第13話 過去-7

過去-7

 

 

2016/06/14

 

「……わかんねぇ」

 

 俺は化学の参考書を見ながらボヤく。

 さっきの授業がもう大体知っている内容だったから、自習していたのだが、参考書の問題の一つが解答・解説見てもイマイチわからない。

 ……たまにあるのだが、解説を『略』とだけ書く参考書は怠慢だと思う。

 今は10分休みだし、誰かに聞こうか。

 隣の席を見ると、菅野は見事に爆睡していた。

 こいつは授業の多くを寝て過ごしていて、そのくせ成績がそこそこ高いものなのだから羨ましいものだ。

 昼夜逆転してるだけなのかもしれないが。

 寝ているところをわざわざ起こすのも悪いし、別の奴に聞きに行こう。

 ……あいつは文系だが、他の理系選択の知り合いより断然頼りになるし、あいつに聞こう。

 教室の真ん中にいる奴に向かって歩く。

 

「なぁ」

 

 俺は次の授業の準備をしているそいつに後ろから声を掛ける。

 

「ここの問題教えてくれないか?」

 

「ん。良いぞ」

 

 夕は快く引き受けてくれた。

 

「どんなのだ?」

 

「これ」

 

 俺は参考書内の問題を指さしながら、夕に渡す。

 

「解説見てもわからなかった感じか?」

 

 その問題の解答を探しながら夕は聞く。

 

「解答はあるんだけど、解説は載ってなかったんだよこの問題」

 

「なるほど」

 

 夕はその問題と解答を見比べながら考える。

 

「……すぐにはわかりそうにないから、もしかしたら授業後になってしまうが、良いか?」

 

「そんなのは全然構わないが、なんか悪いな」

 

「気にするな」

 

 そう一言言うと、夕は問題を解くのに集中し出した。

 俺も横で考える。

 ……

 チャイムが鳴った。

 

「……すまんな」

 

「別に良いよ。ありがとう」

 

 俺は参考書を手に自分の席に戻る。

 まだ寝ていた菅野の机を軽く蹴ってから、次の授業のノートをカバンから取り出す。

 次は英語の時間だ。

 ……

 授業が始まって10分ぐらい経ったころだった。

 ブブブ。

 携帯がメールを受信して震える。

 携帯を開く。

 そこには夕から『さっきの問題』という題名のメールが来ていた。

 メールを開くと、さっきの問題の解説が短く書いてあった。

 ……本当、良い奴だよあいつ。

 

 

「夕、さっきはありがとう」

 

 いつもの屋上での昼食で、俺は問題を教えて貰った礼を言った。

 

「……ああ、化学の問題のことか」

 

 夕は最初、何のことだかわからなかったようだ。

 

「うん。優夜の役に立てて良かった」

 

 そう言って、夕はニッコリと笑う。

 ……もう夕と知り合って二年は経つが、夕の笑顔を見ると心臓がドキリと反応することは、未だにかなりある。

 三年生になって、夕とようやく一緒のクラスになれたが、あまり俺と夕はクラスで会話をしていない。

 理由としては、俺も夕も、一、二年生の頃は、二人で会ってる時間は以外は大体勉強していたからだ。

 結局その習慣を付けたまま三年生という受験生の学年になったため、教室内での10分休みとかはずっと勉強している感じだ。(あと、席が遠い)

 それに、やっぱりここは進学校なのか、三年時にはもう受験でピリついてる人がいるので、あまり衆人環境でイチャつくのもどうかと思ったというのもある。

 ……まぁ、クラスで何かしらかのグループ分けのときは、夕と一緒になるようにしているのだが。

 

「そういや、夕。今回のテスト、学年で三位だったな。すげぇよ、ホント」

 

「ありがとう。というか、優夜も良かったよな」

 

「ああ。俺も今回は結構上手く行った」

 

 前期の中間テスト。俺は学年で六位だった。

 

「ふふ。次はもう負けてるかもしれないなこれは」

 

「……なんだか余裕のある笑みだなぁ」

 

「そんなことないさ。別に勝ち負け自体はどっちでもよくて、君と同じくらいの順位っていうのが嬉しいだけだ」

 

「……」

 

 ……こいつは時折俺のことを察しが良いとか言うが、俺は夕の方が何倍も察しが良いと思う。

 

