2:
魔法研究機関〈賢者の塔〉。
そこは一握りのエリート魔導師しか所属できない組織であり、ほとんどの賢者が籍を置いている組織でもある。
その歴史は古く、フィロマギアが建国されて間もない頃に設立された。下部組織である魔法学院では、将来の賢者候補たちが研鑽を積んでいる。
賢者の塔はフィロマギアの中心部に屹立している。周囲の建築物と比べて一際高く、特殊な石を積んで作られた荘厳な塔だ。
そんな賢者の塔に隣接した建物――マギアホールではとある会議が開かれていた。
その名を賢者会議。
賢者――場合によっては、賢者候補生も――が一堂に会して、国や賢者に関わる諸問題について議論等する場である。
会場には席が円を描くように、なおかつ階段状に設置されていた。そこに賢者や賢者候補生たちが、それぞれ好きな席に座っていた。といっても、前方の席が賢者、後方の席が賢者候補生と、座ることができる場所は別れている。
会場の中央には、少年が一人立っていた。
彼の名前はルタ。
少女と見紛うほどかわいらしい顔立ちをした一三歳の少年だ。身長は一五〇センチ足らずで、水色の長い髪を後ろで三つ編みにしている。
ライトアップされたルタのことを、会場にいる全員がじっと見つめている。その目には好意的な感情は見られない。
嫌悪や失望といったネガティブな感情ばかりが込められた視線が、ルタに突き刺さる。しかし、彼は泣くこともなく、淡々としている。いつものあどけない表情はなく、能面のように表情を隠している。
その冷たい目は師匠だった人物を見つめている。
ルタの師匠――賢者ライリスは、賢者の塔の総帥である。
背が高く、大きな鷲鼻と豊かな白髭が特徴的な好々爺だ。しかし、そんなライリスもいつものような人の良さそうな柔和な表情は、奥底に潜めている。
ライリスは一度大きくため息をついてから口を開いた。
「ルタよ、お主は自分が何をしたのかわかっているのか?」
「はい、もちろんです」
ルタは大人びた口調で答えた。
「僕は……禁忌を犯しました」
本日の賢者会議の主役はルタだった。
『罪を犯した賢者にどのような罰を与えるか』
それが会議のテーマだ。
そう、ルタは賢者だった。
ルタが賢者の称号を与えられたのは、弱冠一二歳のときだった。ライリスの持つ賢者最年少記録を大幅に更新した。
周囲から『一〇〇年に一人の天才』と称されたライリスが、賢者の称号を与えられたのは、二〇歳のときのことだ。この記録は当時の最年少記録を大幅に更新した。
ライリスの記録を抜く者は、当分の間は現れないだろう。そう考えた者は多かった。事実、彼の記録は五〇年間抜かれなかった。当分どころか永久に抜かれることのないアンタッチャブルレコードだ、と考える者もいた。
だから、ルタが賢者となったとき、国中に衝撃が走った。
そして、賢者ルタが禁忌を犯したというニュースもまた、国中に衝撃を与えた。
ルタが犯した禁忌。
それは――。
「死者蘇生」
ルタの一言は、会場を騒めかす。
もちろん、彼らもルタの犯した罪は知っている。しかし、改めてルタの口から罪の名を出されると、どうしても動揺してしまう。
「僕は死んだ人間を生き返らせようとしました」
ルタの罪の告白を聞き、ライリスはもう一度ため息をついた。
「……死者蘇生が禁忌魔法に指定されていることは、お主ならもちろん知っておっただろう?」
「はい。もちろん知っていました、せん――」
先生、と口にしそうになったが、ぎりぎりのところで言葉を飲み込んだ。そして、代わりの言葉を口にする。
「――賢者ライリス」
禁忌魔法。
それは文字通り、決して発動させてはならない禁じられた魔法。
禁じられるのには、相応の理由がある。
例えば、倫理に反する。
例えば、法に触れる。
例えば、大きな犠牲が伴う。
例えば、威力が大きすぎる。
死者蘇生は『生物はいずれ死ぬ』という自然の摂理を覆そうとする、倫理に反した魔法であり、そもそも実現不可能とされている。
実際、ルタは死者蘇生に失敗した。
そう、失敗した。
フィロマギアきっての天才であるルタをもってしても、死者を蘇生させることは叶わなかったのだ。
死者蘇生は極めてリスクの高い魔法だ。発動に失敗すると、最悪、命を落とす。今まで多くの魔導師が挑み、そして失敗し、命を散らしていった。
しかし、ルタは何も失うことなく、生きている。
きっと、そのことに感謝しなければならないのだろう。禁忌を犯して五体満足でいられるのだから――。
「どうやって知った?」
誰かが不思議そうな口調で尋ねた。彼が尋ねているのは『死者蘇生の発動方法をどこで知ったか』ということだ。
