第2話◇さらば、青春の日々
「……なにしてくれんだよう……」
この世に生まれて17年。俺、
あ、ちなみにハンドルネームはトモロだ。
トゥモロー、トゥモロー、明日はー、
……世界なんて滅びてしまえ。
目の前には絶望がある。家の庭に俺の夢の残骸がある。
俺の楽しみが、俺の半生が、俺と仲間達の思い出が、俺のメモリーが、俺の世界が。全身全霊を賭けた冒険の日々が。
あぁ、形あるものはいつかは崩れ、諸行無常。まるで夢の如し、とほほー。
俺は庭に膝を着いて、両手も地面に着けて、目の前のゲショゲショにされた残骸を見る。
俺のゲーム機。俺の青春。俺のもうひとつの人生が、砕けている。
涙が出てきた。
VR機能登載、フルダイブ体感ゲームの家庭用。オンライン電脳ゲーム機。専用のヘッドギアもゴーグルも修理不能に破壊されている。これでもか、と金属バットで叩き壊された暴力の跡。まるで仇のように徹底的に破壊された、俺のゲーム機。
聖書を取り上げられて焚書にされた宗教家は、焼かれる経典を見てこんな気持ちだったのかもしれない。
こんなことをする奴は人間じゃない。鬼だ、悪魔だ、荒魂だ、破壊神だ。
俺の、愛する世界が、俺の、ゲーム機が。
ここまでするか? 中古屋に売るとか、考えなかったのか?
残骸の向こうにいるのは、俺の母さんだ。
肩に金属バットを乗せて「ふー、疲れた」とか言ってる。
その顔は自信に満ち溢れている。
俺が出掛けてる間に俺の部屋に入って、ゲーム機を庭まで持ち出して、金属バットでクラッシュしやがった。
ただいまー、と俺が帰ってきたときには、庭にゲーム機の残骸の小山ができていた。
これが我が家の破壊神様だ。
文句を言おうと顔を上げる。だけど母さんの顔を見ると、何も言う気が失せる。言葉の通じない生き物になんて声をかければいい? 母さんと話をするよりは、クジラかイルカの方がまだ会話ができるかもしれない。
呆然とする俺を母さんが見下ろす。
「冬休みだからっていつまでもゲームしてたらダメでしょ。来年は高校3年、大学受験もあるんだから。もうゲームは卒業しなさい」
と、説教する。怒ってるわけでも悲しんでるわけでもない声音。どちらかと言えば優しげな声で、当たり前のことを当たり前のように当然だと言ってるつもりなんだろう。
小遣いにバイトした金を合わせて買った、俺の
冬休みにはいつものメンツ『キノコ大好キー』で、どっぷり遊ぼうぜ、と言ってたのに。もう、それも無理なのか。
「あと、冬休みの間くらいは夜だけじゃ無くて、朝にもお経を唱えなさい。でないとちゃんとした大人になれないわよ」
なんで意味も解らないお経を唱えてたら、ちゃんとした大人になれるんだよ。相変わらず母さんの言ってることが解らない。
「それはそうよ。お母さんと明日太じゃ唱えてきたお経の量が違うんだもの。写経もしてるもの。お母さんと明日太じゃ精神の格が違うのだもの」
なんだよそれ。お経は経験値か? 人の精神の格ってなんだ? レベルアップすんのか? テッテレー。進化すんのか? バケモンゲットだぜ! 俺の知らない間に日本人は、そんな特殊な生物になってたのか? すげぇなぁ、日本人。なぁ母さん、そういうのなんて言うか知ってるか? ゲーム脳って言うんだ。
「今の明日太じゃ解らないでしょうね」
母さんが俺を見てる顔は、少し悲しそうだ。いや、これは母さんが言うところの、精神の格が下の生き物を見て哀れんでいるんだろう。
「朝晩とお経を唱えて精神の格が上がれば、いずれはお母さんのように解るときが来るわ。今は理解できなくてもいいの。信じることが大切なの」
俺は理解できないものを信じることができないんだけどなぁ。夏目漱石の行人の主人公はこんな気分なのだろうか。感情が死ぬときに思想が産まれるとか言う。うん、無駄に文学的な気分だ。
まったく、母さんの話を聞いてるだけで時間のムダだ。その上、精神に感じる疲労がハンパ無い。
立ち上がり部屋に戻る。自分の身体が、今までに無く重く感じる。
「ちゃんとお経を唱えて勉強するのよー」
息子の為に正しいことをした、という満面の笑みで母さんは金属バットを庭に投げて家に戻る。
あの残骸もバットも俺がかたずけることになるんだろう。
俺は母さんから学んだことがひとつある。
同じ国の同じ言語を知っているからといって、互いに理解しようという謙虚な気持ちが無ければ、会話は通じない、ということを。
俺には母さんの言ってることが解らない。
で、俺は母さんの言う精神の格が進化した生き物にはなれないので、なる気もないので、一生会話は不可能なんだろう。
あれがちゃんとした大人の見本なら、俺は大人になんかなりたくない。
ネバーランドはどこですか?