「徐々に成績上げていったもんな、優夜」

 

「……お前から下がっても良かったんだぞ」

 

「手を抜くのは弟への誓いに反するし、それに君に対して失礼だろ」

 

「まぁなぁ……」

 

 俺は空をぼんやりと見上げる。

 

「……でも、別にどっちでも良かったんだぞ?」

 

「なにが」

 

「もう、私達は恋人同士だろ?進路が同じじゃなくても好きなときに会えるさ」

 

「……まぁ、そうだけど、できるだけ一緒に居たいよ、俺は」

 

「それは勿論、私もだ」

 

 俺は視線を夕に移す。

 夕もこちらを見ていた。

 ……

 

「お前、大学どこを受けるの?」

 

 夕とは長く一緒にいるが、初めてこの質問をした。

 

「うーん……私、まだ特に拘り無いんだよな、経済学部が良いかな、ってことぐらい」

 

「へぇ……」

 

「優夜はどこを受けるんだ?」

 

「俺は理工学部の数学か物理って感じかなぁ……拘りは特に無い」

 

「ふーん……」

 

 俺と夕は互いに大学名は出さずに学部だけ言う。

 ただ、俺達の偏差値ぐらいで、この辺りで理工学部と経済学部がある大学と行ったら……

 

「まぁ、一応だが、俺は赤橋大学に進もうと考えてる」

 

 赤橋大学。

 高学歴の大学の一つには必ず挙げられる大学だ。

 

「奇遇だな。私もそこにしようと思ってた」

 

「へぇ。偶然だな」

 

 ……

 

「……なんか白々しくないか、これ」

 

「ふふ。そうだな」

 

 お互い、相手と同じ大学にしようとしてるのは明らかだ。

 わざわざランクを落としたり、行きたくないとこに行くのは変な話だが、お互い特に譲れない拘りは無いみたいだし、合わせれるなら、できるだけ合わせたかった。

 

「まぁ、これからも勉強頑張らないとな」

 

「そうだな。だるいけど」

 

 そろそろ、授業始まる。

 教室に戻ろう。

 立ち上がり、屋内に続くドアに向かおうとすると

 

「優夜、ちょっと待て」

 

「ん?」

 

 俺は夕の方に振り返る。

 そしたら、夕にキスされた。

 ……

 

「うん。これで今日一日、君も私も頑張れるな」

 

「……はは」

 

 夕の言い草に俺はつい笑ってしまう。

 でも

 

「ああ。なんだか、元気が出てきた」

 

「そうだろ」

 

 俺と夕は笑いながら、屋内に戻っていった。

 

 

2017/03/03

 

「なぁ、夕」

 

「うん?」

 

「今から、屋上に行かないか?」

 

 夕とは何回も屋上に行っているのに、夕を屋上に誘う言葉を告げたのは今ので初めてだ。

 俺達はイチイチ約束しなくても、昼休みになると屋上に向かっていたから。

 だけど、今日は。

 

「……うん。行こうか」

 

 夕はそのまま立ち上がり、屋上に向かって歩き始める。

 俺はその後ろを付いて行く。

 二人共、筒を持ちながら。

 卒業証書が入っている筒だ。

 今日は、俺達の卒業の日だった。

 

 

「やっぱり、ここは風が気持ち良いな」

 

 夕は柵に寄りかかりながら、そう言う。

 

「そうだな」

 

 俺もそれに同意しながら、隣に寄りかかる。

 ……ここは夕との想い出の場所だ。

 夕と初めて会って、夕と数多く過ごした場所。

 

「……あの日、ここに来て本当に良かった」

 

 夕は、かつて夕が一人で泣いていた場所を見ている。

 

「……それは、俺のセリフだ」

 

 俺は、かつて俺が驚いて固まっていた屋上の扉前を見る。

 

「あの日、もし俺が完璧に学校サボっていたら、お前と会うことも無かったのかなぁ」

 

「こんなめでたい日に怖いことを言うな」

 

 夕は半目でこちらを睨む。

 ……確かに、想像してみたらものすごく怖かった。

 でも

 

「なんとなくだけど、いつかは夕に会っていた気もする」

 

「え?」

 

「例えあの日ここで会わなくてもさ、俺とお前は同じ学校の同じ学年だろ。だから、この三年間のどこかで会えたと思う」

 

