4:
「ふう……」
自らの研究室に戻ったライリスは、椅子にだらりと腰かけると、大きく息を吐いた。
賢者会議は一時間にも満たないほど短かったはずだが、どういうわけかやけに疲れていた。
年を取って体力がなくなったから、というわけではない。摩耗したのは、年を重ねようがすり減ることはないと思っていた精神の方だ。
愛弟子のルタが大罪を犯したことを知ったときは、ショックを受けた。
しかし、ここまで精神的に苦しくなったのは、ルタに対して国外追放処分を言い渡さなければならなかったからだ。
仕方がなかったとはいえ、苦しかった。
罪を犯した賢者に罰を与えることは、賢者の塔のトップとして、やらなければいけない仕事の一つだ。他の賢者に任すこともできなくはなかったが、そんなことをすれば信用を失いかねない。
公私混同をするべきではない。
しかし、心の中ではルタに対して同情していた。
あどけない、しかし同時に聡明でもある一三歳の少年が、死者蘇生という禁忌を行おうとしたのは、よっぽど思い詰めていたからだろう。
正直、ライリスとしては大目に見てあげたかった。しかし罰を与えないのは、国民に、他の賢者に対して示しがつかない。
だから、罰を与えざるを得なかった。
それにライリスが何も言わなければ、他の賢者が黙っていなかっただろう。
現に賢者パトックは『ルタを死刑にするべきだ』と発言した。さすがにこの意見は却下されたが、もしかしたら国外追放処分よりも重い罰がルタに課されたかもしれない。その可能性は十分にあった。
ライリスとしては、国外追放処分が妥当だと思っている。
大量殺人を犯したわけではないし、他人に迷惑をかけたわけでもない。ただ禁忌を犯しただけだ。
数ある罪の中でもマシな部類だ。
しかし、それでも罪であることには変わりない。
「ああ……」
ライリスは一人、呻いた。
「ルタ、お前は耐えるべきだったのだ、大切な人を失う苦しみを……」
ライリスにも生き返らせたい人はいる。たくさんいる。もう七〇年も生きてきたのだから、たくさんの出会いと別れを経験している。
しかし、ライリスは禁忌には手を出さなかった。
耐えて見せた。
あらゆる禁忌から。
あらゆる欲求から。
禁忌魔法の数々は賢者ほどの凄腕魔導師なら、喉から手が出るほど手にしたいものだ。しかし、欲に負けてはならない。
ライリスは欲に勝った。
ルタは欲に負けた。
それが二人の違いだ。
些細なようで、とても大きな違いだった。
「ルタよ。お前は禁忌を犯すべきではなかった……」
ライリスは頭を抱え呟いた。
「私の後を継いでくれると思っていたのに……」
涙が机の上に、ぽつぽつと落ちる。
「愚か者がっ!」
ライリスはやりきれない思いを発散させるかのように、拳を机に叩きつけた。痛いだけで、気分は晴れなかった。
ため息をついていると、ドアがノックされた。
「誰だね?」
「パトックです」
「入りたまえ」
ドアが開き、パトックが入ってきた。彼は後ろ手でドアを静かに閉めると、ライリスのもとへ大股で近づいてきた。
「実は折り入ってお話したいことがありまして」
「何かね?」
「賢者ルタのことです」
パトックの言葉を聞いて、ライリスはうんざりとした顔をした。
「不服かね?」
「ええ。奴は死刑にすべきです」
「その話はもう終わっただろう? 誰もお主の意見には賛同しなかった」
「あなたが私の意見を否定したからだ。あなたが否定したから、誰も表立って私の意見に賛同できなかった」
パトックは本気でそう思っているようだ。口調が少し荒くなっている。
「つまり、皆が私に忖度した、と……お主はそう言いたいのか?」
「ええ」
「なるほど。確かにそれは少しあるかもしれない」
ライリスは忖度があったことを認めた。
「だが、だからといってお主の意見に賛同しているとは思えない。たかが――と言うのはおかしいが――死者蘇生を行おうとした――」
「行おうとしたのではなく、実際に行ったのです」
パトックがライリスの発言を訂正した。
ごほん、とライリスは咳をした。
「死者蘇生を行っただけだ。……失敗したがな」
失敗、という言葉にパトックは思わず笑みをこぼす。
「殺人みたいな重度の犯罪を犯したわけでもないのに、死刑に処するのはおかしい」
「おかしくは――」
「いいや、おかしい」
「……」
「お主はどうして死刑に固執する? ……いや、固執してるのは罪や罰ではなく、ルタの方か?」
「……っ」
パトックはポーカーフェイスを保っていたが、ルタの名が出ると、わずかに顔を歪ませた。ライリスはもちろん、そのことに気づいた。
「なるほどな」
ライリスは大きく頷いた。
「ルタのことが嫌いか?」
「……好きも嫌いもありませんよ」
パトックがルタに対して抱いている感情は――嫉妬だった。嫌悪もあったが、それも本を正せば嫉妬から来るものだった。
「嫉妬か?」
「なっ……」
絶句したパトックを見て、ライリスはかすかに口角を上げた。
「図星のようだな」
「ふ、ふざけるなっ!」
パトックは思わず怒鳴ってしまった。ルタに抱いている感情を言い当てられたのが、恥ずかしかったからだ。
「誰があんなガキに嫉妬するか! あんなのより私のほうが優れている! 嫉妬などする必要性がない! 嫉妬など馬鹿げている! 賢者ライリス、あなたの指摘は間違っている! 私は……私はルタに嫉妬などしていない!」
熟れたトマトのように顔を赤くし、必死になって否定する様はひどく滑稽だった。
「パトック、お主が賢者になったのは一年ほど前――確か、ルタよりか一週間くらい早かったかな……?」
「ぐ……ぬ……」
パトックは歯噛みしながら、あの時のことを思い出した。
◇
パトックは現在二九歳だ。
賢者になったのは一年前のことなので、二八歳のときのことだった。
二〇代の賢者は久しぶりのことだったので、国中で大きな話題になった。
パトックとしては、ライリスの持っていた賢者最年少記録(二〇歳)を更新したかったのでやや悔しさはあったが、二〇代の間に賢者になれたのでよしとしよう、などと思っていた。
膨れ上がった自己顕示欲は、賢者になることで満たされるはずだった。
しかし、パトックの人生の絶頂期は、わずか一週間で終焉を迎えた。弱冠一二歳の賢者が誕生したからだ。
彼の名前はルタ。
国中はルタのことで持ち切りだった。
パトックのことなど、もう誰も話題にしない。
二〇代の賢者はライリスをはじめ、今までに何人かいたが、一〇代の賢者は初めてだったからだ。
それに、傲慢さがにじみ出たパトックとは違い、ルタはあどけなくかわいらしい顔立ちをしていた。
街を歩いても、全然話しかけられない。
話しかけられても、ルタと比べられ馬鹿にされる。
屈辱だった。
悔しかった。
(俺が受けるはずだった祝福を全部掻っ攫いやがって!)
