11:

「ふうん。結構立派な孤児院ね」

 ロゼは孤児院を見て、そんな感想を口にした。

 キラッサ孤児院は緩やかな高台の上にあった。周囲は草木が生い茂っており、建築物は他になかった。

 建物はそれなりに大きく、そして何より綺麗だった。土地はともかくとして、上物には随分金をかけていそうだ。

「あれ? ロゼってここに来たことなかったっけ?」

「え? あー……あったような気がするけど……」

 ロゼは思い出そうとしたが――。

「……あんまり覚えてない」

 ――思い出せなかった。

「そっか。かなり前だもんね」

 ルタはレンガを組んで作ったステップを上がった。

 玄関ドアの上部にはドアベルがついていて、そこから紐が垂れ下がっている。

 一見、何らかのトラップのように見える。

 紐を引っ張ると、上から巨大な岩が落ちてくるとか、地面が抜けて落とし穴に落ちてしまう、とか……。

 もちろん、そんなことはないが。

 ルタは紐を軽く振って、ドアベルを鳴らした。

 リン、と高く涼しい音が響いた。

「……来ないわね」

「もう一回鳴らそう」

 もう一度、今度は何度も強く振った。

 リンリンリンリン……。

 誰かが走ってくる音が聞こえた。

「はいはい、誰かしらー?」

 勢いよくドアが開く。

 現れたのは、修道服を身に纏った女だった。

 年齢は二〇代半ばから後半くらいだろうか。背は一七〇センチを越えていて、非常にグラマラスな体型をしている。そして、どことなく扇情的な雰囲気を醸し出している。金色の長い髪からは、シャンプーの良い匂いがした。

