第5話 過去-3

過去-3

 

 

2014/07/22

 

「……」

 

 俺は廊下にある人混みを見つける。

 期末テストが終わってから、一週間。確か、今日が成績上位者の張り出しがある日だ。

 

「……」

 

 俺は静かに掲示板に近付く。俺の名前はあるだろうか。

 自分の名前を探す。

 ……すぐ、見つかった。

 二十九位 上谷優夜。

 この張り出しは、三百人中三十位まで載っている。俺はギリギリで載ったようだ。

 ……まぁ、上等だろう。

 夕(ゆう)はどうだろうか。夕の名前を探す。

 夕の名前もすぐ見つかった。

 四位 中原夕。

 やっぱりというなんというか、トップクラスの好成績だった。

 

「すげぇなぁ……」

 

 俺はボソリと呟く。

 

「何がだい?」

 

「うわっ」

 

 後ろから返事が帰ってきて驚く。

 後ろを振り返ると、そこには杉原がいた。

 

「どうしたんだい、そんなに驚いて?」

 

「独り言に返事するなよ。ビビるだろうが」

 

 結構本気でびっくりした。

 

「そうか。悪かった」

 

 杉原は手刀を切る。

 

「それで、何がすごかった……って、君、貼り出しに載ってるじゃないか、すごいな!」

 

 俺の名前を指しながら、杉原はいつもの大声を出す。

 

「ギリギリだけどな。お前は?」

 

「できなかった!!」

 

「そうか」

 

 潔い奴だった。

 

「なるほど。自分の順位を見てすごいと言っていたんだな、上谷君は!」

 

「そんなわけないだろ。夕のを見て言ったんだよ」

 

 親指で夕の名前を指し示す。

 

「ほう。確かに中原さん、すごく高い順位だね」

 

「だろ」

 

「……上谷君、何か嬉しそうだね」

 

「あ?」

 

「やっぱり、中原さんの成績が高いと嬉しいものなのかい?」

 

「……」

 

 ……そんなつもりはなかった。

 言われるまで気付かなかったが、俺は夕の順位が高いことを喜んでいる。

 あいつの努力が身に結んでいる様を見れて、嬉しいと感じている。

 所詮他人のことのはずなのに。

 夕に出会うまでは、他人のことなど何も興味が無かったはずなのに。

 俺はとうとう、そう感じるまでになっていた。

 ……今まで知らなかったが、恋とは人を変えるものらしい。

 

 

「お前、廊下の張り出し見たか?」

 

 昼休み。俺は空き教室に辿り着くないなや、真っ先に夕にそう聞いた。

 最近、俺と夕は適当な空き教室を見繕って、そこで昼飯を食べるようになっていた。

 ……屋上は風通しは良いのだが、日がガンガンに当たる。真夏の今、毎日あそこで食ってなどいられない。

 

「ああ、見たぞ」

 

「お前、すごいな。四位だぞ、四位」

 

「ああ。ありがとう。現金だが、前回よりも上がって、ちょっと嬉しい」

 

 確かに夕の顔は少し綻んでいる。

 

「俺ももっとやらないとな……」

 

 俺はボヤきながら、夕の隣の席に座る。

 

「?優夜、貼り出しに載っていたよな?」

 

「ああ。でも、あんなんじゃダメだ」

 

 ……俺も上位に入れてるとはいえ、ギリギリだ。

 夕との差は大分ある。

 ……別に夕の成績に勝ちたいわけでも、夕をライバル視してるわけでもない。

 ただ、同じぐらいの成績になりたいと思った。

 なぜそう思うようになったかは、絶対口に出したくない。

 

「じゃ、次はもっとがんばろう」

 

「おう」

 

「でも、とりあえず今は、昼食を食べないとな」

 

「ああ。腹減った」

 

 夕はお弁当箱を開け、俺はパンの袋を開ける。

 ……

 なんか、夕が俺のパンをジッと見ている。

 この焼きそばパンが欲しいのだろうか。

 

「……欲しいのか?」

 

 俺は夕に向かって、咥えていた焼きそばパンを向ける。

 

「要らない」

 

 夕は頭をふるふる横に振りながら、即答する。

 ……じゃあなんでパンをジッと見ていたんだろう。

 俺は首を捻るが、大して気になることでもない。

 俺は食事を再開する。

 昼飯を食べる頃には、この時感じた疑問のことなど、すっかり忘れていた。

 

 

2014/07/24

 

 夕と二人の帰り道。

 ここ最近、ずっと二人で一緒に帰っているが、それも今日までだ。

 なぜなら

 

「優夜は夏休み、どう過ごすんだ?」

 

「さぁな。とりあえず、勉強と筋トレ、それにバイトだと思うけど」

 

 今日は終業式があった。明日から夏休みが始まる。

 長い夏休みが。

 

「バイトって、確かコンビニの店員だったか?」

 

「ああ。折角の夏休みだしな、増やそうと思う。夕の方は?」

 

「私もまだあまり決まってない。だけど、例年だと家族と過ごす事が多いな。どこか旅行に行ったり、親の実家に帰省したりで」

 

「へぇ」

 

 俺の親は良くも悪くも放任主義だから、家族と一緒に行動なんてまずない。

 ああ、でも

 

「俺も婆ちゃんの家に、顔ぐらい見せようかな……」

 