「……」

 

 夕は目を見開いている。

 

「そして、俺は夕を好きになる」

 

「……」

 

 夕は黙ったまま、じっと俺の顔を見ている。

 だがら、俺は言葉を続ける。

 

「あの日、俺がお前に声を掛けたのは偶然だけど、お前と関われば、俺は絶対に夕を好きになる」

 

 だって、今これ以上ないくらい夕の事が好きなんだ。

 好きにならないわけがない。

 

「……なんで」

 

「なんで、ってそりゃあ、俺がお前の全部が好きだからだよ」

 

 ……これでも全然控えめな方だ。

 

「脆さを抱えてるのに、立派になろうとする心の強さも。人と関わりたくないと言いながら、他人を助ける優しさも」

 

 恥ずかしいから、口に出した事ないけど。

 

「表情がコロコロ変わるところも。ああ、特に夕の笑顔は良いな。本当に明るく笑ってくれるから、見てるこっちの気分も良くなってくるし、何よりめちゃくちゃ可愛い」

 

 俺は夕を愛してる。

 

「あと、見た目も良いな。スタイルも顔も。お前、可愛いより綺麗寄りの顔しているくせに、表情は可愛い表情してくるもんだから、良いとこ取りしてて、もはやズルい」

 

 だから、今言っている事なんて、照れ隠しみたいなものだ。

 

「あと、頭の回転の良さも良いな。よくそんなことわかるな、って思うぐらい察しが良くて、イケてると思う」

 

『愛してる』とは恥ずかしくて言えないけど、それでも想いは溢れ出てしまうから。

 

「なんだか、変な方向に話が進みそうだから、ここらでまとめるぞ」

 

 俺は自分の想いを過小に言おう。

 

「俺は、夕の何もかもが好きだ」

 

 愛してるって言えるその日まで。

 

「俺は夕が好きだ」

 

 だから、もしあの日とは別の形で俺が夕と出逢ったとしても

 

「こんなにも魅力しかないお前を好きにならないことなんて絶対に無い」

 

 言い切ることができた。

 

「……ふふ」

 

 夕は笑ってる。

 

「そうか、優夜は私が好きなのか」

 

「ああ」

 

「優夜は、どんなときでも私を好きになってくれるのか」

 

「ああ」

 

「……ふふ」

 

 夕は笑っている。

 

「優夜、好きだ。誰よりも何よりも、君が好きだ」

 

 目に涙を浮かべながら。

 

「君と出会えて、君と一緒に居れて、私は本当に幸せだ」

 

 夕は自分の顔に手をかざす。

 涙を消すためだろう。

 

「ああ、俺もお前と一緒に居れて、幸せだよ」

 

 夕は自分の顔から手を外す。

 やはり、夕の顔から涙は消えていた。

 

「……なぜ、優夜の顔が目の前にある」

 

「そりゃ、お前が目を覆ってる間に、キスしようと俺が近付いたからじゃないか?」

 

「なるほど、理解した」

 

 俺と夕は至近距離で見つめ合う。

 

「夕、言いたいから、同じことでも何度でも言うぞ」

 

「何度でも聞きたいから言ってくれ」

 

「俺は、夕が好きだ」

 

「私も君が好きだ」

 

 そのまま、俺と夕はキスをした。

 ……この学校で夕と何回好きって言葉を交わしただろう。

 何回この学校でキスをしただろう。

 この三年間、俺と夕は何回も繰り返した。

 バカみたいだけど、とても幸せな時間だった。

 だけど、ここでもう、その時間を重ねることはない。

 だから、新しい場所でまた続けよう。

 この幸せな日々を。

 愛してる人と一緒に。

 

 

「あ、そうだ」

 

 俺と夕は靴を上履きからローファーに履き替え、校門までの道歩いている最中に思い出した。

 

「桜の前で写真撮ろうぜ」

 

 二年前、桜の前で制服姿の夕を撮ろうと思ったことを。

 

「そうだな。写真撮ろう」

 

 夕も乗り気みたいだ。

 

「それにしても、良くこの時期に桜が咲いたな」

 

「地球温暖化の影響かな。温暖化も良い事するんだなぁ」

 

 二年前、卒業の時期は意外と桜が咲かない事をわかっていなかったが、咲いてくれて良かった。

 

