知っているのは、まだごく一部の人間だけだ。具体的に言うと、賢者と賢者候補生、その他フィロマギアの上層部くらいだった。
国民はまだこのことを知らない。
いずれ知ることになる――というよりも発表することになる――が、犯人が誰かすらわかっていないので、情報規制を敷いている。
いや、犯人はわかっている。
否、正確に言うと、犯人と思わしき人物はわかっている。
犯人と思わしき人物、と形容したのは、彼がライリスを殺した犯人だという決定的な証拠がないからだ。
賢者の塔の一室。
賢者たちが集まって、犯人と思わしき人物について話し合っていた。
「ライリス殿を殺したのは、追放賢者となったルタで決まりかな……」
「賢者ライリスの胸には、ルタの所持しているナイフが突き刺さっていたからな」
「賢者の塔から逃げ去るルタを見た者も何人かいるらしい」
「ああ、そういえば賢者パトックもそのようなことを言っていたか」
「なぜパトックはルタを追わなかったんだ?」
「確かに。奴が嘘を言っている可能性もあるな」
「パトック殿はルタを死刑にしたがっていたからな。ルタを犯人に仕立てようと嘘をついた可能性は、十分にありますな」
「パトックじゃルタには勝てないだろうから、追わなかったのでは?」
「戦闘能力ならパトックもなかなかのものでは?」
「いや、ルタには敵わないだろう」
「それほどまでにルタは強いのですか?」
「ああ。私はルタの魔法戦闘を見たことがあるが、とてつもなかったな」
「ほほう、それほどですか」
「賢者ライリスと比べたらどうなんだ?」
「さすがに歴代最強と言われたライリス殿には敵わないでしょう」
「いや、賢者ライリスをも凌ぐ強さだとか」
「それはないと思いますけどねえ……」
「まあ、いずれにせよ、パトックではルタには勝てないでしょう」
「そうだろうか?」
「話を戻すが、賢者ライリスは本当にルタに殺されたのか?」
「一番怪しいのは、やはりルタでしょうな」
「状況からして、そうとしか考えられないが」
「ルタが殺したと断じるのは、早計なのでは?」
「うむ、確かに。賢者ライリスのことをあれほど慕っていたルタがあんなことをするとは思えない」
「国外追放処分を言い渡されて逆恨みした、とか?」
「そんな……子供じゃあるまいし」
「ルタは子供だぞ」
「そうだった。失念していたな」
「禁忌こそ犯したが、ルタは馬鹿じゃない。自分の物とすぐにわかるようなナイフで賢者ライリスを殺し、あまつさえそれを置いていくとは到底思えない」
「確かに。あからさますぎて、逆に怪しいな」
「だとすると、一体誰が賢者ライリスを殺したんだ?」
「ライラ、君はどう思うかね?」
賢者たちの視線が、部屋の片隅で腕を組んでいる若い女に向けられた。二〇歳前後のグラマラスな美人だ。表情が硬く、俯き加減だった。
ライラは賢者ではなく、賢者候補生だった。ゆえに、この場にいる賢者たちよりもはるかに若い。
そんな彼女がなぜこの場にいるかというと――。
「ライリス殿の孫であるお主にはどう見える?」
そう、ライラは賢者ライリスの孫だった。
ライラは深く尊敬する祖父が殺されたことに、大きなショックを受けていた。泣きたい気分だったが、人前で泣くのは嫌だったので、ぐっと堪えていた。
ライラが答えずにいると、もっと具体的に尋ねてくる。
「ルタが殺したと思うか?」
「いえ、私は祖父を殺したのはルタではないと思っています」
「ほう。なぜそう思う?」
「確たる証拠はありませんが……」
そう前置きして、
「ルタは祖父のことを慕っていましたし、それにあんなことをするような子ではありませんから」
「ふむ。そういえばお主は、ルタと知り合いだったな」
「私にとって彼は弟みたいなものです」
「ルタが犯人じゃないと言うのなら、誰が犯人だと思う?」
別の賢者が尋ねた。
「さあ……それはわかりません」
ライラは無理矢理微笑んで見せた。
「ただ……」
「ただ?」
「いえ、なんでもありません」
言いかけた言葉を撤回すると、ライラは立ち上がった。
「すみません。疲れたので、私はこれで失礼します」
「ああ、ゆっくりと休みなさい」