「こんにちは、シスター・サラ」

「あら」

 サラはルタを見て少し驚いた後、微笑んだ。

「久しぶりね、ルタ」

「お久しぶりです」

「こっちの子は、ロゼちゃんだったかしら?」

「どうして、あたしの名前知ってるの!?」

「昔、ここに来てくれたことがあったでしょう? だから、覚えてたの」

「あ、そういえばそうだったわね」

 でも、とロゼは続ける。

「あんまり覚えてない」

「あら、残念。私はよく覚えてるのに」

 サラは残念そうに言った。本当に残念かどうかはわからないが。

 視線をロゼからルタに戻すと、

「何か話があるんでしょう? とりあえず中に入りなさい」

 そう言って、二人に中に入るよう促した。

 すたすたと歩き出したサラの後を、二人は黙ってついていく。

 孤児院の中は昔とほとんど変わらず、どことなく落ち着かない。ここはルタにとって居心地のいい場所ではなかった。

 知らない子供たちが掃除をしていた。

 年齢はルタの三つ下くらいだろうか。彼らは質素な服を着ていた。一方で、サラの着ている修道服は高級品だった。

 子供たちを見るルタの表情は硬かった。

 そのことに気づいたロゼは、ルタに尋ねた。

「どうしたの?」

「いや、何でもないよ」

 サラはとある部屋の前で立ち止まった。

 ドアを開けると、二人に中へ入るように促した。

 二人が部屋に入ると、サラは雑巾で廊下を拭いていた少女に何かを言いつけ、自らも部屋に入った。

「この孤児院って、随分と裕福なのね」

 焦げ茶色のソファーに座るとロゼは言った。

 ソファーも見るからに高級そうで、何らかの革をなめした物が使われている。それが何なのかはわからないが、まさか人間ではないだろう。

「そうかしら?」

「そうよ」

 ロゼは言い切った。

「何か悪いことでもしてるんじゃないの?」

 うふふ、とサラは上品に笑った。

「悪いことなんてしていないわ。ただちょっと副業をしてるの」

 ぼかすような言い方だった。

「……副業?」

「ええ」

「何やってるの?」

「それは秘密」

 サラはふっくらとした唇に人差し指を当て、ウインクした。

 口調は穏やかだったが、なぜか毒蛇に首を巻きつかれたかのような恐ろしさ、不快感をロゼは感じていた。

 ロゼは肘でルタの横腹をつつくと、

「ねえ、副業って何よ?」

 サラに聞こえないように小声で尋ねた。

「副業というよりも、本業だね」

 ルタも同じく小声で答えた。

「本業?」

「どちらかというと、孤児院経営が副業――というより隠れ蓑だね」

「隠れ蓑? どういうこと?」

「えっとね――」


「……聞こえてるわよ」


 二人は黙った。

 コンコン、とドアが控えめにノックされる。

「入りなさい」

 サラは言った。

「失礼します」

 トレイを手に持った少女が、部屋の中に入ってきた。さきほど雑巾で廊下を拭いていた少女だった。

 トレイにはグラスが三つ載っている。

 一つは赤ワインがなみなみと入ったワイングラスで、他の二つは茶が入ったガラスのコップだった。

 少女はグラスをテーブルの上に置くと、たどたどしく一礼して部屋を出て行った。

 のどが渇いていたロゼはよく冷えた茶を飲みながら、昼間から酒を飲んでいるシスターらしからぬシスター、サラの様子を覗き見た。

 ワインを飲むサラの姿は、どことなく官能的に見えた。

 サラはワインを二口ほど飲むと、口を開いた。

「新聞、読みましたよ。大変なことをしましたね」

「はい」

「でも、あなたの気持ちはわかるわ。大切な人を失ったら、生き返らせたいって思うもの。私があなたと同じ立場だったなら、きっと同じことをしたと思うわ」

 サラは脚を組み替えた。

「法はあなたが行ったことを罪と断定した。だけど、法なんてものはしょせん、人間が作り出したルールに過ぎない。そこには、作った人間の利己的な考えが入っている。人間が人間を縛り付けているのよ。おかしいと思わない?」

 二人は何も答えない。

「人間は人間よ。決して神じゃない」

「じゃあ、神が作ったルールになら従うの?」

 ロゼは気になって尋ねた。

「ええ、もちろんよ」

 サラは力強く頷いた。

「シスター・サラって確か、シスターなのに無神論者じゃありませんでしたっけ?」

 ルタは困惑しながら尋ねた。

 無神論者のシスター。

 戒律破りのシスター。

 シスターの皮を被った犯罪者。

 どれもサラをあらわすのにふさわしい。 

「改心したの」

 サラはさらりと言った。にわかには信じがたい。

「嘘、ですよね……?」

「ええ、嘘よ」

 サラはあっけらかんと言ってのけた。

「……そこは否定してください」

 思わず苦笑するルタを見て、サラは淡く微笑んだ。しかし、すぐに笑みを消して真顔になって言った。

「だから、私は法に従わない」

「それって、『私は罪を犯しています』って宣言?」

 ロゼは尋ねた。

「さあ、どうでしょう?」

 サラははぐらかすようにそう答えた。

「……」

「ところで、あなたたちは何しに来たのかしら? まさか旧交を温めに来たってわけじゃないでしょう?」

「ええ、実は……その……」

 ルタは言葉にするのを少し躊躇った。

「遠慮なんかせずに言いなさいな」

 サラの言葉に決心がついたようで、ルタは大きく息を吸うと言った。

「率直に言います。僕たちにお金を恵んでください」

「……お金?」

 予想外だったのか、サラは目をしばたたかせた。

「ええ、お金です」

「どうして? 賢者だったあなたなら、お金なんて腐るほど持ってるでしょう? まさか有り金全部使い果たしたなんて言うんじゃないでしょうね?」

「まさか」

 ルタは苦笑しつつ否定した。

「僕がそんな浪費家に見えますか?」

「見えないわね」

 サラは手に持ったワイングラスを揺らした。

「だけど、人は見かけによらないですからね。あなたみたいなちっちゃな男の子が、すごい賢者だったりするものね」

「そうですね。シスターも見かけとは裏腹に――」

「それで?」

 ルタの言葉を遮るように、サラは続きを促した。

「どうしてお金がないのかしら?」

「お金を全部銀行に預けてたから……その、追放賢者となった今じゃあ、お金下ろせないんです……」

「追放賢者、ねえ……」

 サラは唇を撫でながら呟いた。

「国外追放処分を言い渡されたわけね?」

「はい」

「よかったじゃない。それだけで済んで。こんなちっぽけな島国から追い出されたって、全然痛くも痒くもないと私は思うけれど」

「そうですね……」

 ルタはどことなく寂しそうな顔をしていた。

 サラの言う通り、フィロマギア魔法国は小さな島国に過ぎない。世界には数多くの国がある。そのうちの一つに入れなくなることなど、さほど痛くはないだろう。しかし、ルタにとってフィロマギアは生まれ育った国だ。愛着だって多少はある。