「夕のを撮るから、桜の前に立ってくれ」

 

「ああ」

 

 夕は俺の言う通り、桜の前に立つ。

 

「はい、チーズ」

 

 写真を撮る。

 写真は、卒業証書が入った筒を右手に持って、桜の前に立っている夕の写真。

 ……うん、良い絵になってる。

 

「じゃあ、優夜のも撮るぞ」

 

「おう」

 

 俺の分の写真も撮る。

 ……

 誰か声かけて、ツーショットのも撮りたいな。

 周りの人を探す。

 ……知り合いがいた。

 いや、知り合いというのは少しよそよそし過ぎるか?

 もう、こいつとも三年の付き合いだし、意外と馬も合っていた気がする。

 そういう意味では俺とこいつは友達なのだろう。

 

「よう、菅野」

 

 俺はそいつに声かける。

 ……

 今一瞬、こいつに頼むのは無神経だったか?いや、でも三年前の時点で夕への好意は否定していたし、気にし過ぎか?と悩んでいるうちに向こうから言葉を発してきた。

 

「お前ら、やっと見つけた」

 

「見つけた?」

 

 菅野は俺と夕を探していたようだ。

 

「あっちで三年A組のみんなで写真撮るって話になってるのに、お前らだけ消えるから、俺が探す羽目になったんだぞ」

 

「そいつは悪い」

 

 俺は素直に謝る。

 

「それは良いから、早く来い」

 

「「ああ」」

 

 俺と夕の声がハモる。

 

「お前ら、本当仲良いなー。お前らさっきまでどこにいたの?」

 

「それは秘密だ」

 

 悪いが、屋上は俺と夕の想い出の場所だ。

 

「ああ、場所自体は知らんが、お前らが逢い引きしてる場所か」

 

「……逢い引きって…………」

 

「事実だろ?」

 

 菅野は最早見慣れたいつものニヤニヤ笑いを浮かべている。

 

「なぁ、中原」

 

 菅野はターゲットを俺から夕に変えたみたいだ。

 ただ菅野は

 

「ん、なんだ?」

 

「入学した頃と違って、今の中原、なんか幸せそうだよな」

 

 いつものニヤニヤ笑いではなく、優しげな笑みだった。

 

「……そう見えるか?」

 

「見えるよ。バカップルめ」

 

 また、いつものニヤニヤ笑いに戻る。

 

「……ありがとう」

 

「今のは罵倒なんだけどなぁ」

 

 菅野は校門の方に向かって歩く。

 そこにクラスメイト達がいるのだろう。

 

「あ、お前ら、二人っきりで写真撮った?」

 

「いや、撮ってない」

 

 俺は首を振りながら返事をする。

 

「じゃ、あとで撮ってやるよ」

 

 菅野は軽い調子で言う。

 ……

 

「……ありがとう」

 

「こんな事でシミジミとお礼言うなよ。しかもさっきの中原と雰囲気や言い方が似てるし。仲良しアピールか?」

 

「うん。私と優夜はずっと一緒だ」

 

「いや、マジレスは困るんだけど……しかも俺が言ったことより重くなってるし……」

 

 菅野は夕の直接的な物言いで、少し引いてる。

 俺達はそんな会話を交わしながら、クラスメイト達の元へ向かった。

 

 

「このままショッピングモールに行かないか?」

 

 卒業式から帰り道、夕は俺にそう提案した。

 

「ああ、そうしようか。この格好でぶらつくのも最後だしな」

 

 俺はそれに同意を示す。

 

「じゃ、行こうか」

 

「ああ」

 

 

 俺と夕はショッピングモールを二人並んで歩く。

 夕に誘われて来た形だが、俺はちょっと目当ての店があった。

 

「なぁ、夕。ここの店に入って良いか?」

 

「わかった……ってここは」

 

 俺が示したのは、アクセサリーショップだった。

 

「優夜、アクセサリー欲しいのか?」

 

 今まで俺がこの手の装飾品に興味を示したことはない。

 

「ちょっと興味持ってな」

 

「ふーん……」

 

 俺と夕は店に入る。

 ここは数千円でも買えるアクセサリーも置いてあるので、手が出しやすい。

 ……

 

「なぁ、夕。これ試着してみてくれ」

 