ゆっくりと優雅に一礼すると、ライラは部屋を出て行った。
◇
ライラが廊下を歩いていると、前方から少年が一人やってきた。
(たしかあの子は……賢者パトックの腰巾着野郎でしたか……)
年齢は一〇代半ば――多分、魔法学院の学生だろう。名前は知らない。
パトックに付き従っているところを、何度か見かけたことがある。弟子――というよりも、雑用係あるいは荷物係と言った方が正しいだろう。
ライラと目が合うと、少年は露骨に目を逸らし俯いた。
歩く二人の距離は段々縮まり、やがてゼロになった。
ライラはすれ違いざまに、少年の手首を掴んだ。
引き止められるとは思っていなかったのだろう。少年は体をびくりと震わせ、ゆっくりと振り向いた。驚いたような、焦ったような顔をしている。
「あ、あのっ……何でしょうか?」
「あなた、賢者パトックといつも一緒にいますよね?」
ライラは微笑みながら尋ねた。自分では天使のような微笑みだと思っているが、少年は悪魔のようだと思っていた。
「いつもではないですけど……」
「お弟子さんとかだったりするんですか?」
「いえ、僕はその……弟子なんて大層なものじゃなくって……」
ごにょごにょと語尾を濁す少年に、ライラはほんの少しだけ苛立った。
(もっとはっきりと喋ってほしいですね、愚図が)
軽く舌打ちをすると、ライラは質問を続けた。
「あなた、私のこと知ってますか?」
「えっと……ライラさん、ですよね? 賢者候補生の」
「ええ」
見るからに無能そうな少年でも、さすがにライラのことは知っているようだ。
ライラの世間的な知名度は、賢者ほどではないが、それなりに高い。それは彼女が賢者候補生だからというのもあるが、やはりライリスの孫であることが大きい。しかし、彼女はそのことを気にしてなかった。
孫の自分までもが注目される――。
それほどまでにライリスは偉大な賢者で、フィロマギア国民から尊敬されている。
その事実は、ライラにとってとても誇らしいことだった。
祖父に自分が賢者の称号を与えられるところを見てほしかった。あと数年で、その夢は叶うはずだった。
しかし、ライリスは死んだ。
何者かによって殺された。
ライラは自らの手で祖父を殺した人物を突き止めたかった。突き止めてその後どうするかは考えていない。それはそのときになってから考えればいいだろう。
「私の祖父が誰か知っていますか?」
「賢者ライリス、ですよね?」
「ええ」
ライラは頷いた。
「お爺様が殺されたことはご存知?」
「ええ、はい」
「犯人が誰かも?」
「ええ。賢者――いや、追放賢者ルタ、ですよね?」
「賢者パトックがルタく――ルタが賢者の塔から逃げ去るのを目撃しただとか」
「はい、僕も見ました」
「ああ……そうでしたね」
賢者の塔から逃げ去るルタを目撃した、という証言をした人は複数いた。
複数名が同様のことを言っているので信憑性があるように思えるが、証言をした人は全員パトックと関わりがあった。
ゆえに――。
(怪しいですね……)
そう思ったので、ライラはこの気弱な少年を追及してみることにした。
「本当に?」
「……えっ?」
「本当に見たのですか? ルタが逃げ去るところを」
「……ぼ、僕が嘘をついてる、と?」
「あなた――というよりも、あなたたち全員が嘘をついているのではありませんか?」
「な、何のためにっ、ですかっ?」
少年は見るからに挙動不審だった。
「ルタを、お爺様を殺した犯人に仕立て上げるために」
「そんな馬鹿な! そんなわけないでしょう。ありえない」
必死に否定する少年を無視して、ライラは一方的に推測を言い放つ。
「『賢者の塔から逃げ去るルタを見た』という証言をするよう、賢者パトックに命令されたのではありませんか?」
「そ、それは……」
少年は深呼吸をして自らを落ち着かせようとした。そして、続けた。
「あなたの憶測にすぎませんよね?」
「ええ」
「証拠なんて何もない」
「ええ」
「あなたのふざけた妄想に付き合ってる時間なんてないんです」
少年は早口で言った。
「……失礼します」
立ち去ろうとした少年の手首を再び掴むと、ライラは手近な部屋に素早く引きずり込んだ。小さな部屋は薄暗く、誰もいない。