そして、自分がルタに嫉妬していることに気づいた。子供に嫉妬している自分が恥ずかしく、よりネガティブな感情をルタに抱くことになった。
それはしぼむことなく、延々と膨れ上がっていった。
嫉妬が憎悪に。
憎悪が殺意に。
そして――。
パンッ、と弾けた。
歪んだ感情が、歪んだ形で発露した――。
◇
「用件はそれだけか?」
ライリスに尋ねられ、パトックは我に返った。
「ルタに対する罰は国外追放処分に決まった。変える気はない」
「あなたはルタをひいきしている!」
パトックは両手を机に思いきり叩きつけた。それから興奮を冷ますように、何度か深呼吸をした。
「国外追放処分は妥当だ」
「ひいきしていることは否定しないのですね?」
「誰だって好き嫌いというものがある。相性の良し悪しというものもある」
「私のことは嫌いですか?」
「別に嫌いではない」
「でも気に入ってもいない」
「お主はいささか偏屈だと私は思う。もう少し素直になってもいいと思うがな。……ルタみたいに」
――ルタみたいに。
……ルタみたいに?
その言葉が頭の中で反響した。
舌打ちをすると、パトックはゆっくりと歩き出した。
「奴もあなたが思うほど素直じゃありませんよ」
パトックとライリスは机を隔てて向かい合っていた。二人の間には少し距離がある。ゼロ距離にならなければならない。
実力では相手の方が上なのだから。
実力を出される前に方を付ける必要がある。
「……何かね?」
自分のすぐ隣に来たパトックを見て、ライリスは怪訝な顔をした。
「実はもう一つ話があって……。むしろ、こちらが本題というか」
「ほほう?」
パトックはローブに手を入れる。
「実はですね、賢者ライリスに贈り物がありまして……」
「……贈り物?」
「ええ、贈り物です。素晴らしい素晴らしい贈り物ですよお……」
パトックはローブの裏側に仕込んだナイフを引き抜くと、無駄のない動作でライリスの腹に突き刺した。
「ひゃはははっ!」
「がっ……な、なにを……」
ライリスは椅子から立ち上がろうとした。しかし足に力が入らず、よろけて背後の本棚に倒れこんだ。
「どうですかあ、私のプレゼントは?」
「き、貴様っ……」
「俺はなあ、ライリス! てめえのことがずうーっと気に食わなかったんだよお! ルタばっかひいきしやがってよ! あいつが賢者になれたのも、あんたのおかげなんじゃないのか?」
「ち、違うっ! ルタは……私をも超える逸材だ……」
自分の発言を否定されて、パトックは不機嫌になった。
「あんたを殺した罪は、ルタに被ってもらう。賢者の塔の総帥を殺したとなれば、死刑は免れないだろうよ」
「こんなことして……ただで済むと思うな……」
ライリスは痛みで意識が途絶えそうになるのをぐっと堪え、なんとか魔法を発動させようとした。しかし、パトックも間抜けではない。ライリスの腹を蹴り上げ、魔法の発動を妨害した。
「ぐはっ……」
「死人に口はないんですよお。おわかり?」
そう言うと、パトックはライリスの腹からナイフを引き抜いた。新鮮な血がナイフの刀身を伝い、地面に滴り落ちる。
「そういえば、このナイフ知っていますか?」
ライリスはパトックの手に握られたナイフを見る。色とりどりの宝石が散りばめられた高級そうなナイフ。
見覚えがあった。
あれは――。
「私がルタにあげた……」
「そう、あなたがルタに誕生日プレゼントとしてあげたナイフだ」
「なぜ、それを……」
「盗んだんですよ、ルタからね。あいつはいろんな人にこれを見せびらかしてたから、これを置いておけば、きっとルタの犯行に違いないと思うはずだ」
安直すぎる考えだった。
しかし、パトックは自分以外の人間はことごとく馬鹿なので信じるだろう、と考えていた。駄目押しに「ルタが走り去っていくところを見た」とでも言えばいいだろう。自分が馬鹿であるとは、露ほども考えていなかった。
「そんなに……うまくいくはずがない……」
「うまくいきますよ。なぜなら――」
パトックはナイフを振りかぶった。
「ぐっ……や、やめろ……」
「ルタは追放賢者なのだから」
煌びやかなナイフが、無慈悲に振り下ろされた。
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