 俺は太陽を象ったペンダントトップのシルバーネックレスを夕に渡す。

 

「別に良いが……」

 

 夕はそのネックレスを身に付ける。

 チェーンはやや長めで、胸のやや下の辺りにペンダントトップがぶら下がっている。

 

「良い感じだな。夕はどう思う?」

 

 夕は近くにいた鏡を見る。

 

「……うん。こういうの好きだな」

 

「じゃ、それをお前へのプレゼントにするか」

 

「良いのか?」

 

「ああ。卒業の思い出でなんか買いたくなった」

 

「……ずるい」

 

「あ?」

 

「私だけ貰ってばかりで、君へ何もあげれないのは悔しい。私も君へ何か買いたい」

 

 夕はネックレスを俺に渡し、俺が取ったネックレスと同じコーナーを物色する。

 ……

 

「なあ、君はペアルックとかどう思う?」

 

「ペアルック?……まぁ、物によるな。今回のネックレスだと、ペアルックだと結構嬉しいかも」

 

「そうか。奇遇だな、私もだ」

 

 夕はネックレスのコーナーから、俺が夕に選んだのと同じシリーズのシルバーネックレスを俺に渡す。

 チェーン部分は全く同じで、ペンダントトップの大きさや装飾の方向性は同じだったが

 

「月、か」

 

「そうだ。君は優しい夜だからな。月が良いかなって思ったんだ」

 

 なるほど、名前からか。

 

「ま、俺も夕日から、太陽のを選んだんだけど」

 

「なんとなくそんな気がしてた」

 

 俺は夕と喋りながら、ネックレスを試着する。

 

「俺みたいな男がネックレスを付けるのはどうかと思ったんだけど、思ったより良いな」

 

 制服の上からなので、不良っぽさがそこそこ出てるが。

 

「うん。かっこいいぞ」

 

「そうか?」

 

「ああ。だからそれを優夜にプレゼントにするぞ」

 

「それは嬉しい話だな」

 

 俺は自分の首にかけていたネックレスを夕に渡す。

 

「じゃ、買おうか」

 

「ああ」

 

 俺達は互いへのプレゼントを買うために、レジへ向かった。

 

 

「卒業おめでとう。夕」

 

 店に出たあとすぐに、俺は夕にネックレスを渡そうとする。

 ……いや、待てよ。

 

「夕、ちょっとそのまま動くな」

 

「?わかった」

 

 俺はネックレスのチェーンを外すと、それを夕の首の後ろに手を回すようにして、夕の首にかけようとする。

 ……まるで抱きついているかのような格好だな、これ。

 夕の顔が目と鼻の先だ。

 手探りでやっているから、中々上手くいかない。

 ……

 できた。

 俺は数歩後ろに下がる。

 

「おー、よく似合っているな、それ」

 

「……ありがとう」

 

 夕の顔が少し赤い。

 俺も同じことになっているだろう。

 

「ほら、次は優夜の番だ」

 

「……おう」

 

 俺はその場で固まる。

 今度は夕から俺の方に近付いてくる。

 夕が先程の俺と同じように首の後ろに手を回す。

 

「優夜」

 

 夕はネックレスを俺に着けようとしながら、俺に話しかける。

 近過ぎて、夕の息が顔に軽くかかる。

 その距離のまま

 

「卒業おめでとう」

 

 綺麗で可愛い笑顔で祝福をくれた。

 俺は左右に素早く視線を向ける。

 ……残念、周りに人が居るからキスができない。

 またあとでしよう。

 夕は後ろ歩きで数歩下がる。

 

「似合ってるぞ、優夜」

 

「そいつは、良かった」

 

 夕とお揃いのネックレス。

 こういうペアルック的なのは初めてだけど、結構嬉しいものだった。

 

「中々良い買い物できたし、今日はもう帰らないか?」

 

 俺が夕にもう帰ることを提案する。

 

「そうだな、クラスの連中との卒業パーティも結構後だしな」

 

 俺は時計を見る。

 大体今から四時間後だ。

 

「……なぁ、今から俺の家に寄ってくか?」

 

 ここから俺の家までそんなに遠くない。

 

「……」

 

 夕も時計をチラリと見る。

 

「優夜、私も一度私服に着替えに家に帰らないと行けないから、そんなに優夜の家にいれる時間ないぞ」

 

