第10話◇女ってズルイよなあ
ヤマねーちゃんとは顔を合わせたく無かったものの、これからのことを考えるとそーゆー訳にもいかん。少し話をしておかないと。
今から行く、とスマホでメッセを送り久しぶりにヤマねーちゃんのアパートに。
扉を開けると出迎えてくれる。
「いらっしゃい、明日太」
普通に出迎えてくれる。いつもの黒いジャージ。いつもの天パの髪の毛。少し不安そうな目で見てる。
妙な気分だ。俺は怒っているのか、悲しんでいるのか、イラついているのか、呆れているのか。俺でも解らん。モヤモヤする。
息を吸って、口に出す。
「こんばんわ、
「……気がつく、か。入って」
もと、ヤマねーちゃんの影追夜舞の後ろについて、部屋の中に入る。俺はどんな顔になっているのだろう?
おかしい、と思ったことはある。考えたことはある。それでも、ヤマねーちゃんが良くなったと喜んで、おかしなところを見なかった俺がいる。
そのツケがここにある。
あぐらをかいて座る俺の前に、影追夜舞がいる。女の子座りで俯いている。
「……騙してたことになるよね。怒ってる?」
「俺にも解らん。それに人間アバターが正体を隠すのも理解してる」
ヤマねーちゃんが精神を病んで仕事を辞めた。会社のクソ上司が原因らしい。
ただ、ヤマねーちゃんはもともとそうだったらしい。俺が知らなかっただけで。それが会社で揉まれたせいで、ストレスから症状が悪化した。
診断の結果は境界例人格障害。
ヤマねーちゃんにとっては家族もストレスの原因。過去に親に何をされてたかは知らない。知らないが碌でもないことは解る。
その親が持ってるアパートの一室に隔離されるようなひとり暮らし。それでも家族と一緒にいるよりはマシらしい。
ヤマねーちゃんの2年の引きこもりに近い生活。短期の入院と通院を繰り返して。そのときに俺はヤマねーちゃんのとこによく行ってた。俺がヤマねーちゃんといると、ヤマねーちゃんも少しは楽になる、マシになるというので。
昔は俺が後ろにくっついていた、いとこのヤマねーちゃん。そのヤマねーちゃんが強い薬でボーっとしてたり、泣いて暴れそうになったら抑えたりしてた。手を引いて夜の散歩とかしてた。
気晴らしになると
今はヤマねーちゃんは回復して、ネトゲで知り合ったって人のコネでザーニスに勤めている。驚くほど早い回復の仕方。
良くなったことを喜んでた。ありえないことだと思わなかった。疑わなかった。
「NPCが入れ替わったのは、1年くらい前、か」
「うん、そのくらい」
境界例人格障害。後になって調べてみた。
何年も通院、入院を繰り返してそれで治るかもしれない、というもの。10代で発症するなら治療の見こみはある。歳をとってから発症するほど回復は困難。
ヤマねーちゃんが発症したのは20歳を過ぎてからだ。
それがたった2年で治るはずが無い。
「ずっとヤマねーちゃんの振りをして、俺を騙していたんだ」
「黙ってて、ごめん」
ため息が出る。そして偽物をこれまで見抜けなかった俺の間抜けぶりにイラだつ。俺はいったい何を見ていたんだろうな。
「なんで本物のヤマねーちゃんは、俺に何も言わなかったんだ?」
「リリス、
「泣かなくて、暴れなくて、会社に勤めて毎日働いてたら、偽物でもいいおねえちゃんなのかよ。俺はヤマねーちゃんに頼りにされて、嬉しかったんだ」
「明日太には、カッコいいおねえちゃんでいたかったの」
「よくできた偽物は本物よりもマシだってか」
「私の家族は、今の状態を喜んでいるよ」
「あの家族ならそーだろよ。でも俺は情けなかろーが、子供みたいに喚いて引っ掻いてこよーが、本物のヤマねーちゃんの方がいい」
「……本物の方が、いいって……」
震える声に顔を上げる。目の前の女が俯いて泣いていた。影追夜舞が泣いている。
「偽物だけど、自律型NPCだけど……」
ポロポロと涙を流していた。
AIなのに、人の脳に上書きされた人格なのに。
「私も、ヤマねーちゃんなのに、記憶は、同じなのに……」
「悪かった」