 ここ数年会う気が起きなかったが、たまには良いだろう。

 ……そんなことを喋りながら歩いていると、いつもの分かれ道に差し掛かった。

 俺はここ右に曲がり、夕は左に曲がる。

 ……

 

「「あのさ」」

 

 俺と夕の声が重なる。

 

「……先にどうぞ」

 

 俺が夕の方に手を向ける。

 

「いや、優夜から先で良い」

 

 夕は手を横に振る。

 

「俺のはただの別れの挨拶だ。大した事じゃない」

 

 ……そうじゃないだろ、俺のバカ野郎。

 ちょっと死にたい。

 

「そうか。私の方もそうだったんだ」

 

「そうなのか。奇遇だな」

 

「うん」

 

「……」

 

「……」

 

 沈黙が流れる。

 ……

 

「夏休みだからといって、一日中アイスしか食べない生活になるなよ」

 

 沈黙の中、先に口を開いたのは夕だった。

 

「良いだろ。暑いし、学校無いんだから」

 

「ダメだ。体を壊す」

 

 夕が体をこちらに詰め寄ってくる。近い。

 

「わかったわかった、気をつけるよ」

 

 俺は少し慌てながら、適当に答える。

 

「そうか、なら良い」

 

 夕は俺の方に体向けたまま、後ろ歩きで数歩下がる。

 

「じゃ、またな」

 

 夕は手を小さく挙げながら、別れの挨拶をする。

 いつものように。

 ……

 

「ああ。またな」

 

 俺もまた、いつものように片手を挙げながら、別れの挨拶をする。

 本当は違うことを言いたいのに、それしか言葉がでなかった。

 そして、やはり俺はいつものように、夕に背を向け、自分の家に向かって歩き出す。

 夕もそうだろう。

 ……チラリと後ろを振り向く。

 夕の長い髪が見える。

 ……

 俺は顔の向きは前に向き直し、歩みを進める。

 そして、俺と夕はいつものように別れた。

 ……俺のバカ野郎。

 

 

2014/08/13

 

 リビングのソファにドッシリ座る。

 さっきまで、自室で勉強をしていたのだが、飽きた。

 今はもう8月の中旬。夏休みの大部分は終わった。

 その間ずっと自分の部屋とコンビニを行ったり来たり。

 夏休み始まったときからもう、つまらなかったが、そこに『飽き』が加わると、更に退屈になった。

 一週間前、婆ちゃんの家に行ったのだって、最初はあまり期待していなかったはずなのに、新鮮でそこそこ楽しめた。

 そして、家に帰り、また退屈な生活に戻った。

 …………

 ……テレビのリモコンを探す。

 普段なら、テレビなどほとんど見ないが、たまには良いだろう。

 テレビを点けると最近流行りの映画の紹介をやっていた。

 

「映画なぁ……」

 

 次々と、新しい映画が紹介されていく。

 ここ最近、映画もあまり観ていなかったが、中々色々面白そうである。

 特に気になったのは、海外の魔法少年の学園モノ。

 このシリーズは結構好きで、小学生の頃は和訳された原作小説も読んでいた。

 ……そういえば、夕も好きだとか言っていたな。

 夕とは終業式の日以来、一度も会っていない。

 それどころか、連絡すらとっていなかった。

 なんて言えばいいのか、何もわからなかった。

 俺は相変わらず、怖かったのだ。

 動くことで、何かが悪い方向に転がってしまうのが、怖かった。

 でも、今はそれ以上に後悔の念が強い。

 なんで、あの終業式の日、夕をなんにも誘わなかったのだろうかと。

 そして、それは今も。

 ……夕に会いたい。

 あの明るくて、眩しい笑顔が見たい。

 ……

 もう、無意味な時間は終わりにしよう。

 ちょうど今誘う内容を手に入れたところだ。

 新規メールを作成する。

 さて、文面は……

 

 

 何度も読み直し、書き直したメールを送信する。

 

「ふぅ……」

 

 結局内容は、日時と場所を指定した映画の誘いになった。

 ……あいつは、どう答えてくれるだろうか。

 ものすごく気になるが、今すぐ答えが返ってくるわけじゃない。

 いつもは携帯はそこら辺に放り出しているが、返信にすぐ気付くようにポケットにしまった。

 視線をテレビ……正確には画面の角の時計を見る。

 ……メール書き始めてから、1時間半経っているような気がするんだが、気のせいだろうか…………

 俺は本物のアホなのだろうか。アホなんだろうなぁ。

 俺はソファに寝転がる。

 よくわからないが、めちゃくちゃ疲れた。

 少し、眠ろう……

 

 

 ブルル

 ポケットが震えている。

 ……!

 俺は全力で起き上り、ポケットから携帯を取り出し、期待しながら画面を確認する。

 夕からの返信だった。

 ……

 ……携帯を操作する指が止まる。

 さっきまでの勢いがいきなり消えてしまった。

 

「すぅ……」

 

 息を吸って

 

「はぁ……」

 

 吐く。

 ……大丈夫だ。行ける。

 携帯を操作し、メールを開く。

 そこには、

 

『ごめんなさい。その日は家族と予定があって行けません』

 

 断りの言葉があった。

 ただし、文章には続きがあった。

 

『その二日後の8月23日ではダメですか?