部屋に戻ってベッドに倒れこむ。今日こそは『
そして、例の噂。
『Beyond Fantasy memories』がバージョンアップしてから、ちらほらと耳にするあの噂。
『Beyond Fantasy memories』からログアウトできなくなる。意識がゲームの中に取り込まれて戻れなくなる。それが本当かどうか試すつもりだったのに。
同じことを調べている従姉のヤマねーちゃんのとこに行って、いろいろ聞いて、帰ってきたらゲーム機が、俺のゲーム機がぁぁぁ。
あー、生きていくのが、空しい。
もう、死のうかな。うん、それもよさそうだ。
飛び降りにするか首吊りにするか、それとも練炭自殺? 練炭ってレンたん、って書いたら萌えキャラみたいだ。ふへへ、自殺アイテムの擬人化、売れ線狙いの媚び媚びプリチーな奴、発注よろしくー。レンたーん。
あぁ、だけど死ぬ前にあいつらに連絡しとかないと。
スマホでメッセを送る。
『俺を置いて、先に行け(ノД`)…』
『母さんに
『ゴーグルもヘッドギアも、金属バットでゲショゲショに( ;∀;)』
『俺も逝きたかった(T0T)』
『『
『選択肢に無い報酬を選ぶには、『第4の報酬を望む』と大声で叫ぶんだ! 恥ずかしがるなよ!』
『これが例の噂に繋がる裏ワザ、らしい。まぁ、ダメもとで試してみてくれ。健闘を祈る( ・`д・´)b』
ヤマねーちゃんから聞いてきた噂に纏わる、ログアウトできなくなるって話は『
これを冬休みかけて皆で調べるつもりだった。それが、こんなことになるとは。
「明日太ー、暇なら庭のゴミかたずけてー」
階下から母さんの声が聞こえる。慈悲も情も無い破壊神様のお言葉が。そのゴミは俺のメモリー……。いや、母さんなりの慈悲も情もあるんだろうけれど、俺がそれをまるで理解できないだけで。
祈る気持ちを忘れずに、信じる心の力が人の精神に革命を起こす。
マジでそんなん信じちゃってんのー? もーヤダー。キモーイ。狂信者コワーイ。言ってることがワカンナーイ。
お経を唱えるなら、せめて書かれてる意味を調べて理解して実践してくれ。
でないと頑張って天竺まで取りに行った三蔵法師一行が報われないって。
この家にいても息苦しいだけだ。
今晩はヤマねーちゃんのとこに泊めさせてもらおう。この家にいると気が狂いそうになる。毎日がSANチェックだ。
「こーんばーんわー。そんなわけで、一晩泊めてくれ」
ヤマねーちゃんのアパートに乗り込む。
「あーのね。女が一人暮ししてるとこに、いきなり来て泊めてとか。明日太は友達いないの?」
「いることはいる。だけど友達の家族に迷惑かけるのはよくない」
「私にはかけていいってのか」
「俺んちのこと知っててなんとかしてくれそうなの、ヤマねーちゃんしかいないし」
「明日太、将来、ヒモにでもなるつもり?」
「それで暮らしていけるなら、悪くねーよなー」
「明日太がヒモになるなら、女への気の使い方が足りないんじゃ無い? それに体質のことも」
「ヤマねーちゃん、引きこもりが立派なこと言うようになったよなぁ」
「うるさい、いつまでも昔のことを」
もと引きこもりのヤマねーちゃん。大学卒業してから入った会社でOLやってたが、そこでセクハラにパワハラされて退職。2年くらい引きこもりながら病院に通院してた。
あのときはいろいろヤバかった。向精神薬かなんか知らないが、1日中ボーッとしてたりとか。俺が手を引っ張って散歩に連れていったりとかしてた。薬を飲んだら鈍くなってボーっとしてて。薬を飲んで無かったら、
「あの頃のヤマねーちゃんは可愛かったのに。俺にしがみついて泣いてたりしてたのに。俺が抱っこして寝かしつけたりしてたのに」
「うるさい、いつまでも昔のことをぶちぶちとー」
ヤマねーちゃんが照れた顔で枕を投げてくる。
「それがなんで今のヤマねーちゃんがザーニスに勤めてるんだ」
「人の縁って、不思議よねー」
ヤマねーちゃんは、今は会社に勤めてる。それも