 だから、痛くも痒くもない――わけではない。

「銀行なんて当てにならないわ。当てになるのは――」

 サラは親指で自分の胸を指し示す。

「自分だけよ」

 そして、にやりと笑った。

「シスターは……自分以外誰も信用してないんですか?」

「信用してるわよ、あなたのことも」

 今度は人差し指でルタのことを指差した。

「……部分的には、ね」

 そう付け足した。

「完全には信用してないんですね、僕のこと」

「別にあなただけじゃないわ。私は誰のことも完全には信用してない」

 サラの瞳に暗い感情が宿った。

「完全に信用してるのは、自分のみよ」

「なんだか悲しいわね」

 しばらく黙って二人の話を聞いていたロゼが、ぽつりとそんなことを言った。

「悲しくなんてないわ」

 サラはゆっくりと首を振って見せた。

「安易に他人に全幅の信頼を置くのは、決していいとは言えないわね」

「安易じゃなくても、誰も完全には信用してないじゃん」

「シスターは……人に裏切られたことがあるんですか?」

 ルタの子供じみた質問に、サラは思わず吹き出しそうになる。

「あなただって裏切られた経験くらいあるでしょう? 私はね、人を裏切るのは好きだけど、裏切られるのは死ぬほど嫌いなのよ」

「僕は……」

 ルタは口の中で少し溜めてから言葉を吐き出した。

「僕は自分のことも完全には信用してないです。他人は嘘をついたり、裏切ったりしますけど、それは自分だって同じ。自分の気持ちに嘘をついたり、偽ったりすることもありますからね。そして、厄介なことにそのことに気づかないときがある」

「なるほど、確かにあなたの言うことにも一理あるわね」

 サラは大きく頷いて見せた。

 しかしその後、「でも」と付け加える。

「それでも、私は自分のことを信用している。ルタ、あなたはどう? 誰かのことを一〇〇パーセント信用してるのかしら? そう、例えば……」

 ロゼのことをちらりと見て言う。

「ロゼちゃんのこととか」

「どうでしょう?」

 ルタはふっと笑いながら首を傾げた。

「そこは『僕はロゼに全幅の信頼を置いている』とでも言いなさいよ!」

「いやあ、さすがにそこまでは言えないかなあ」

「私はルタに全幅の信頼を置いてるわよ」

「本当?」

「嘘、かも」

 そう言って、ロゼはくすりと笑った。

「話が逸れてしまったわね。あんまりたくさんは無理だけど、多少でいいなら……あげるわ」

「ありがとうございます」

「あなたが今までに私にもたらした金額を考えれば、これくらいわね……」

 サラがテーブルの上に置いてある小さなハンドベルを一振りすると、すぐに少女がやってきた。

 サラは少女に耳打ちした。

 少女はこくりと頷くと、足早に部屋を出て行った。

「今、手持ちの金を切らしちゃってね。小切手でいくらか渡すから、銀行で換金してくれる?」

「ありがとうございます」

 ルタはもう一度礼を言った。

 ロゼはむっとした顔で、ほんの少しだけ頭を下げた。

 たったったっ、と廊下を走る音が聞こえる。少女が額に汗をにじませながら、部屋に入ってきた。そして、小切手をそっとルタの前に置くと、すぐに去っていった。

「こんなにいいんですか?」

 小切手に書かれた金額を見て怪訝そうな顔で尋ねるルタに、サラは大きく頷いて見せた。

「銀行なら確か……ここから二〇分くらいのところにあったわね。そこで換金してから、港に向かいなさい。金さえ払えば、誰だろうと乗せる――そんな船だっていくつかあるでしょう」

「はい」

「本当にあなたには感謝してるのよ。これでも全然少ないくらいなんだけど……金額、書き直した方がいいかしらね?」

「いえ、これだけあれば大丈夫です」

「あら、謙虚なのね」

「できるだけ借りは作りたくないんです」

 とくにあなたには――。

 口に出さなくとも、言葉はサラに伝わったようだ。にやりと口角が上がる。

「多分、もう会うことはないと思うわよ」

「僕もそう思います」

 そう同意しつつも、言葉を少し溜めてから付け加える。

「でも、何があるかわからないですからね、人生って」

「そうね。私はまたあなたに会いたいわ」

「僕は……」

 ふっと笑って言葉尻を濁すと、ルタは小切手をしまって立ち上がった。ロゼも同じく立ち上がる。

「さよなら、シスター・サラ」

 部屋から出て行く二人に――ルタに、サラは座ったまま声をかける。

「さよなら、私の愛しい愛しいルタ」



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