まさか、泣き出すとは。
「言い過ぎた、わりぃ」
「うぇ……」
ヤマねーちゃんの頭に手を置くと、ヤマねーちゃんは俺にしがみついてわんわん泣き出した。泣き止むまで背中を撫でた。触れば暖かい。抱きしめる身体がある。
まるで、昔のあの頃に戻ったような気がした。しばらくそうして、泣き止むまで抱いていた。
「あー、落ち着いたか?」
「うん……」
俺はヤマねーちゃんを後ろから抱っこしてる。体育座りしたヤマねーちゃんを背中から包むようにして座ってる。
前にもよくこうしていた。
いや、正面からだとヤマねーちゃんのおっぱいがむにゅんとなるのが気持ち悪くて、それで後ろからになるのだが。
こればかりは俺の体質的な問題でどうしようも無い。ヤマねーちゃんが正面からしがみついてきたときは、気合いで我慢してた。
ヤマねーちゃんは少し赤くなっている。
「えと、ごめんね。押し付けちゃって」
「今回は、なんとか吐かずに済んだ」
「……それさえ、治ればなぁ」
「俺もそう思う。しかし、泣くとは思わんかった」
「NPCだけどね、記憶は同じ。それは知ってるでしょ」
「あぁ」
「人間の脳に上書きされた人格だけど、人の身体を得たことで人の感覚器官というインターフェースも得たの。怪我をすれば痛い、お腹が空けばひもじい、ご飯を食べれば美味しい、お酒を呑めば楽しい。人と同じ様に感じられるの」
「それが、AIが人間アバターを欲しがる理由のひとつか?」
「データ収集という意味ではね。『Beyond Fantasy memories』の中のNPCが人間っぽいって盛り上がったでしょ?」
「そういうことあったか」
「あれも、人間アバターのデータを反映した結果」
『Beyond Fantasy memories』で話題になった珍事件がある。
ゲーム内の酒場で、あるプレイヤーが冗談で、酒場のNPCの女店員の尻を触った。他のVRゲームでは無視されるか、淡々と『やめてください』というところ。
しかし、そのNPCの対応は一味違った。持っていたお盆をそのプレイヤーの後頭部に叩きつけた。
『このスケベ!』
と言いながら。更には、
『私のお尻は安くないのよ!』
と言って店の奥に引っ込んだ。
これが『Beyond Fantasy memories』のNPCは人間みたいだ、とか、いやあれはあのときだけザーニスの人間が操作してたんだろ、と盛り上がった。
実際のところはその酒場の女店員以外でも、『Beyond Fantasy memories』のNPCは人間ぽい。他のゲームと違い会話もかなりできる。ふざけたお喋りにも付き合ってくれる。
そして件の女店員は噂になり、お盆というご褒美?目当てに尻や胸を触ろうとして、お盆で殴られるというプレイが流行しそうになった。
やり過ぎたプレイヤーが酒場の入り口に似顔絵を張り出されて、張り紙には『こいつら入店禁止! このお尻スキー!』と書かれたことで、お触りからのお盆アタックプレイは沈静化した。
この対応で『Beyond Fantasy memories』のNPCはひと味違う、なんて言われることになる。
「……ゲームの中のNPCが、どんどん人間ぽい会話や仕草をするようになったのは、それか」
「自律型NPCはそうやって鍛えられてきたの」
今、俺の腕の中にいるヤマねーちゃんも、NPCだ。だけど、ただのNPCとは思えない。機械のプログラムとは思えない。人間の女と変わらない。
身体は
戸籍もある。マイナンバーもある。
意思もある、感情もある。悲しくなれば泣き、カチンとくれば文句を言う。
「俺は、なんて呼べばいいんだ?」
「ヤマねーちゃん、は、ダメ?」
「本物のヤマねーちゃんは?」
「向こうの名前はリリスだから、あっちをリリスと呼ぶというのは?」
「そーゆーことにするか」
「……明日太」
「なんだ? ヤマねーちゃん?」
「……んふふ」
「なんだよ?」
「んふふふふ」
ヤマねーちゃんは猫みたいに目を細めて笑う。なんなんだよ。
