後編
「今までは毒があらかじめ仕込んである、と想定して推理をしてきました。けれど、そうではないとしたら?」
次なる光明を見出した僕は麗苑先輩を鋭く見据える。
「どのチョコにも最初から毒は入っていなかった。毒が仕込まれたのは部長がそれぞれのチョコを一口食べたその後だったとしたら?」
「ふふ、面白いわね。続けて?」
余裕の笑みで先を促す麗苑先輩に少し揺らぐも、僕は推理を進める。
「さっきの紗六の話では、全員のお皿にチョコを並べた後、麗苑先輩は紅茶を淹れていた、とのことです。そして部長はそれを待ちきれずに先にチョコを食べていた、と。
つまり、麗苑先輩。あなたは紅茶を淹れながら『部長が全てのチョコを一口食べる』のを待った。そしてそれを確認してから部長の机に近づき、ティーカップを置きながらバレないようにこっそりと毒をチョコに仕込んだんです」
どうだ、と言い切る僕の前でも麗苑先輩の笑みは崩れない。
「安里くん、いくつか質問してもいいかしら?」
「どうぞ」
「まず一つ。『部長が全てのチョコを一口食べる』のを待った、と言っていたけれど、部長が一口ずつ順番に食べるかどうかなんてわからないわ。そんな不確定なことを前提に推理を進めるのはいかがなものかしら?」
どんな質問がくるかと身構えていたが、これは想定内だ。僕は落ち着いて答える。
「恐らく、あらかじめ部長に『それぞれのチョコの感想を聞かせてほしい』などと言っておいたのでは? 複数あるものについての感想を訊かれたら、まず一口ずつ食べるという可能性は高いでしょう」
答えながら僕は保呂と紗六に目線で問う。それに応え、保呂は渋々頷いた。
「……うん、確かに。麗苑先輩、部長に『食べたらそれぞれの味の感想を聞かせてね』って言ってた」
「……まぁ、その点についてはそれでもいいわ。けれど、次の質問。部長が一口ずつ食べた後に毒を仕込んだとして、結局どのチョコが毒入りだったの?」
先程よりも麗苑先輩の表情から余裕の色が薄れていることに、僕は気づいた。どうやら僕の推理は確実に麗苑先輩を追い詰めているらしい。
そのことに気を良くして、僕の舌は軽やかに回る。
「ええ、そうです。『どのチョコが毒入りか?』――それが問題です。今までのはそれを特定するための準備に過ぎません。
そして部長が一口ずつ食べた後に毒が仕込まれたのだとすれば、そこから自ずと毒入りチョコレートも特定されます」
もったいぶって言葉を切り、部員の顔を見渡す。皆、固唾をのんで僕の推理に聞き入っている。
さぁ、解決編だ!
「毒があらかじめ仕込んであった場合、どのチョコが毒入りかを判断するのは難しいでしょう。家でいくらでも細工できますからね。けれど、毒がこの部室で仕込まれたとなると話は違います。
犯行が行われるのはごく短時間、それも部長の目を盗んでのものです。使った道具は恐らく手の中に隠し持てる程度の小さなスポイトか何か、それをチョコに差し込んで毒を注入したのでしょう。
そしてそんなふうに毒を注入できるのは、この中ではカップケーキだけです!」
ババン! と僕は部長の机の上、食べかけのカップケーキを指さした。
麗苑先輩の目が、すっと細められる。
「……安里くん、なぜトリュフや生チョコではなく、カップケーキが毒入りだと?」
「簡単な推理です。部長が泡を吹いて倒れたことからも、毒はそれなりの量が混入していたと考えられます。一滴、二滴程度ならまだしも、それ程多量の毒をトリュフや生チョコに注入するのは無理です。なぜなら、トリュフや生チョコには内部に毒を注入できる空洞がありませんからね。作っている最中に混ぜ込むならまだしも、完成形に後から毒を入れることはできないんですよ。
その点カップケーキなら簡単です。生地が毒を吸い込んでくれますからね。
よって、毒入りチョコの正体はこのカップケーキです!」
二度目のババン!
完全に決まったでしょう、これは。と、湧き上がる笑みを堪え切れずにいると、ふいに紗六が声を上げた。
「いや、それはない」
「えぇ!?」
完全に自分の推理に酔いしれていた僕は面食らう。今の推理のどこに穴が?
紗六は若干申し訳なさそうに続ける。
「確かに麗苑先輩はティーカップを置くために部長の机に近づいた。部長が全てのチョコを一口ずつ食べた後にな。けれど、彼女がその時に毒を仕込むことができたとは思えない」
「……な、どうして?」
「それはな、カップケーキはお皿の一番左側に置かれていて、ティーカップはそのお皿の右側に置かれたからだよ」
紗六の指摘に、僕は弾かれたように机の上を見た。
彼女の言うように、確かにティーカップは机の右側、そしてお皿の上のカップケーキはティーカップから一番遠い左側の位置にある。
「いいか、安里。麗苑先輩は机の右側からティーカップを置いた。そして、そこからカップケーキに毒を入れようとした場合、机の上で大きく腕を伸ばさなければならない。さすがに部長がチョコをもらって浮かれていたとはいえ、そんなことをされれば嫌でも気づくだろう。そしてもし部長が気づかなくても、私と保呂の目まで盗むのは至難の業だ」
紗六が言い終えてからも、僕はしばらく何も言うことができなかった。
そうだ、言われてみればあまりにもお粗末な推理だ。くそ、僕は麗苑先輩のチョコほしさに冷静な思考を欠いていたというのか……!
いったい、どれが毒入りチョコレートだというんだ――
「安里くん、この毒入りチョコレート事件の謎、どうやら解けなかったみたいね?」
そう言って麗苑先輩はゆっくりと微笑む。余裕を取り戻した優雅な所作で、ティーカップを口許へ運ぶ。
「―――――っ!」
その瞬間、僕の頭の中で一本の線が繋がった。
「待ってください」
麗苑先輩が勝利宣言をしようと口を開きかけた機先を制し、僕は言った。
今度こそ、謎は解けたのだ。
「……安里くん、その顔は何かわかったみたいね?」
ひたとこちらを見据える麗苑先輩に、僕は頷く。
「思えば最初から、僕はミスリードされていたんです。三種類のチョコの内、どれか一つが毒入りであると。
けれど、ようやくわかりました。
最初から、毒入りチョコレートなんてなかったんです」
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