 もしダメなら、その日以降でも構いません。優夜のご予定はどうでしょうか?』

 

 ……断りの文の直後に、日付けをズラした提案があった。

 ……

 これ、もしかしなくても、オーケーって意味なのでは?

 何度もメールを読み返す。

 ……なぜか敬語なのが気になるが、やっぱりこれは俺の誘いを受け入れている内容だ。

 喜びのあまりに叫びそうになるが、なんとか抑える。(家に他の人がいるわけではないので、抑える必要はないのだが気分の問題だ)

 手が震えそうになりながら、何とか『俺も8月23日で問題ない』とだけ書いて、返信のメールを送る。

 …………

 返信は5分後に帰ってきた。

 

『わかりました。8月23日、楽しみにしてます』

 

 と書いてあった。

 あぁ。

 本当に、夕と休日に会うんだ。

 それを実感した。

 再び、ソファに倒れ、目を瞑る。

 落ち着け、遊びの約束を取り付けただけだ。

 それだけだとわかっているのに。

 顔の笑みはどうしても抑えられなかった。

 

 

2014/08/23

 

 今日は夕とデー……遊ぶ日だ。

 待ち合わせ時刻は12:00で、場所は駅前の、映画館があるショッピングモール近くの時計台。

 ここの時計台は、ショッピングモールの入り口手前でよく目立つため、集合場所によく利用される。

 そこに俺は、約束の30分前の11:30に着いてしまった。

 遅刻しないように、と思ってかなり余裕を持たせるつもりで家を出たが、これでは持たせ過ぎだ。

 ……まぁ、遅れるよりは全然マシだろう。

 人を待つ人達が大勢いる中、俺は時計台に寄りかかって、瞼を閉ざす。

 流石に、この状況で寝ることはできないが、目を閉じている方が疲れが取れるし、何より落ち着く。

 ……

 腕をツンツンとつつかれる。目を閉じて、30秒後ぐらいのことだ。

 

「何だ……?」

 

 俺の右隣には黒い服を着た綺麗な女が立っていたはずだ。知らずのうちに、なにかしらの迷惑をかけていたのだろうか。

 俺は目を開け、視線をつついてきた相手の方に向ける。

 

「優夜。君、一ヶ月ぶりとはいえ、私に気付かないのは酷くないか?」

 

「あ……あ?」

 

「久し振りだな、優夜」

 

 見知らぬ女は、不満げな顔をこちらに向けている。

 いや、見知らなくはない。

 思いっきり知っている。

 

「夕……?」

 

「なんで疑問風なんだ、君」

 

 そこには、夕がいた。

 服装は勿論見慣れている制服姿ではない。

 黒いワンピースの上に薄い白いカーディガンを羽織るという、コントラストが強い格好だった。

 ……綺麗だな。

 自然とそう思った。

 元からカッコいい夕には、良く似合っていた。

 

「この格好、変かな」

 

 俺が夕の服をジッと見ていたからか、夕は視線を俺から自分の服に移す。

 

「いや、全然変じゃない。めちゃくちゃ似合ってる」

 

 俺は若干、いやかなり食い気味で否定する。

 

「そうか?ありがとう」

 

 夕はいつもの調子で礼を言うが、少し照れ臭そうだ。

 というか、

 

「お前、来るの早くないか?」

 

 夕が来ていることに気付かなかったのは、見慣れない姿だから……というよりも、こんなに早く来てるわけないという考えがあったからだ。

 

「遅れるのはマズイと思ってな」

 

「……もしかして、待たせたか?」

 

 俺は恐る恐る聞く。

 早く来たかった理由として、夕にあまり待たせたくないというのもあったのだが……

 

「私もついさっき来たところだ。気にしないでくれ」

 

 夕は軽い調子で言う。

 

「それに、私が勝手に早く来たんだ。例え待っていたとしても、それは私自身のせいだ。気にするな」

 

「……」

 

 ……なんか、カッコいいなこいつ……

 ……出鼻から若干挫かれかけてはいるが、次の行動に移そう。

 

「じゃ、予定より少し早いが昼飯にしようぜ」

 

 既に夕とは、事前にある程度予定を決めてある。

 合流したら、昼ごはんを食べることにしてはいるものの、まだ店は決めていない。

 

「どこか、夕は食べたいとこあるか?」

 

 ここはショッピングモールだ。食べる場所などいくらでもある。

 

「……」

 

 ……夕はなぜか、ジッと下を見て黙りこくった。

 

「……どうした?」

 

「……あの」

 

 さっきまで、ハキハキ喋っていたのに、今は口ごもっている。どうしたのだろう。

 夕はまるで意を決したような顔をしながら、右手に持っていた手提げカバンを掲げる。

 

「二人分の弁当を作ってきたのだが、昼食はそれにしないか?」

 

「……」

 

 ……え?

 夕が俺に弁当を作ってくれた?

 本当に?