「ま、まさか……あれを見たのか?」
とある賢者がおそるおそる尋ねた。
「見ました」
ルタはさらりと即答した。
「禁忌魔法目録を見ただと!?」
誰かがそう叫んだのを皮切りに、会場が騒めいた。
ライリスも驚嘆していた。
禁忌魔法目録は禁忌魔法が多数記された書物だ。一〇〇〇年以上前に書かれ、現在では世界に一〇冊とない希少書物だ。そのうちの一冊は、賢者の塔に隣接する図書館の最奥にある、秘密の小部屋の中で眠っている。
そう、フィロマギア屈指の魔導師一〇〇人が作り上げた多重結界の中で――。
「貴様はまだ、あの部屋に入る権限を持ってないはずだ!」
「ええ、持ってませんよ」
「ならば――」
「だから、こっそり入りました」
ルタは内緒話をするように、声を潜めて言った。もちろん、彼の声は魔導マイクが拾い、マギアホール全体に響き渡ったが。
「あ、ありえない……」
「そんな馬鹿な……」
「あの部屋に施された多重結界は――」
「ああ、結界なら全部解除しました」
ルタの放った一言に、賢者候補生たちは絶句する。彼らだけではなく、ルタと同等の立ち位置にいるはずの賢者たちでさえ、同様に驚きを隠せずにいる。
「嘘をつくな!」
一人の賢者が激高するように叫んだ。
彼はきっと信じられなかった――いや、信じたくなかったのだろう。同じ賢者であるルタが自分よりはるかに上にいると――。
「そうだ、嘘だ!」
「嘘に決まってる!」
ルタが嘘をついていると思っている(あるいは思いたがっている)者もいれば、あっさりと信じる者もいた。
ルタのことを間近で見てきたライリスは後者だった。
「さすがは我が弟子だ」
自慢げに呟いた後、わずかに表情を緩めた。
しかし、すぐに寂しそうな表情に変わる。
「本当に……結界を全部解除したのか?」
とある賢者が尋ねた。
にわかには信じがたい、とでも言いたげな表情をしている。
「はい」
ルタはこくりと頷いた。
普通の賢者にはできないことをやってのけた。しかし、そのことを誇るわけでもなく、できない賢者を嘲るわけでもなく、淡々としていた。
「しかし、だな。私が前にあそこを訪れたとき、結界はしっかりかかっていたぞ?」
「目録を見た後、再構築しておきました」
結界を再構築。
一〇〇人の魔導師がじっくりと、時間をかけて練り上げた多重結界を、賢者とはいえ幼い少年が一人で再構築した。
その事実を認めるのに、多少の時間を要した。
「お前の魔法は完璧だった。この私ですら、結界が再構築されたことに気づかなかった」
とある賢者は感嘆と悔しさが混ざったような口調で言った。しかし、その後は一転、意地の悪い笑みを浮かべ、
「しかし、詰めが甘かったな」
ルタが禁忌魔法目録を見たことは、誰にもばれなかった。しかし、彼が死者蘇生を行ったことは、あっさりとばれた。
(確かに、詰めが甘かった。甘すぎた)
そう反省した。
反省したところで、何も変わらないが。
ルタは死者蘇生の魔法を発動させることばかりに気を取られ、そのことを秘匿することまでは気が回らなかったのだ。
ルタは賢者だ。
フィロマギアにおいてルタは超がつくほどの有名人で、彼のことを知らない者など、まず存在しない。
周囲の人間はルタの一挙手一投足をチェックしていた。
しかし、ルタは良くも悪くも自分が有名人であるという自覚がなかった。それが今回、仇となってしまった。
「そうですね」
ルタは自嘲気味に笑った。
「僕は甘かったんです――」
――何もかも。
言葉の最後は発せられなかった。
「それで、僕にどのような罰が与えられるのですか?」
ルタの質問に答える者はいなかった。
「死刑になったりするんですか?」
そんな質問をしてみたが、自分が死刑になるとは思っていなかった。
(おそらく、僕は死刑にはならないはず)
しかし、万が一ということもある。
ルタを嫌う賢者が『賢者ルタを死刑に処すべきだ』と強く訴えるかもしれない。そして、その声に同調する者が現れるかもしれない。
(まだ死にたくない)
そう強く思った。
なぜなら――。
(僕はまだ……何も成し遂げてない)
傍から見たら、ルタは多くのことを成し遂げたように見えるが、彼自身はそうは思っていなかった。
他人からの評価と自身での評価は、大きく乖離していた。
「死刑にはならない」
そう言ったのは、ライリスだった。
「お主の犯した罪は大きい。だが、死刑になるほどではない。私としては、国外追放処分が妥当ではないか、と思うが……」
ライリスは周囲をゆっくりと見回した。
「皆はどう思う?」
一見、賢者や賢者候補生に意見を求めたように見える。