「あ」

 

 そこまで考えていなかった。

 

「だから、卒業パーティのあとに優夜の家に行っていいか?」

 

 代わりに、夕が嬉しい提案をしてくれた。

 

「……ああ。勿論」

 

 俺は頷く。

 

「なんなら泊まっていくか?」

 

 最近は互いに受験で忙しくて、あんまり泊めたり泊まったりまではしていなかったから、今日みたいな日には、長く一緒に居たかった。

 

「……うん。そうしようか」

 

 夕は柔らかく微笑む。

 胸元のネックレスを光らせながら。

 

 

2017/06/14

 

「……い」

 

 アパートの狭い一室の中。

 なにか、音が聞こえる。

 その音で意識が内から外へ引っ張られそうになるが、眠気が勝った。

 俺は掛け布団を頭までかける。

 

「……ろ」

 

 俺は寝ていたい。

 

「優夜、起きろ!」

 

「うおっ」

 

 掛け布団が体の上から消滅する。

 誰だ、俺の眠りを妨げる奴は。

 いや、そんなの一人しかいないが。

 

「……おはよう、夕」

 

 眠気がかなりあるが、とりあえず目の前にいる彼女に挨拶をする。

 

「おはよう、優夜」

 

 夕もにこやかに挨拶を返してくる。

 かと思ったら

 

「……って今挨拶してる時間なんてない。急げ。早くシャキッとしろ」

 

 慌て顔で俺を引っ張り起こす。

 

「どうしたんだよ、一体……」

 

 俺はまだ眠く、足元が覚束ない。

 

「時間を見ろ」

 

 夕はそう言って、洗面所に消えていった。

 

「時計……?」

 

 俺はその辺に置いてあったスマホを手に取って、画面を点ける。

 今は8:30

 ……

 

「一限まであと20分しか無いじゃねぇか!」

 

 目が覚めた。

 

「だから急げって言っただろ!」

 

 洗面所から夕の声が飛んでくる。

 

「目覚ましは!?」

 

「私はかけ忘れた」

 

「……俺も忘れた」

 

 二人して忘れるとは……。

 ……今日の一限の力学は毎回始めに出席点を兼ねた小テストをやるから、始めからちゃんと出てたい。

 夕の授業は忘れたが、夕もこの時間は同じように授業始めに小テストをする科目だったはずだ。

 俺も急いで洗面所……は今は夕が使ってるし、ここでさっさと着替えるか。

 寝巻きを脱ぎ捨て、ジーパンを履き、シャツを着ようとする。

 

「うわっ、君、着替えてるなら着替えてると言え」

 

 洗面所から戻ってきた夕がほぼ裸の俺を見て、顔を手で覆っている。

 

「今更じゃねぇか」

 

「そうかもしれないが、いきなりとなれば話は別だ。君も部屋に踏み込むのと同時に、着替え中の私を目撃することになったら、驚くだろ?」

 

「……まぁ、驚くな」

 

 というか、ちょっと興奮するかもしれない。

 

「鼻の下が伸ばしてる暇あるなら、さっさと着替えて洗面所に行け」

 

「しっかり見てるじゃねぇか」

 

「あ」

 

 指の隙間から見ていたようだ。

 

「ジッと見てたわけじゃない、そう、チラ見してただけだ」

 

「別に言い訳しなくていいし、それ何にも言い訳になってないぞ?」

 

 なんか夕の顔が少し赤くなってる。

 可愛いから弄りたいのだが

 

「おい、マジで時間ないから、急ぐぞ」

 

「……ああ」

 

 なんか夕が不服そうな気がしたが、忙しいので後回しにする。

 俺は洗面所に飛び込む。

 

「優夜。私、部屋で着替えているから、良いというまでこっち来るなよ」

 

 洗面所で適当に洗顔をする。

 ……

 

「優夜、着替え終わったぞ」

 

 俺は夕の声が聞こえるやいなや、部屋の中に飛び込み、リュックを掴み取る。

 

「夕、行く支度は終わったか?」

 

「ああ。終わってる」

 

「じゃあ、出るぞ!」

 

 二人して飛び出すようにして部屋から出る。

 俺は慌てながらも鍵はちゃんとかける。

 歩きと走りの中間ぐらいのスピードで動く。

 時計を見るとあと10分。

 大学の講義棟まで、ここから歩いて15分弱だから、このぐらい速くすればギリギリ間に合うだろう。

 ……

 俺と夕が通う大学、赤橋大学が見えてきた。

 