 俺は呆然とし、口を動かせない。

 

「……迷惑だったか?」

 

 夕はすごく不安そうな顔をする。

 それを見て俺は我に帰った。

 

「いや、そんなことない。めちゃくちゃ嬉しい」

 

 俺は首を手をブンブン横に振る。

 

「本当か……?」

 

「本当だよ。迷惑になる理由がない」

 

 というか、なんで夕がそんなに不安がっているのかが俺にはわからない。

 

「そうか。良かった」

 

 夕は笑顔を浮かべながら、安堵のため息をつく。

 

「じゃあ、それをベンチとかで食べないか?」

 

「ああ。わかった」

 

 

 ここのショッピングモールは広く、フリーのテーブルが数多くある。

 

「そこにしないか?」

 

 俺はそのうちの一つを指さす。

 

「ああ。そうしようか」

 

 俺と夕は向かい合って座る。

 夕は座るとすぐに、カバンから弁当箱を取り出した。

 中身は何だろう。

 夕が弁当を広げるわずかな時間も待てず、そんなことを考えていると

 

「サンドイッチだ」

 

 夕はまるで俺の思考を読んだかのように、俺の疑問に答えた。

 

「折角だから、優夜が好きなものでも作ろうかと思ったのだが、好きなものがわからなくてな。とりあえず、いつも君が食べてるパンの料理にした」

 

 夕が弁当箱の蓋をあけると、そこには色んな具材が挟まったサンドイッチが。

 

「うちにはベーカリーが無くてな。それでサンドイッチにしたのだが、どうだ?」

 

「……ああ。嫌いじゃない」

 

「良かった。好きなのを取ってくれ」

 

「じゃあ、いただきます」

 

 一番近くにあった、ハムとレタスなどの野菜が挟まれているサンドイッチを手に取り、角の部分を小さくかじる。

 これは……

 

「……どうだ?」

 

 夕は期待と不安を込めた眼差しを向けてくる。

 

「美味しい」

 

 次の一口を入れる。

 思ったより辛めの味付けだったのは少し驚いたが、想像以上に美味しかった。

 

「そうか。良かった」

 

 俺が勢いよく食べるのを見て、夕の顔が綻ぶ。

 というか

 

「夕、食べないのか?」

 

 さっきから夕は俺の方を見てるばっかで、自分の分を食べていない。

 

「ん、そうだな。私も食べるか」

 

 夕は小さく「いただきます」と呟き、サンドイッチに手を伸ばす。

 ……そういえば、これは終業式以来の夕との食事になるんだよな。

 しかもこれは、夕が作ってくれたサンドイッチだ。

 好きな人が作ってくれた弁当を、好きな人と一緒に食べる。

 それは俺にとって、自分が考えている以上に、幸福な時間だった。

 

 

「そういや、結局家族での旅行ってどこ行ってたんだ?」

 

 サンドイッチの最後の一切れを飲み込んだところで、俺はそう尋ねた。

 

「沖縄だ」

 

「へぇ。海、やっぱり綺麗だった?」

 

 沖縄と言ったら、海のイメージが強い。

 

「ああ、綺麗だったぞ。中々に良い場所だった」

 

「ふーん。俺は沖縄行ったことないから知らないが、良いトコだったんだな」

 

「ああ。また行きたいな」

 

 夕は広げた弁当箱をテキパキお片付けている。

 俺は腕時計を見る。

 ……時間に大分余裕あるな。

 じゃあ……

 

「映画まで、大体1時間ぐらいあるんだけど、色んな店を見て回らないか?」

 

「うん、わかった。優夜はどこか行きたい店はあるか?」

 

「いや、無い。夕は何か欲しいものがあったりするか?」

 

「私の方も特に無いな」

 

「……じゃあ、適当にウィンドウショッピングでいいか」

 

「うん。そうしよう」

 

 

 二人でショッピングモールぶらついて中、夕がある店の前で足を止めた。

 そこは若者向けのレディースファッションの店だった。

 

「……入るか?」

 

 俺は無言で店をジッと見ている夕に尋ねる。

 

「うん、ちょっと見てみたい」

 

 俺達は二人並んで店の中に入る。

 夕が色んな服を見ていて、俺がその様子を眺めている。

 

「なぁ、優夜はどういう服が好みなんだ?」

 

 ……こんな場所でどんな服って言われても

 

「俺は女装なんかしないぞ」

 

 ……俺は至極当然の事を言ったつもりなのだが、夕はキョトンとしている。

 というか、夕はどんなつもりで聞いたんだ。

 

「ははは」

 

 夕がいきなり笑い出す。

 

「なんだよ」

 

「私は、『優夜はどんな格好の女の子が好きなんだ?』というつもりで聞いたんだ。優夜の格好を聞いたわけじゃない」

 

 ……なるほど、そういことか。

 夕はツボにでもハマったのか、まだ笑っている。

 

「ふふ。それにしても優夜の女装か。考えたこともなかったが、想像してみると意外と似合うような気がするな」

 

「したくねぇよ、ンなこと……」

 

 ……ほんの一瞬だけ、女装姿の自分を想像したが、精神衛生上、大変よろしくなかったので、記憶から消去した。

 

「で、元の質問は俺がどんな格好の女が好きだったか?」

 

 俺の女装のことなぞ長く話したくない。

 本題に戻す。

 

「ああ」

 

「どんな格好の女が好きか……」

 

 どんな格好の女……

 

「……」

 

 ……

 

「……」

 

「……優夜?」

 

 黙りこくった俺を不審に思った夕が声を掛け、それで俺の意識が浮上する。

 

「……すまん。めちゃくちゃ悩んでも思い付かなかった…………」

 

 女の好きな格好なんて、考えてみたこともなかった。

 

「……無理しなくて良いぞ?」

 

「無理はしてな……いや少ししてるが……」

 