しかし、実際には意見を求めたわけではなく、自分の意見に同意するように無言の圧力をそれとなくかけたのだ。
「ライリス殿のおっしゃる通りです」
「死刑は重すぎるな」
「国外追放でよろしいでしょう」
「妥当ですな」
ライリスの意見に同意する者が大多数だった。しかし、全員というわけではない。中には異を唱える者もいた。
「私は反対です!」
一瞬、会場が静寂に包まれる。
全員の視線が、ライリスから異を唱えた賢者へと移った。
「ほう、パトックか」
ライリスは顎鬚を撫で、興味深そうに頷いた。
「よろしい。遠慮などせず、存分に意見を述べたまえ」
「もちろんです」
パトックは不遜な態度で頷くと、勢いよく立ち上がった。
「賢者ルタに対する罰は、国外追放程度では甘い、と私は考えます」
「そうだろうか?」
「そうです」
「では、どのような罰が妥当だと、お主は考える?」
「私は賢者ルタに対する罰として、死刑を求めます」
死刑を求める――。
ライリスの意見に真っ向から対立するような爆弾発言を放ったパトックに、会場は大いに混乱した。
パトックの意見に賛同する者はほとんどいない。むしろ、彼に対する罵倒の声があちこちから飛び出す。
ルタをかばったわけではない。
彼らにとってルタは、身内の恥なのだから。彼らは偉大なる賢者ライリスに対立するパトックが気に入らなかっただけだった。
パトックは自らを罵倒する声を気にも留めず、ライリスに尋ねた。
「いかがでしょうか、私の意見は? 賢者ライリス」
「一考の価値もないな」
ライリスの切り捨てるかのような言葉に、パトックは眉根を寄せる。
「……なぜ、ですか?」
「皆の言う通り、死刑は罰として重すぎる」
「これは国民に対するアピールです。罪を犯した賢者を死刑に処す――厳格に処罰することで、国民の賢者に対する信頼は揺るぎないものとなるでしょう。逆に言えば、賢者ルタに対しての処罰が甘ければ、国民の賢者に対する信頼は地に落ちるのです!」
パトックの熱心なアピールは、残念ながら誰の心にも響かなかった。そのことが彼をひどく苛立たせた。
パンパン、とライリスは手を叩いた。
「多数決をとろう。賢者パトックの意見に賛同する者は挙手を」
誰もいない――かと思われたが、数人の手がゆっくりと上がった。
「私の意見に賛同する者は挙手を」
ほとんどの人の手があがった。
ライリスは満足げに薄く微笑んだ。
「多数決の結果、賢者パトックの意見は却下され、私の意見が受理された。ゆえに賢者ルタに対する罰は『国外追放処分』で決定となった。よろしいですかな?」
同意の拍手が鳴り響いた。
「よろしいですかな、賢者パトック?」
「……はい」
パトックは苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。
「というわけだ」
ライリスは改めてルタのことを見た。しばらく沈黙していたが、やがて大きく息を吸って、はっきりとした声で告げた。
「賢者ルタ。お主にフィロマギアからの追放を言い渡す」
ルタは黙って俯いた。
「お主には期待していた。こんなことになって、とても残念だ……」
ライリスの声はひどく震えていた。
ルタが顔を上げると、ライリスと目があった。ライリスの瞳には涙がにじんでいた。そんな恩師の姿を見て、ルタは胸が苦しくなり、思わず目を逸らしてしまった。
「ルタ」
「はい」
「言っておくが、祖国から追放されるのは、お主が思っているよりも辛く苦しいことだぞ。ここではお主は賢者として尊敬されていたが、外に出ればただの未熟な子供だ」
そう、どれだけ魔法に秀でたとしても、ルタはまだ一三歳の子供なのだ。一人で生きていくのに十分な知識を持っているとは言い難い。
「お主は外を何も知らない。魔道のみを探求し、生きてきた。そんな人間が一人で生きていくのは、決して楽ではないだろう」
「わかっています」
覚悟はできていた。
死者蘇生に失敗したとき、生まれ育ったフィロマギア魔法国を離れる決意をした。このままこの国にいても、自分は先へは進めない。死者蘇生を成功させることはできない。そう思ったからだ。
「さらばだ、ルタ。もう会うことはないだろう」
「今までお世話になりました」
「元気でな」
「先生もお元気で」
ルタは一礼すると、ライリスに背を向けて歩き出した。ローブのフードを目深に被り、俯くことで、泣いているのを隠した。
「さよなら、先生」
こうして、賢者会議は終了した。
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