 

「じゃ、優夜。また昼でな」

 

「ああ」

 

 俺と夕は学部が違うので、講義棟も違う。

 別々の道に分かれる。

 あと、7分。

 

 

「ハァ……ハァ……」

 

 息が切れてる。

 だが、なんとか間に合った。

 扉の一番近くの席に座る。

 

「ふぅ……」

 

 息を整え、教科書とルーズリーフを机の上に出す。

 それと同時に教授が教室に入ってきた。

 授業が始まる。今にも寝てしまいそうだが。

 

 

『言い忘れてたんだが、今日課題を図書館でやるから、先に帰っててくれ』

 

 昼食食べた直後の三限目の授業中、夕からのメッセージがスマホに届いた。

 

『いつぐらいまでかかりそう?夕飯は作っといた方が良いか?』

 

 欲しいものがあるため、最近色々なバイトをやっているのだが、今日はバイトが無い日だ。

 返信を送り、黒板の板書を手元のルーズリーフに写す。

 ブルル。

 夕からの返信はすぐに来た。

 

『夕飯までには帰れると思うが少し過ぎるかも。作ってくれると助かる』

 

 俺はそれに

 

『わかった』

 

 とだけ返す。

 ……それにしても、最近俺の家が基本になってきたよなぁ。

 俺と夕は『一応』同棲はしていない。別々に大学近くの部屋を借りている。

 ただその部屋が同じアパート内の一階と二階という位置関係だし、ほぼ毎日のようにどちらかの部屋に二人で暮らしているのだが。

 そして、俺の部屋が一階にあるという至極雑な理由で、夕が俺の部屋に居ることの方がほとんどだ。

『物を取りにイチイチ二階に行くのが面倒』って理由で夕の衣類や日用品もそこそこある。

 部屋自体はそんなに広くないので、逆に俺の持ち物であまり使わないものは二階の夕の部屋に置いてある。お互い相手の部屋の合い鍵を持っているし、一回の俺の部屋が生活部屋、二階の夕の部屋が物置部屋って様相だ。

 ……あれ?これ、二部屋借りてるだけでやっぱり同棲なのでは?

 自分で自分の思考にツッコミを入れる。

 まぁ、そんな言葉遊びはどうでもいい。

 俺と夕が幸せに過ごせるかどうかが重要だ。

 ……それにしても、今日夕は遅いんだよな。夕飯、冷蔵庫の中身的にカレーが良いかな、夕が家に帰ってきたらすぐ食べれるようにしときたいし。

 

「……あ」

 

 夕飯の献立について考えていたら、まだルーズリーフに写していないとこもまで、黒板の文字が消される。

 ……あとで誰かにノート見せてもらうか。

 

「はぁ……」

 

 面倒くさい。

 

 

「ただいま」

 

 18:30。

 大体うちの夕飯の時間は18時から19時なので、結局夕飯を食べる時間はいつも通りになりそうだ。

 

「おかえり、夕。課題、上手くいったか?」

 

「うん。なんとか今日中に終わらせられた。ただ変でしつこいナンパにあったのが少し嫌だったな、しかも図書館でだぞ」

 

「……へぇ。どんな奴だよ、そいつ」

 

『夕は綺麗だからナンパされて当たり前だ』って気持ち二割と『俺の夕に変なちょっかい出すんじゃねぇ。シメるぞ』って気持ち八割で聞く。

 

「茶髪で背が高かったな。名前は確か石田……ナントカって言ってて、君と同じ学科で同じ学年っぽかったぞ」

 

「石田?」

 

 そんな奴居たか?と思ったが、同じ学年同じ学科の連中の名前を全部覚えてるわけではないし、単純に覚えてないだけだろう。

 

「……というか、この匂い、カレーか?」

 

 夕がキッチンから漂ってくる匂いに気付く

 

「ああ、今日はカレーだ。今すぐ食べれるけど、どうする?帰ったばかりだし、少し後にするか?」

 

 まぁ、石田某とやらはどうでもいい。

 今は夕にゆっくりとしてもらいたい。

 

「うーん……。いや、お腹減ってるし、今食べたい」

 