 ……

 

「夕、少し関係ない質問してもいいか?」

 

「うん。いいぞ」

 

「夕、その服、自分で選んだのか?」

 

 俺は今着ている夕のワンピースを指し示す。

 

「ああ、そうだ」

 

「じゃあ、お前が選ぶ服装が、俺の好きな服装になるだろうな」

 

「……」

 

 夕はちょっと考えるようにしてから、こちらを見る。

 

「……つまり?」

 

 夕は意味がわかってかわからずか、俺の先の言葉の言い換えを要求する。

 だから俺ははっきりと言うことにした。

 

「今のお前の格好をすごく似合ってて可愛いと思うし、俺は好きだって言ってるんだよ」

 

 ……勢いで言ったら、はっきりと言い過ぎた。

 

「ふーん……」

 

 夕はなぜか無表情だ。

 どう感じてるのかわからなくて、ちょっと怖い。

 ただ、顔が少し強張っているような……

 

「それは世辞か?」

 

「世辞なわけないだろうが」

 

 夕の目を見て、俺は即答する。

 こんなことを目を見て言うのなんて恥ずかしかったが、どうせ言ってしまったのだから、ちゃんと夕に伝えたかった。

 

「そうか」

 

 夕はそう言うと俺から顔を背け、品物の服を弄り出す。

 夕の顔は見えない。

 

「……うん。大体のものは見れたから、もう店を出よう」

 

 夕は服を弄るのをやめる。

 

「欲しいものは特に無かったのか?」

 

「気に入ったものは無くもないが、実は今日はそんなに持ち合わせが無くてな。それに他の店も見て回りたい」

 

「そうか。じゃあ、もう出るか」

 

「ああ」

 

 夕は俺を追い越し、店を出ようとする。

 そのすれ違い様に

 

「……ありがと」

 

 と夕の小さい声が聞こてきた。

 

「……」

 

 俺は返事をせず、夕の後ろに付いていく。

 さて、他の店も回ろうか。

 

 

「俺はポップコーン食べるが、夕はどうする?」

 

 このショッピングモールの大体の店を見終わった頃、上映時間の20分前だったので、俺と夕は映画館に移動した。

 

「私も食べようかな」

 

「じゃ、並ぶか」

 

「席は決めなくていいのか?」

 

「あー……」

 

 しまった、あらかじめ聞いとくべきだった。

 

「すまん、勝手にもう既に席を決めてある」

 

「?」

 

「予約取っていて、もう発券もしてあるんだ。悪い」

 

「ああ、なるほど」

 

 夕は納得顔で頷く。

 

「というか君はなんで謝っているんだ」

 

「いや、勝手に席決めたの、考えてみれば悪かったな、と……」

 

「そんなこと気にしない……というより、今日の遊びの予定は君が組むって、メールで言ってたじゃないか」

 

「まぁ、そうなんだけどさ……」

 

 マナーっていうかさ……

 そういえば

 

「メールって言えば、お前、なんでメールでは敬語なんだ?」

 

 誘いの返事のメール以降のメールも全部敬語だった。

 

「どうでもいいだろ、そんなこと。気分の問題だ、気分」

 

 夕はぶっきらぼうに答える。

 ……まぁ、手紙だと口調が丁寧になるとかそんな感じなんだろうな。

 俺は財布にしまってあった、チケットを夕に渡す。

 

「映画代、いくらだ」

 

 夕は財布を取り出す。

 

「別に払わなくてもいいよ、大した額でもないし」

 

 俺は手を横に振る。

 

「……いや、でも」

 

 夕はそれでも財布を仕舞おうとしない。

 

「一度奢るって言っておいて、ここでお前から金受け取ったら、かっこ悪いだろ。だから、お前には悪いが、受け取りたくない」

 

「そうなのか……?」

 

「そうだ」

 

「……なら、ありがたく貰おう。でも、次は無しだぞ?」

 

「ああ」

 

 俺は適当に頷く。

 ……

 ……今の夕のセリフ、『次』があること前提だったよな。

 その言葉に少しドギリとしながら、ポップコーンの列に並んだ。

 

 

 映画は何というか、普通に面白かった。

 ……男が女を誘って見る映画が、小学生でも見るようなファンタジーものっていうのは、自分で選んでおいて首を傾けたくなるが、確実に面白い方が良いだろう……と思っての選択だったのだが、ちゃんと面白くて良かった。(これでつまらなかったら悲惨だ)

 それにしても意外だったのは夕だ。

 元々夕が好きなシリーズだったのはおぼろげながら覚えていたが、観た後に若干興奮気味に語るほどだとは思っていなかった。

 

『あのドラゴンが出てくるシーン良かったな。原作読んでてイメージしていた以上に迫力があった。他のシーンも』

 

 という感じだった。

 俺も小学生の頃、原作の小説を少しだけ読んでいたが、夕は最近発売された最新巻を読むほど、比較的熱心な読者だったらしい。

 俺なんかは『面白かった』だけのうっすい感想しか出ないが、夕は色々楽しめたようで良かった。

 そして、色々感想を言いあった今は、二人でのんびりと、ショッピングモール近くの公園を散歩しながら、帰路についている。

 

「……今日、楽しかったか?」

 

 ……不安から、つい益体のない質問をしてしまう。

 

「なんで、疑問形なんだ君」

 

