2:だから、魔王は勇者と踊る

 編みあげられた魔法は、宙を走る術。

 風より軽くなったカオルは少女の手を取り、安宿の窓から飛び立ったのだ。

「カオルさん! 私の荷物はどうするのです!?」

「はは、宿の親父が預かってくれるさ!」

「そんな! 下着とかもあるんですよ!」

「てっきり鎧の心配かと思ったんだけど。なに、それなら預かり賃替わりと思えば……」

 昼の陽のように眩しい顔が一瞬で青ざめていき、

「ひ、引き返してください! 無理なら、宿ごと焼却です! ワイン浸しだから、今ならよく燃えますって!」

 おいおいおい、と軽く引きながら、魔王は澄んだ陽光に照らされる街路へ目を落とす。

 市場の方面では多少ながら人通りは見えるが、昨日の大騒ぎが尾を引いているせいか、街全体が閑散としていた。交易都市に十年の間ねぐらを構えていたカオルも、初めて見る静けさだ。

 都市の代表であるカチェスが声明を出せば、人心も落ち着くだろう。

 だから、またいずれ訪れる時の賑やかさを思って、微笑みで別れの言葉とする。

「ですが、カオルさん」

 抱きかかえたクリーティアが、その横顔に問いかけてきた。

 風に躍る金髪を日に輝かせる彼女は、

「あなたはいつまで、このように誰かを守り続けるのです?」

「いつまで?」

 ……はて。

 思ってもいなかった問いに、魔王は首を傾げてしまう。

 まじまじと振り返れば、確かに長い間、このように生きてきた。

 百年前までは、苦しみ悩むメノウを。

 百年よりこちらでは、巻きこんでしまった多くの人々を。

 誰に強いられるわけでもなく、ただ己の良心に従ってきただけだ。敢えて言うのなら、自分の責任を清算できるまでは終われない。

 ……問われると、あらためて自分の罪を数えるようなものだなあ。

 噴き出すように自嘲を浮かべると、

「またそんな辛気臭い顔をして!」

「あ?」

 軋むような鈍い音をたてて、眉間に小さな拳が突き刺さった。

「悪いことをしているわけではないのですから、そんな自分を貶めるような嘲いかたはよくありません!」

 眉を立て、大きな瞳に怒りを滾らせ、

「守ればいいじゃないですか! 好きなだけ、好きなように! その善行、素晴らしいことですよ! 誰に恥じるものでもありません!

 ですけど、言いたいことはそうじゃないのです!」

 短く息を補充。

 風の冷える秋の朝に、クリーティアは加速する熱を発し続ける。

「あなたが誰かを守り続けたとしても、私はいつまでもその『誰か』に甘んじるつもりはありません! いつか、カオルさんの庇護を受ける必要のないような、ちゃんとした大人になるつもりですから!

 その時に、どんな境遇にあろうと、あなたへ『ありがとう』を伝えます! だから!」

 だから、

「暗い顔をしないでくださいと、そう言いたかったのです!

 わかりましたか!?」

 なるほど。

 勇者は、行いの原因はともかく、行いそのものの善し悪しを判じたのだ。善いことをしているのだから、胸を張れと。迷ったとしても、守られている側は感謝するのだから顔を上げろ、と。

 なれば、彼女の怒りの理由がわかる。

 先んじて、一人で沈み込んでしまったのが悪かったのだ。

 言葉が無駄になってしまうと、少なくとも少女自身は感じたのだろう。

 だから、魔王は苦笑。

「わかったけど、どうして俺は、脳が揺れるほど殴られた?」

「え? そこには魔王成分が集まっていて、良くないことは全てそこから発生しているのでは?」

「そのえらいアクロバティックな設定はどこからきたんだ。脳内か?」

「だって、昨日そこを強打したら笑ったじゃないですか。あれで確信したのですよ!

 カオルさんの笑顔のために、私が毎日きっちり殴りつけてあげますから!」

「いつか本当に、おまえさんから退治されそうで怖いんだけど」

 任せてください、と屈託なく笑う勇者に毒気を抜かれると、意識を前へ。

 少女を抱く、男の飛翔が速度を増した。

 追いつきぶつかる風に、身を揺らす二人が目指すのは、東にそびえる暗黒の剣山。

 白羽の勇者が至る魔王の根城、灼赫の邪眼が勇者を待ち構えた城塞。

 そんな定められた何もかもを、捨て置いて、勇者と魔王はまっすぐに向かっていく。

 己の罪の被害者を守るため。

 守られることを終えるため。

 不釣り合いながら、彼と彼女は揺れながらも手を取りあう。

 まるで、二人で踊りでもするかのように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

それでも魔王は勇者と踊る ごろん @go_long

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