引きこもりながらやってたネトゲで知り合ったのがザーニスのゲーム開発という奴で。
「それでゲームの中で知り合ったってだけで、そこから就職になるのかよ。それもザーニスのゲーム開発って」
「ただのテストプレーヤーだったのにね」
かって知ったるヤマねーちゃんのアパートの中。押し入れから俺の寝袋を取り出して広げる。こうしてヤマねーちゃんのところに来るので、いろいろと用意はしてある。
「明日太が来てくれると掃除も洗濯もしてくれるから、ありがたいけどね。でも女の部屋に1泊って、あんた彼女とかいないの?」
「俺は一生結婚しないと決めてんだ。彼女なんているか、そんなもん」
「硬派ねぇ。いや、高校生でそれは枯れてない?」
「草食系の更に上の植物系が潤いを取り上げられたら枯れもするだろ」
「あの家族見てきたらそうなるのか」
いや、もう、ほんと。家族とかいらない。結婚とかいらない。人付き合いは友人だけでいい。
今日はなんか疲れた。早く寝よう。
「明日太、なに先に寝ようとしてんの?」
黒のジャージのヤマねーちゃんが近づいてきてた。缶のビールを差し出して。
「ま、1杯飲め」
「いらね。俺、呑んでも酔わねーし。気持ち悪くなるだけだし」
「呑み慣れたら変わるかもよ?」
「未成年に酒勧めんなや」
「明日太さー」
「何?」
「近くにいるのが私でも、寛げない?」
ヤマねーちゃんは缶ビール呑みながら俺を見る。こーいうとこズルいと思う。俺は溜め息吐いて。
「家にいるより、こっちのアパートの方が落ち着いて眠れるよ」
俺が1番熟睡できるのは、学校の授業中だけど。
いや、『Beyond Fantasy memories』をやってるときが、身体は休めているか。意識は電脳ゲームの中だけど。
「で、明日太。『
「俺のパーティが行ってるハズ。おれもボス戦やりたかった……」
「ほー、で、噂の方は? 噂のもとになるものでも見つかった?」
「そんなん解らんね。
「やっぱりそのくらいだよね。じゃ、明日太の友達は例の方法、試したのかな?」
「ボス倒してたら、ものは試しとやったんじゃないか? 明日、聞いてみる」
「ふーん」
ヤマねーちゃんはビールをクイと呑んで、さきいかを口に入れる。もぐもぐしながら。
「予定は変わったけど、これはこれでいいのかな」
予定? なんの予定だろ? まあいいや。
寝袋に潜って横になる。今日はもうなんにも考えたくない。
もう、『Beyond Fantasy memories』の中に行けないのか。あそこでみんなと遊べないのか。はぁ。
クッソツマンネー。あー、人類滅亡とかしねーかなー。
ポスンと腹の上になにか落ちる。ヤマねーちゃんの頭だ。
ヤマねーちゃんは寝袋に入った俺の腹を枕にして、テレビを見ながらビールを呑む。
アパートの部屋に男女が二人きり。だけどヤマねーちゃん相手にエロい気分にはならない。いや、まるで無いという訳でも無いんだが。ヤマねーちゃんのパンツもブラジャーも洗濯してると慣れるもんだ。
ヤマねーちゃんも昔と違って情緒不安定になって、俺に抱きついてきたり泣き出したり引っ掻いてきたりしなくなった。
それはそれで、少し寂しい気もするが。
「ま、明日太には面倒かけたしね。今度は私が面倒見てやるから」
「おー、頼むー」
「代わりにウチの掃除と洗濯、よろしく。できたら風呂掃除も」
「宿泊代の代わりにやっとくわ」
「あと、今宵はわらわの枕になりや」
「仰せのままに、お姫さま」
つーか、もう枕にしてるじゃねーか。なんかニヤニヤしながらビール呑んでるし。
あの頃が嘘みたいに元気になったよな、ヤマねーちゃんは。
「何?」
「別に」
女は苦手、というか話の通じない人間全般が苦手なんだが。女だとヤマねーちゃんだけは例外だ。話もできる。普通に触ることもできる。なんでだろ。
腹の上に乗るヤマねーちゃんの頭の重みが心地よい。
おやすみー。
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