第42話 許さない

私は見た。見てしまった。








みーくんと渚ちゃんが抱き合い、キスをする瞬間を。








最初から最後まで、その全てを見てしまった。




















なんとなく、嫌な予感がしていたのだ。




疲れてぼんやりとした頭で二人を見送ったのはいいけれど、しばらくして頭が正常に働き始めたとき、ようやく事のまずさに気が付いた。


渚ちゃんとみーくんが二人きりになるタイミングをみすみす見逃し、止めようともせずあっさりと行かせてしまったことに、私は愕然とする。すぐに後悔も襲ってきた。






―――やられた






私は思わず奥歯を噛み締める。こうならないように、私は今日ずっと渚ちゃんに張り付き、みーくんと二人きりになることだけはずっと避けていたというのに。








帰り間際のこの時までチャンスを待っていたのだろうか。


やはり油断なんて全くできない。


私にとってみーくんを取り合う一番のライバルは、渚ちゃんだと確信した。






佐々木さんも強敵ではあるけど、考えが分かりやすいし、感情的になりやすい性格であることはこれまでのことで分かっている。


そこまで頭の回るタイプでもなく、裏で動くようなこともできないだろう。人脈にも乏しい。他の友人を呼ぶこともなく一人で私達と海まできたことがその証拠。




良くも悪くも素直すぎて隙も多いし、いざとなったらどうとでもなると踏んでいた。厄介なのは今の時点でみーくんの彼女であるというただ一点のみ。みーくんは頑固だから、その一点が問題なのだけど。




だけどいざという時に、彼のために全てを引き換えにすることはできないだろう。


佐々木さんはそういう意味で、どこまでも普通の少女だった。




















―――でも、渚ちゃんは違う




あの子にそんな甘さはない。目的のためなら感情を欺いてどこまでも隠し通せるし、内心の考えも読み取ることなどできない。渚ちゃんはそんなヘマはしない。


みーくんを手に入れるためなら彼女はどんなことでも行い、どんなことでも許すだろう。


その冷たさと優しさが、とても怖い。






中学の時もそうだった。いじめの尻尾を掴んだ渚ちゃんはすぐには動かず、表向きはみーくんをいじめていた子達に近づいて、最初は仲良く接していた。


そのことに怒った私を説き伏せた時の彼女の顔を、今でもよく覚えている。とても冷たい、怖い顔をしていた。






―――逃がすことなんて万に一つもありえない。あいつらには、地獄を見せてあげる






そう私に告げた後の渚ちゃんの行動は怖いものだった。


そうして情報を得てから、周囲を固めていつの間にかクラスを丸ごと味方に引き込んだのだ。証拠を掴んだ後は手のひらを返すように、クラスを率いて彼らを徹底的に弾圧した。




味方だと思っていた渚ちゃんに裏切られ、彼らは気付いた時には仲間も友人もクラスでの居場所も全て失っていた。


彼らの反論も暴力も、渚ちゃんの前では全て意味なく散っていき、最後には彼らは学校を去らざるを得ないところまで追い込まれることになった。






あれ以来みーくんをいじめたりからかうような子が現れなかったのも、そうした渚ちゃんの姿を多くの生徒が知ったからだ。周囲の全てが敵に回っていることに終わる時まで気付くことすらできない手腕とカリスマ性。




それによってさり気なくみーくんに近づいてこようとする女子を牽制していたのだということも、今なら分かる。
















―――あたしのものに手を出したらこうなるぞ






渚ちゃんからの無言の圧力に、多くの生徒が屈していた。




もっとも、表の渚ちゃんは普通に人気者だった。実際、渚ちゃんがそうした怖い一面を見せたのは、その時のただ一度きり。


誰にでも対等に接し、気遣い、常に笑顔を浮かべて周りを明るく照らす彼女の周囲には、多くの人が集まった。後輩の子や先輩、他校の生徒にまで広く慕われている渚ちゃんの姿は、私にはいつも輝いて見えた。