「そうか。じゃあテーブルのところで座ってて」

 

「優夜が夕飯作ってくれたんだし、残りの準備ぐらい私がしたい」

 

「お前は今帰ってきたばっかで、やっと一息ついたところだろ?だから俺が色々したいんだよ」

 

「……そう言ってくれるなら、優夜の言葉に甘えよう」

 

 夕はテーブルの前に座る。

 俺はまずコップに水を汲み、その後にスプーンとカレーライスを盛り付けた皿を二枚、テーブルに並べる。

 

「ありがとう」

 

「おう」

 

 夕の笑顔に俺も笑顔で返す。

 さて。

 

「「いただきます」」

 

 二人で合掌し、スプーンでカレーを口に入れる。

 ……

 

「……どうだ?」

 

 俺も夕に料理を教わって、大分作れるようになったとはいえ、まだ夕の方が断然上手い。

 ゆえに夕一人または俺と夕の二人で作る事が多かったから、比較的簡単な料理とはいえ、俺一人で作った料理を夕が美味しいって思ってくれるのかは、少し不安だ。

 

「うん。美味しいぞ」

 

 そう言うと、夕はすぐに次の一口を口に入れる。

 その動きで、俺の作ったものが不味くなかったことがわかり、俺は安堵の息を小さく吐く。

 

「?優夜も食べろ。美味しいぞ」

 

 夕は俺のスプーンが止まってることを不思議に思ったようだ。

 

「……ああ。そうだな」

 

 俺はカレーを口に入れる。

 うん、確かに美味しい。

 だけど、少し不思議な気分にもなった。

 俺は夕と出会うまでは、アイスと惣菜パンと冷凍食品を一人っきりで行ったり来たりしてるような食生活だった。

 自分で飯を作る能力も気概も無かったのだから、当たり前だ。

 だが今は、俺は夕に教えてもらった料理を、自分のためだけじゃなくて、二人のために作って、人と一緒に食べている。

 それがなんだか、夕と二人で過ごしてきた証のように思えて、ちょっと嬉しくなった。

 

 

2017/08/25

 

「ただいまー」

 

 俺は自分の部屋の玄関を開けて入る。

 

「おかえり。バイトお疲れ様」

 

「ありがと」

 

 俺は塾で講師のバイトをやっている。楽な割には実入りもそこまで悪くない。

 

「優夜、そういえば、欲しいものがあるって言ってたけど、その金額にはまだ届かないのか?」

 

「ああ」

 

 本当はもう届いてるどころか購入しているのだが、買った事実どころか、何を買おうとしていたのかすら夕には秘密にしてある。

 

「それにしても、何を買おうとしてるのか、気になるな……」

 

 だから、この話になると、夕はいつも中身を知りたがる。

 だが、それも当たり前で、俺が夕の質問にちゃんと答えずにはぐらかす事なんて、滅多に無い。

 俺が逆の立場でも、気になるだろう。

 

「車か?でも、優夜、免許持ってないしな……。楽器の類か……?」

 

 夕は首を捻って考えてる。

 

「あー、でも免許も取りたいな」

 

「それは私も取りたいな」

 

 うんうん、と夕は頷いている。

 

「……今サラッと言ったということは、優夜の中で車関係は隠そうという意識はない?」

 

 と思ったら、また首を捻り出した。

 

「まぁ、そんな大したことじゃないから、気にすんなって。というか、今日の夕飯は何?」

 

「露骨に話題逸らしたな……。今日の夕飯は豚カツだ」

 

 夕はちょっと不満そうだが、律儀に俺の質問に答えてくれる。

 

「マジか。楽しみだ」

 

「そうか。今から揚げるから、テーブルで座って待っててくれ」

 

「ああ」

 

 夕はもういつもの笑顔で会話に応じてくれる。

 もう夕が先程の『俺の欲しいもの』について忘れた……とかではなく、俺が言うつもりないのに何度も聞いても無駄だと思っただけだろう。

 ……本当はそこまで隠すようなことじゃないないのかもしれない。

 そもそも、いつか言おうと思っていることだ。

 でも、なんか恥ずかしかったし、怖かった。

 だから、ちょっとだけ先延ばし。

 その先延ばしに意味があるとは思えない。

 だけど、今はまだ。

 

 

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