 夕はクスクスと笑う。

 

「楽しかったよ、ものすごく。君の方はどうなんだ?」

 

「ああ、俺も楽しかったよ」

 

「そうか。良かった」

 

「それは俺のセリフだよ」

 

 俺から誘っときながら、自分一人だけ楽しんで、夕は退屈だったらどうしようと、すごく不安だった。

 ……まぁ、映画観た直後の夕の反応のおかげで、その不安はほとんど消えていたのだが。

 

「そうか?私達二人共楽しめたんだから、良かった、って感想を抱くのは当然だと思うぞ」

 

「……」

 

「折角一緒にいるんだ。楽しさを共有したいと私は思う」

 

 夕はニッコリと俺に笑いかける。

 ……

 

「そうだな」

 

 勇気を出して、夕を誘って良かった。

 そう思えた。

 

 

2014/09/01

 

「だる……」

 

 9月1日。今日は始業式の日だ。

 校長の話が長くて鬱陶しい。あれ、聞いてて誰が得するのだろうか。

 ……今日はサボれば良かったなぁ。

 サボり癖があるくせに、『学期の始めはちゃんと行くか……』って思ったのが運の尽き。校長の有難いお話のコーナーの始まりである。

 ……これ、校長は楽しんでるのかなぁ。

 どうせほとんど生徒が聞いていない。それなのに長時間喋るのは、苦痛ではないのかなぁ、って俺は思うが、どうなのだろう。

 ……もしかしたら、誰も幸せになれない時間なんじゃないか、これ。

 この世の無駄の一つを見つけた。そんな、それこそ無駄なことを考えている時だった。

 周りから拍手が聞こえてくる。

 校長のお喋りが終わったらしい。

 ようやくの解放だ。

 

 

「………何………、……だと……」

 

「あ?」

 

 教室に戻って、校長のお話で削れてしまった精神を、携帯にある小動物の画像を見ることで回復させていたら、今村が驚愕していた。なぜだ。

 ああ、そうか

 

「学校内って、携帯禁止だったか?」

 

 携帯をカバンにしまう。

 

「いや、確かに校則ではそうなんだけど、そんなこと、誰も守らんわ」

 

「じゃあ、なんで驚いたんだ」

 

「お前が携帯なんて持っていたのに驚いていたんだよ」

 

「……」

 

 夕も同じこと言っていたが、俺が携帯を持つのはそんなに不自然なのか?

 

「えっと、ってか、俺へのツッコミは無し?」

 

「ツッコミ?」

 

 今村のヤツ、なんかボケでもかましてたか?

 俺はここ1,2分の記憶を遡るが、こいつがボケた記憶は特にない。

 

「……お前、なんかボケてたか?」

 

「いや、まぁネットで流行ってた漫画のネタなんだけど」

 

「ネットのネタなら、ネットで言ってろよ……」

 

 通じないかもしれない(そして実際通じななかった)ボケをして、ツッコミ待ちってなんなんだこいつ。

 

「えっと、ごめん……」

 

 なんか、今村がしおらしくなった。

 

「おう」

 

 ……なんで俺が今村に謝罪させてる流れになってしまったのだろうか……

 

「あ、そうだ、携帯持ってるなら、連絡先教えてよ!」

 

 今村は明るさを取り戻した。切り替えの良い奴だ。

 

「…………ああ。良いぞ」

 

「今の間は何だよ!」

 

「携帯さっきしまったばっかなのに、また出すのが面倒くさい……」

 

「ナマケモノか、お前は」

 

 今村は律儀に俺に軽くチョップを入れてくる。

 さっきのツッコミ待ちのことといい、俺は知らなかったが、今村はギャグに対する姿勢が強いようだ。お笑い芸人志望なのかもしれない。

 携帯を取り出し、今村と連絡先を交換する。

 

「上谷君が、携帯を持っているだと……?」

 

 教室に入ってきた杉原も、俺の携帯を見て驚く。

 

「連絡先、教えてくれないか!?」

 

 相変わらず杉原は声が大きい。

 

「どうしたんだ、杉原」

 

「それがさ……」

 

 その大きな声に釣られて近付いてきた眼鏡坊主の田原に、杉原は説明をしている。また、大声で。

 ……面倒くさいことになってきたなぁ…………

 

 

「なぁ、俺が携帯を持っているのって、そんなに変か?」

 

 約一週間振りの夕との再会で、俺の第一声はそれだった。

 

「いきなりどうした。何があった」

 

「それがさぁ……」

 

 始業式終わった直後、何があったのかをザックリと説明する。

 

「ふーん……」

 

「俺はそんな原始人みたいか?」

 

「いや、そんなことないが。というか、君、前も原始人がどうこうって言ってたよな」

 

 夕は呆れたように、息を吐く。

 

「ま、私だけじゃなく、君のクラスメイトも、君が人と関わるためのツールを持っていると思ってなかった、ってことだろうな」

 

 ……そういえば、夕と連絡先交換したときにも、夕はそんなこと言っていたな。

 

「でも、もうそんな扱いを受けることは無いんじゃないか?」

 

「原始人扱いがか?」

 

「いや、誰もそんな…………まぁ、うん、そうだ」

 

 夕から何かを諦めた空気が流れてきたのは気のせいだろうか。

 

「どうしてだよ」

 

「それは、君が携帯を持ってることを知っている人が格段に増えたからだ」

 

