第34話  ごちそうさま

「綾乃、どこ行くんだよ?」




僕は今、綾乃とともに祭りの喧騒で賑わう境内を離れ、神社の裏手まで足を運んでいた。


渚と夏葉さんと別れてから、綾乃と二人きりの状況という緊張から硬直していた僕の手を彼女に強引に握られ、ここまで引っ張られてきてしまったのだ。




雑木林の手前。人気のない静まった場所までたどり着いたところで、綾乃は立ち止まった。




「ちょっと人のいないところまできたかったんだ。ここなら邪魔もはいらないでしょ?」




「邪魔って…」




それは、同級生グループのことなのだろうか。それとも、別れた二人のことか。


なんにせよ、綾乃が僕と二人きりになりたかったことは確からしい。


僕は警戒し、それとなく距離を取ることにした。






「うん、ほんとは我慢できると思ってたんだよ?でも、無理そうだったから、渚ちゃんにもちょっと協力してもらって。どうしても、みーくんと二人になりたかったんだ」




「…なんでだよ。綾乃なら、僕にこだわることなんてないだろ」






僕は本心からそう思っていた。


綾乃は別格の美少女だ。今日もただ歩いているだけで多くの人の目を惹きつけていたし、その中には同性からの憧れの視線も含まれていた。


そこにいるだけで光を放ち、輝けるのが霧島綾乃という女の子だった。




特に今は、浴衣姿ということもあってか、いつもとは趣の違う憂いのある表情も見られ、いっそ壮絶なまでの美しさを誇っている。


それこそ、まるで女神のように。






そんな綾乃なら、多くの男が彼女を欲するだろう。


同級生グループの中にも、僕よりよほど優れた男子が多くいた。


僕が優っているところなんて、ほとんどないはずだ。






だから、僕なんてほうっておけ






早く離れてほしい






お願いだから






「そんなことないよ。私は、みーくんだからいいんだ。ううん、みーくんじゃなきゃ、嫌なの」




そんな僕の思いを、綾乃は一刀に伏した。


愉しげな笑みを浮かべ、僕の気持ちなど知ったことかと、自分の思いを語り始める。




「他の人じゃ、駄目なんだ。こんな気持ちになるのは、みーくん以外の人じゃ絶対無理だと思う。みーくんが私にとって、運命の人なんだよ」




「僕が、それを望んでないとしてもか。僕は、綾乃の運命の相手じゃないよ」




「みーくんはそうかもね」




僕の言葉に、綾乃は少し悲しそうな顔をした。


面と向かって、自分と結ばれることがないなどと言われたら、綾乃のような子にはやはりショックだろう。


だけど、彼女はすぐに瞳に強い光を宿し、僕を見つめてくる。強い決意を秘めた瞳だ。




「それでも、私にはみーくんしかいないんだ。だから、誰にも渡したくなんてない。佐々木さんにも、渚ちゃんにも」




「渚…?」




佐々木さんは分かる。今付き合っている彼女なのだから当然だろう。


でも、なんでここで渚の名前が出るんだ。


彼女は僕のことを好いているわけじゃない。それを僕は耳にしている。


綾乃は知らないのだろうか。佐々木さんを除いて僕に一番近しい存在である渚にまで嫉妬しているのだとしたら、それは悲しいことだった。




幼馴染であり、親友でもある彼女達の間にまで軋轢あつれきを生んでしまったのだとしたら、僕は渚に合わせる顔がなかった。


つい先日、彼女が綾乃のことを心から心配していたことも、僕は知っていたのだから。






「みーくん」




つい考え込んでしまったが、声をかけられたことで顔を上げると、いつの間にか僕の目の前に綾乃が立っていた。


わずかな隙を突かれて、距離を詰められたらしい。


あの時のように、僕の肩に手を置いてくる。




「だ、駄目だよ。綾乃。離して――」




「私ね、結構嫉妬深いみたいなんだ」




綾乃は素早かった。あっという間に、僕の唇へと自分の唇を合わせてくる。






柔らかい。


そんな言葉が思い浮かんでしまった自分が、腹立たしかった。






思考が停止してしまった僕を、逃すまいとばかりに綾乃はさらに求めてきた。


歯を舌でなぞられ、反射的に開いてしまった口の中に、強引に舌を差し込んでくる。


逃げようとする僕の舌を強引に捉え、自分の舌を絡ませてきた。




そのまま吸い上げられ、唾液を流し込まれ、口内を思うがままに蹂躙じゅうりんされる。


この気持ちよさから逆らおうなどという気持ちは、思い浮かびもしなかった。






どれくらい時間が経ったのだろうか。


一瞬だったようにも、永遠の時間が経ったようにも感じられる。


僕の思考は完全に綾乃に支配されていた。


体全てが綾乃に捕食されているような錯覚を覚え、僕は彼女が口を離すまでなすがままだった。






ようやく離れていく彼女の赤い舌は、唾液による細い糸を引いていた。


繋がっていたのは、言うまでもなく僕の舌だ。それが運命の赤い糸だとでもいうように、切れてしまったそれを綾乃は唇から舐めとった。




その仕草が妙に艶かしく、僕は目が離せない。


そこにいたのは僕の知る心優しい幼馴染の霧島綾乃ではなく、一人の女性としての霧島綾乃であると、意識せざるを得なかった。






「ごちそうさま」






もう一度ぺろりと唇を舐め取り、口元を嬉しそうに拭う綾乃に、今更ながら恐怖が沸いてくる。






綾乃は本気だ。本気で僕を手に入れようとしている。


それに抗える自信など、もう僕にはなかった。






「ほんとに今日は我慢するつもりだったんだけどね。佐々木さんと仲良くしてるみーくんを見たら、我慢できなくなっちゃった。まぁ、これでおあいこだよね」




綾乃は笑って手を差し出してくる。


その手を取る以外の選択肢は、考えられなかった。




「うん、それじゃ戻ろっか。バレたら面倒だし――」




「なに、してるんですか…」




背後から、声が聞こえた。


聞いたことのある声。さっきまで隣で聞いていた声。今にも泣き出してしまいそうな声。






僕はすぐに振り返る。




そこには、顔を青ざめて震える少女。








僕の彼女である、佐々木夏葉の姿があった。

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