そんな渚ちゃんの友達であることが私の自慢だったし、今でもそう思っている。
















同時に敵に回したらどれほど恐ろしい子なのかも、よく分かってる。






あの時、渚ちゃんの手を取らなかったことに後悔はない。何度生まれ変わろうとも、私はあの選択をするだろう。






みーくんは私のものだ。私だけの運命の男の子だ。


みーくんを必ず手に入れる。これは絶対だ。みーくん自身がなんと言おうとも、これだけは譲れない。






障害が多いことは分かってる。いざという時はどんな手を使っても必ず勝つという覚悟もある。


みーくんのためなら、今の学校での地位も何もかも捨ててしまっても何一つ惜しくない。後悔だって絶対しない。












――だけど怖い。月野渚という親友が、恋敵であるという事実がただただ怖い。








渚ちゃんが本当の意味で本気になった姿を私は見たことがない。


なにをしてくるのかまるで読めない。だけど渚ちゃんには私の考えが、手に取るように分かるはずだ。




気づいたときには裏で絡め取られている気がして怖気が走る。私の恋路をおとなしく見守ることだってしないことは、佐々木さんを焚きつけたことからもよくわかった。








親友だろうと容赦はしない。




夏祭りの時の佐々木さんはそれを私に伝えるためだけに現れた、渚ちゃんからのメッセンジャーだった。


本人も気付かぬうちに、佐々木さんは彼女に利用されていた。


もう佐々木さんのことを、渚ちゃんは掌握したのだろう。その事実に私はぞっとした。


私の背後にも、渚ちゃんの見えない糸が絡み付いている気がしたのだ。その日の夜は、震えがずっと止まらなかった。








お互い協力しようという協定も、舌の根が乾かぬうちにあっさり破ってくるあたり、本当に意地が悪い。


渚ちゃんのそういうちょっと意地悪なところも好きなのだけど、恋愛となると話は別だ。




渚ちゃんが私とみーくんをとても大事にしていることは分かっていた。


そのことがとても嬉しかった。私も渚ちゃんのことは大好きだ。




だけど、私とみーくんを天秤にかけたら、渚ちゃんは迷うことなくみーくんのことを選ぶだろう。それだけはよく分かる。


だって私もそうなのだから。








私達はずっと同じ同じものを見てきた。


同じことを体験して、同じ気持ちを共有してきた。


だからきっと同じ人を好きになった。








だけど、ずっと一緒にいたのに、私には渚ちゃんの考えが分からない。


渚ちゃんにはなにが見えているのか、私には分からない。


それが致命的な敗北に繋がりそうなことは分かるのに、それが何かは分からない。








もどかしい。まるで雲を掴むようだ。どれだけ頭を働かせても、まるで答えが見えてこない。


そんな中で、ただひとつだけ分かることがある。








このままじゃ、きっと勝てない。


それだけは確信していた。
























だから渚ちゃんのことを、時間があれば観察するようにしていた。近くにもずっといた。僅かな糸口だけでも掴みたかった。


みーくんに対してどう動くのかも読めないため、なるべく接触もさせないようにしてたのに。それなのに。


私はすぐにその場から跳ね起きた。私に体重を預けていた佐々木さんが、そのまま砂の中に倒れこむことになるけれど、構っている時間はない。




「いたた…ぺっぺっ!ちょっと霧島さん、いきなりなんなんですか」




「トイレ行ってくるから、ごめんね」




「あ、そうですか。いってらっしゃい」




こちらに手を振る佐々木さんを無視して、私は砂浜を駆けていく。


後ろからよほど我慢できなかったんですねとか失礼な声が聞こえた気がするけどそれも無視。


やはり佐々木さんとは反りが合わない。私はそう確信した。
























一番近い自販機のあるところまできてみたが、やはり二人らしき姿はなかった。


やっぱりか。出し抜かれた。私は思わず歯噛みする。


そのまま私は踵を返して砂浜に戻っていった。渚ちゃんは良くも悪くも目立つ子だ。




渚ちゃんなら人気のないところにいくよりは、いっそ紛れるために人がいるところを選ぶのではないかと思ったのだ。


そのほうがみーくんもきっと警戒しないだろう。




海は夕日を反射して、歩く人達の影を濃くしていた。近づかないと、きっと誰かは判別はできないだろう。


これも渚ちゃんの計算のうちなのだろうか。私は再び駆け出した。
















あれから少し時間が経ち、私はようやく波打ち際を歩く二人を見つけることができた。


途中で何人か私に話しかけてくる男の人がいたけど、全部無視してただみーくんと渚ちゃんを探すことだけを考えていた。