 ……確かに、俺の知り合いと呼べる範疇の人には全員知られたな。

 

「だから、もうこれからは、携帯持ってることで意外がられることもないさ」

 

「そうかなぁ……」

 

「そうとも。そもそも、君の人と関わらないイメージは、最初の二ヶ月間で付けられたものだしな。今の君だったら、そんなイメージも付かないだろ」

 

「……そんなにあのとき違うか、俺?」

 

「君、あの頃は文字通り誰とも口をきかなかったじゃないか」

 

「……」

 

 グゥの音も出ない。

 

「それで、クラスメイト達とは連絡先交換したか?」

 

「面倒くさかったけど、言われるがままに交換した」

 

「……」

 

 夕は口を開いて――閉じた。

 

「何か…」

 

「友達、できて良かったな」

 

 俺が『何か言いたいことがあるのか?』って言おうとしたら、夕が強引にセリフを被してきた。

 

「……おう」

 

「……」

 

「……」

 

 気まずい沈黙が流れる。

 

「コホン」

 

 夕があたかも取り繕うかのように、咳をする。

 

「……そういえば、少し前、私がクラスでモテるかどうか聞いたな」

 

「そうだな」

 

「そういう優夜はどうなんだ?」

 

「は?」

 

「優夜はクラスの女子に言い寄られたりしないのか?」

 

「お前、俺にそんなことが起こるわけないだろ……」

 

 俺は呆れる。

 

「ふーん……」

 

 夕の表情は、納得しているとも、怪しんでいるとも、どちらにも取れる。

 

「だって……」

 

 俺に面白がられる要素こそあれ、好かれる要素こそ無い。

 そう言葉を続けようしたが、それを口に出すことはできなかった。

 なぜなら、それは俺が夕にも好かれるわけない、って自分で認めているようなものだから。

 それを考えることはやめれてなくても、認めるのは嫌だった。

 

「優夜……?」

 

 俺が不自然に黙ったのを見て、夕は心配するような声を出す。

 

「悪い。なんでもない」

 

「……私、何か気に触るようなこと、言ったか?」

 

「そんなことない。むしろ、気にしないでいてくれた方が助かる」

 

 俺は苦笑いを浮かべる。

 

「……本当か?」

 

「本当」

 

「そうか。わかった」

 

 夕が納得してくれて、助かった。

 

 

2014/09/05

 

 始業式の数日後の昼休みにて。

 

「優夜、私にもクラスで友達ができた」

 

「へぇ。良かったな」

 

 ……前、夕から聞いた『人と関わりたくない』って話と照らし合わせるなら、喜ばしいことかどうか怪しいところだが、敢えて俺は喜ぶ言葉を選んだ。

 

「うん」

 

 そのことを報告する夕の表情が明るかったから。

 何かしら、心境の変化があったのだろうか。

 

「誰だ……って聞きたいところだが、D組なんて絶対誰もわからないだろうなぁ。俺、未だにクラスメイトの名前全員は覚えてないし」

 

「……もう、半年ぐらい経つのに覚えてないのか?」

 

「関わらない奴の事なんか、覚えられない」

 

「はは。優夜らしいな」

 

 夕は笑う。

 

「というか、良いのか?」

 

 俺はパンをかじりながら尋ねる。

 

「何がだ?」

 

「友達できたのに、ここで飯食ってて」

 

「……」

 

 夕は目を細める。

 

「……他意は無いというのはわかっているが、まるで追い出したいかのような言い草なのが、ちょっと気に食わない」

 

「他意が無いってわかってるなら、拗ねるなよ……」

 

「拗ねてなんかない」

 

 夕は明らかにふてくされている。

 ……夕には悪いが、ちょっと可愛いと思ってしまった。

 

「……昼ごはんに誘われはしたが、先約があるって言って断った」

 

 夕は表情を笑みに戻す。

 

「それにこれは前も言っただろ?君とはクラスメイトと違って、休み時間とかでしか一緒過ごせないから、その短い時間は一緒にいたいって」

 

「……」

 

 確かに言っていた気がする。こんなドキリとする言い方ではなかった気がするが。

 ……そういや

 

「お前、その時、クラスに友達居るふりしなかったか?」

 

「……友達というのは、定義が大変曖昧だと思わないか?」

 

「うわ、胡散臭っ」

 

「ふふ。まぁ、確かに悪かったな。あの時適当なことを言って」

 

 夕は笑うが

 

「……あの時はまだ言いたくなかったんだ。ごめん」

 

 少し翳りが見えた。

 

「……まぁ、そうだよな」

 

 あの時は、自分がクラスでどういう立ち位置なのか、話したくなかったのだろう。

 

「仕方ないから、気にするな」

 

「うん」

 

 夕はしおらしく頷く。

 ……

 

「……なんで俺から掘り返したくせに、俺が許すみたいな流れになっているんだ?」

 

「それを自分で言うのか……?というか、私は気付いてなかったぞ」

 

「気付いてなかったら、余計ダメだろ。なんか卑怯じゃん、それ」

 

「君、本当、変なところで律儀だなぁ……」

 

「変なところで、は余計だ」

 

 ペットボトルの水を飲む。

 

「それで、その友達とは仲良くなれそうか?」

 

「まだ、わからんが、仲良くできたら良いと思ってる」

 