ライラは部屋のドアに鍵をかけると、尻餅をついた少年に嗜虐的な笑みを向けた。
「あまり乱暴な真似はしたくないのですが……本当のことを言ってくれないというのなら、仕方がないですね……」
「な、何をするつもりなんだ!?」
少年の質問に、ライラは朗らかな笑みを浮かべて答えた。
「拷問」
◇
「うああああっ! やめろおおおおおっ! やめてくれえええええっ! 誰か助け――あああああああ――っ!」
密室に響き渡った悲鳴は、しかし外に漏れることはなかった。部屋全体に消音の魔法をかけたからだ。
少年はライラの拷問に耐えかねて、あっさりすべてを自白した。
ライラの推測通り、少年たちは「『賢者の塔から逃げ去るルタを見た』という証言をしろ」とパトックに命令されていた。
パトックがそんな命令を下したのは、ルタに対する処分が国外追放程度では軽すぎだと思ったからだそうだ。ルタの罪を重くし、死刑にしようとしたのだ。
パトックが少年たちに語った理由が本当かはどうかはわからない。
本心を隠していそうではある。
「これで全部です」
涙をぼろぼろと流している少年は、弱々しい声で言った。
「……もう、いいですか?」
「ええ、ありがとう」
ライラは宙に浮かぶ記録結晶を懐にしまった。
記録結晶は映像や音声を記録できる、極めて希少な魔導具だ。これを賢者たちに見せれば、パトックが嘘をついていることが立証できる。
「ああ、あともう一つだけ聞きたいことがあるんですけど……」
「な、何ですか?」
「賢者パトックは今、どちらに?」
「えっ、あっ……それは……」
答えるのを渋る少年のことを、ライラは微笑みながらじっと見つめる。
「いいんですよ、私は。もう一度拷問をやっても」
「パトック様はこれからキラッサ孤児院に行くとおっしゃってました」
少年は慌てて白状した。これ以上拷問を受けたら、気が狂ってしまう。
「キラッサ孤児院……」
聞き覚えがある――ような気がする。
(どこで聞いたんでしたか……)
ライラが記憶を辿っている間に、少年は這うようにして部屋から逃げ出そうとした。なので、ライラは少年の背中を強く踏みつけた。
「うぎいっ!?」
間抜けな声で鳴いた。
「ああ、そうだ! 思い出しました!」
ぽん、とライラは手を打った。
「ルタくんがいた孤児院でしたね。なるほど、あそこに行けばルタくんの居場所がわかるかもしれないと思ったんですね。ルタくんがフィロマギアから出る前に、捕まえるつもりなんでしょうか? それとも、自らの手で殺すつもりだったりするんでしょうか?」
ライラが少年の背中から足をどけると、彼はよろよろと立ち上がった。
「ねえ、あなたはどう思いますか?」
「わ、わかりません。それより――」
「それより?」
「もういいでしょ?」
「ええ――」
そう言いかけたところで、ライラは大事なことに気づいた。
「あっ、いけない! 拷問したことがばれてしまったら、大変なことになりますね。私のイメージに関わりますっ」
「言いません! 拷問されたことは絶対に言いません。だから――」
「絶対なんて言葉を安易に使うべきではありませんよ。ちょっと拷問されただけで、隠し事を全部吐いちゃうようなあなたを、私が信用すると思いますか?」
そう言うと、ライラは少年の額に手を当てた。
「な、何を――」
「すべて忘れなさい。――〈衝撃波
ショック・ウェーブ
〉」
魔法陣が展開される。
ぐらり、と少年の頭が揺れた。
脳震盪を起こした少年は、その場に崩れ落ちた。彼が意識を取り戻したときには、ライラに拷問された記憶は消えている。なぜか誰もいない部屋に倒れていて、精神と肉体が徹底的に痛めつけられている――。
少年が気を失っているのを確認すると、ライラは部屋を出た。
「とりあえず、キラッサ孤児院に行ってみましょうか」
ライラは歩きながら、そう呟いた。
「もし、パトックがお爺様を殺したのなら――」
――私が殺して差し上げましょう。
声には出さずに、そう口を動かした。
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