以前の私ならそういったナンパも立ち止まって丁重にお断りしていたのだけど、今の私にはもうみーくんしか男の人として映らない。


失礼と分かっていても、話すことさえしたくなかった。誰とでも手当たり次第話しかける人など、もう不潔としか思えない。




遠目から見る限り、まだ二人は何もしていないようだ。


本当にただちょっと寄り道しているだけらしい。


だから私も声をかけて、いつものように二人の間に入ればいいだけなのに、何故かそれができなかった。












ただ歩いているだけの二人の姿が、あまりにも絵になっていたからだ。








渚ちゃんは常に男子の噂になるくらいとてもかわいい女の子。テレビに出る女優さんやアイドルよりもずっと美人だと思っているし、みーくんも女の子のようにも見えるけど、とても整った綺麗な顔をしている子だ。








改めてみても美男美女。並んで歩いて遜色のない理想のカップル。


そんなふうに、思ってしまった。








「違う…」








その考えに逆らうように、否定の言葉を思わず口にしていた。


言わずにはいられなかったのだ。だってまるで、戦う前から負けを認めてしまったように思えたから。






スタイルは負けているかもしれないけど、顔立ちは負けていないはずだ。胸だってまだまだ成長してる。


みーくんの好みはまだ分からないけど、なにがあろうとみーくん好みの体になる。牛乳も毎日欠かさず飲んでいる。


顔だって私を見て赤らめるようになったのだ。女の子として意識されてるのは間違いない。








それに私はキスだってした。みーくんのファーストキスをもらったのは私なんだ。


なにもしていない渚ちゃんとは違う。私の方が、絶対みーくんに意識されてる。






そうだ、みーくんからみたら渚ちゃんはただの幼馴染。


私はそれを変えようと自分から踏み出したんだ。


渚ちゃんとは違うんだ。確実に私がリードしてる。負けるはずがない。








そんな考えが次々と浮かび上がっては消えていく。


その中から都合の良い事柄を選び取り、必死に私は自分を肯定し続けた。


そうじゃないと、不安に押しつぶされそうになってしまうから。






















だけどそんな私の虚しい努力は、すぐに泡となって消えてしまった。








私の目の前でみーくんが渚ちゃんを抱きしめたのだ。




私は震えそうになる体を自分で必死に押さえつけてるのに。




渚ちゃんは顔を赤らめ、されるがままにみーくんの腕の中で抱きしめられている。








―――なんで?








そんなの、おかしいよ。




だって、渚ちゃんなにもしてないんだよ。私はみーくんに意識してもらおうと、みーくんに嫌われる覚悟をして、頑張ってキスもしたのに。








―――なんでなにもしてない渚ちゃんが、みーくんからキスをされようとしているの?








二人の顔が近づいていく。


私はその顔に触れるためになけなしの勇気を出したのに。


踏み出すことすらしていない渚ちゃんが、みーくんから触れられようとしている。








―――そんなの、許せない








許せないのに、私にはもう止められない。




やがて二人の鼻先が触れ合って、顔を赤らめていた渚ちゃんが受け入れるように目を閉じた。






みーくんのピンク色をした唇が、渚ちゃんの唇にもうすぐ重なろうとしていた。














その唇の柔らかさを知っているのは、世界で私だけなのに。










―――やめて










やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてよっ!








だけど私の叫びはあの二人には届かない。そもそも私は口を開くことすらできなかった。


私の心は抱き合った二人を見て、とっくに砕け散っていた。










動けない私は、ただ二人の影が重なるのを、涙を流して見つめることしかできなかった。




















































―――許さない


















その時から私の中で、仄暗い炎が灯り始めた。




私は決意する。






どんなことでもする。なんでもする。躰だっていくらでも使う。持てるものは全て使う。そしてみーくんを手に入れる。だから、だから絶対に。


























―――渚ちゃんだけには、絶対負けない






















―――絶対に

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