「そうか」

 

 まぁ、それもそうか。

 それは、これからの話だ。

 

 

 2014/09/17

 

「ふあぁ……」

 

 帰りのHRも寝ているうちに終わった。

 さて、帰るか。

 席から立ち上がる。

 

「そういえば、上谷君」

 

「?」

 

 そのまま帰ろうとしたら、いつもだったら駆け出して教室から出て行くはずの杉原が声をかけてきた。

 

「うちのクラスが文化祭で何をやるのか、知っているのかい?」

 

「……そもそも文化祭なんてやるのか」

 

 初耳だ。

 

「もしかしたら、知らないんじゃないかと思ってたら、やっぱりか!」

 

 杉原はカッと目を見開く。

 

「……悪かった」

 

 勢いに負けてとりあえず謝ってしまう。

 

「?怒ってなんかいないぞ?」

 

 杉原は首をひねる。

 ……そういや、テンション高くなると、元々大きい声が一層大きくなる奴だったな、こいつは。

 

「君、学校サボったり、来てもHRはいつも寝てばかりだからなぁ……」

 

 さっきのHRも文化祭の話をしていたぞ、と杉原は言う。

 ……さっきのHR、寝てただけで、なんの話も聞いてなかったな。

 なるほど、それを毎回繰り返していて、俺は聞き損ねていたのか。

 

「で、うちのクラスは何をやるんだ?」

 

「うちのクラスの出し物はカジノだよ」

 

「カジノ……?」

 

 学校の行事で賭け事をやるとは、中々ヤバいな、うちのクラス……

 

「もちろん、架空の通貨を用いたカジノごっこだ」

 

「なるほどな」

 

 そりゃそうか。

 ……そういえば

 

「D組は何をやるか、知ってるか?」

 

 偶然だろうが、夕から文化祭の話など、一度も聞いたことがない。

 この後夕本人から聞けば良いだけかもしれないが、会話の流れでそのまま杉原に聞いた。

 

「D組の出し物は、ちょっと話題になったんだよ」

 

「なんで」

 

「だって、それは――」

 

 杉原はD組が文化祭で何をする予定なのか、言う。

 ……なるほど。

 夕が俺に文化祭の話題を振らなかった理由が、なんとなくわかったような気がする。

 

 

「なぁ、夕のクラスって文化祭でメイド喫茶やるらしいけど、本当?」

 

「……」

 

 夕との帰り道。杉原から聞いた情報の真偽を夕に尋ねた。

 

「そうか、優夜、それを知ってしまったのか……」

 

 なんか、夕が落ち込んでいる。

 予想通り、意図して文化祭の話題を避けていたようだ。

 

「ああ」

 

 俺は頷く。

 

「お前、メイド服、着るの?」

 

「直球だな、君……」

 

 夕の表情は暗い。

 

「まだ、決まっていないが、なんとか避けるつもりだ」

 

「なんだ、残念」

 

「残念ってなんだ、残念って」

 

「だって、見てみたかったしさ」

 

「……そうなのか?」

 

「ああ。可愛いだろうからな、それ」

 

 メイド服自体が可愛いのか、それともメイド服を着た夕が可愛いのかは曖昧にする。

 ……曖昧にできてるよな?

 

「ふーん……」

 

 夕は感情を伺わせない無表情で頷いている。

 

「というか、君、面白がっているだろ」

 

「ああ」

 

 即答する。

 

「絶っ対、回避してやるっ」

 

 俺の回答を受けて、夕は拒絶の意思が硬くなった。

 

「……マジか…………」

 

「なんでそんな全力で落ち込んでいるんだ……」

 

「だって、いつもと違う格好した、可愛い夕見たかったし……」

 

 俺は顔を下げ、重いため息を吐く。

 俺が余計なことを言ったせいで、メイド姿の夕を見るチャンスを棒に振ってしまった。

 本当、見たかったな……

 

「……まぁ、まだ役職は決まってないし、避けきれない事態もあるかもしれない」

 

「……そうか?」

 

 俺は顔を上げる。

 

「うん。だから、期待……はしないで待ってろ」

 

「わかった」

 

 そうだ、希望は潰えたわけじゃない。

 

「優夜のクラスは何をやるんだ?」

 

「カジノもどきだって」

 

「へぇ。それって、ルーレットとかトランプでもやるのか?」

 

「多分な。なんか、架空の通貨を使ったりするらしい」

 

「ちょっと面白そうだな」

 

「そうかもな。少なくともハズレじゃない」

 

 ……そういや

 

「文化祭っていつだ?」

 

「確か、来月の今頃の土曜日だったと思う」

 

「そうか」

 

 なら、まだ大丈夫だ。また今度にしよう。

 ……

 いや。

 そんな考えじゃ、ダメだろうが。

 

「なぁ、夕。文化祭、誰と回るか、もう決めているのか?」

 

「……いや、決めてない」

 

「なら、空いてる時間、一緒に回らないか?」

 

 俺はいつも通りの調子で、夕を誘う。

 

「うん、一緒に回ろう。きっと楽しいぞ」

 

 夕の方もいつもの調子で、受け入れる。

 受け入れて、くれた。

 

「……そうだな」

 

 存在すら認識していなかった文化祭。

 それがここ数分のやり取りで、俺の心の中で重要な位置に付いてしまった。

 

 

 

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