しかし、女が泣くっていうのはズルいね。これまで俺が騙されてたことも、なんかどうでもよくなってきた。
あー、はいはい。騙された俺が間抜けだったってことだろ。もー、それでいーや。本物のヤマねーちゃんは向こうにいる。ここにいるのは影追夜舞。こっちもヤマねーちゃんだ。
コピーペーストから分岐した、どちらも本物のヤマねーちゃん。隠してたのは、俺にいいとこ見せたかったから、か。それで俺が文句を言うのも、どうなんだか。ある意味では俺のせいじゃないかよ。
それで泣かれたらどうすりゃいいのか。
「じゃあ、リリスは、本物は向こうでどうなんだ? ヤマねーちゃんは話をしたりするのか?」
「リリスはあっちでは落ち着いてるよ。向こうにはストレスになるものも無いから。カウンセリングとかしてたのも最初の2ヶ月だけ」
「そっか。そりゃそうか」
向こうに行けば嫌な家族はいない。娘を精神的に追い込んでおいて、自分達は悪くないという奴らがいない。
胸の中のヤマねーちゃんが俺の腕を握る。
「でも、やっぱり寂しいみたい。明日太がウチに来たら、今日の明日太はこうだった、という話を私はリリスにしてるの。それを聞くリリスは嬉しそうで」
「……そう、なのか」
「リリスにとって、家族みたいに思えるのは明日太だけだから。もちろん私も」
「俺もヤマねーちゃんも血の繋がった家族はアレだから」
「アレはねー、ちょっとねー、ないわー。思い出したくもないわー」
ヤマねーちゃんの肩を引く。ヤマねーちゃんは俺の身体を座椅子のようにして、俺の胸に頭を預ける。
ヤマねーちゃんの境界例人格障害。
その原因は幼児期の虐待だ。具体的に何があったのかまでは、聞いてはいないが。
俺の顎の下にあるヤマねーちゃんの頭をぐしぐしと撫でる。クセの強い黒髪に指を絡める。
「なので、学校の春休みには、俺も向こうに行こうと思う」
「その方が明日太にはいいのかもね。ちょっとさみしいけど」
「俺の身体に入るNPCには、おっぱい恐怖症の無い人格を入れてもらえばいい」
「もとの記憶が土台になるから、完全には無理だけど。そうなると私は明日太とエロいことができるようになるのかな?」
「たぶん。その俺は俺じゃ無いけれど」
ヤマねーちゃんが急にむくれる。
「なんだよ?」
「結局は、似た者どーしなんだ。ふーん」
「なにが?」
「向こうでリリスに会えば解るわ」
リリス、本物のヤマねーちゃんには、俺が向こうに行けば会える。会えたなら、そのときに改めて文句を言ってやろう。本当に顔を会わせるのが1年振りになるのか。
「ヤマねーちゃんには、俺が向こうに行くのに協力して欲しい」
「この部屋でVSWXに繋ぐってことね。その期間、明日太の家族にはなんて誤魔化すの?」
「春休みに自分探しのひとり旅、なんていうところでどうだろう?」
「それで上手くいく?」
「電話したりメッセ送ったりで、無事に旅行してるっていうのをカモフラージュできたら、あの母さんも騙せるだろ」
準備は進んでいく。俺もあと少しで向こうに行ける。ここから離れて向こうに。友人とヤマねーちゃんのいるあっちの世界に。
ヤマねーちゃんはぐんにゃりと脱力したように俺に身体を預けてくる。
「解った、協力する。その代わり」
「その代わり?」
「明日太、今宵はわらわのベッドになりや」
「仰せのままに、お姫様」
昔からヤマねーちゃんの言うことに、俺が逆らったことは無いだろに。別人でも完全な別人では無く、もとはプログラムでも感情がある。あるように見える。
それを言い出したなら人間の人格も感情も、プログラムでは無いなんて言い張れるものだろうか。
猫のように甘えてくるヤマねーちゃんは、可愛い。
ほんと、こういうとこでズルイと思う。つまりは感情のある俺のいとこの女だと、俺が感じているということだ。
だったら人間か人間じゃ無いかはどうでもいい。ヤマねーちゃんはヤマねーちゃんだ。
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