3:『魔擢』

 現勇者と魔王の一騎討ちは、正義を謳う側が優勢だった。

 少女に握られた聖剣が、灼赫の邪眼を刻まんと、描く銀弧は数多だ。

 防戦一方の魔王が、だが、苦く笑って、

「おいおいおい、倒す気できなさいよ、まったく」

 迷う切っ先を、払い、退がり、時に進み、受け、全てを紙一重にいなしていた。

 彼と、己と、見下ろす天使以外、誰もいない、昼の大通り。家々の窓から覗く者もいるだろうが、興奮と恐慌によって極端化した彼女の意識野に入り込めるものではない。

 カオルが呆れるように、クリーティアの動きには相対者に勝とうとする意志がなかった。

 ステップは鈍く、一撃は重い。

 二段の斬撃をあっさりとスウェーされたクリーティアは、乱れる息に足まで絡められて、追撃を諦める。

 剣は慣れない得物だった。

 扱いを習った当時からどうしても馴染めず、携帯の利便さからも短杖を選択したくらいだ。

 だから、疲れが早くなり攻め手が遅くなり、決して倒す気がないわけではない。

 天使のために。

 ……自分のために。

 クリーティアは言い聞かせるが、

「誤魔化すなよ」

 魔王の放り投げるようなただ一声に、息を呑んでしまう。

 図星だからだ。

 身動ぎする肩へ、更に言葉が重ねられ、

「メノウのために、魔王を倒すんだろ? なら、ちゃんとしろ」

 わかっている。

 だから、こうして歯を食いしばり、目元を厳しく、眉根を寄せるのだ。

 再び剣を振り上げた彼女の覚悟の顔を、しかし、カオルは困ったように吐息して、

「そんな泣きそうな顔するんじゃないよ」

「……え?」

 自分はそんな顔をしているのだろうか?

 まさか、と否定を口にしかけて、まなじりの熱さに気がつく。

 まさか、と驚きを口にしかけて、

「っ!?」

 自失の中で振り下ろされた刃が、肉を断つ、不快な手応えを小さな手の平に伝えてきた。

 まさか、と悲鳴を口にしかけて、顔を上げれば、

「まったく……俺を討つつもりなら、邪眼を狙わないとダメだろ」

 緩く笑うカオルはその腹に、鋭い切っ先を深々と喰い込ませていた。


      ※


 戦慄き。

 最初、クリーティアは自身の体に起こったそれを、すぐには理解できなかった。

 魔擢の聖剣は、魔を切り裂けば喰らいつくすのだと聞かされた。刃が食い込めば、存在を奪えるのだと。

 伝承に聞いていたままであれば、魔王の肉体に食い込んだ時点で勝負は決まるものだと信じ切っていた。

 けれども、皮膚を裂き、肉を斬り、臓腑を抜いて、なお彼はちゃんとそこにいる。

「ああ『魔族』と『魔王』は別物なんだ。俺らを倒すなら、魔力の根源を潰さないとダメなんだよ。理由は……面倒だから、あとで教えてやるよ」

 赤い瞳を指さすカオルだが、その顔色は魔王らしからぬ悪さだ。

 負傷を意に介さないわけでなく、十分に痛みはあるのだとわかる。

 そのうえで、剣を腹に食い込ませたのだ。

 柄を握る両手が、小刻みに震えだす。

 震えに気がつくと、今度は理由がわからず、混乱を招く。

 ……これではまるで、私が魔王を討ちたくないようではないですか。

 さして長くはない半生だが、それでも彼を討つために濃密な今までがあった。事がここに至って、苦しむ天使を見かねて何かできないものかと心を砕いた。

 だから自分は、剣を振るったのだ。

 魔王を倒すために。

 彼を、討つために。

 そして、一撃が確かに見舞われて、

「……どうして、です?」

 その一撃によって、少女は戦慄いていた。

 生まれた悪寒が背筋を這い、脚を襲い、腕から力を奪う。

 垂れ落ちる手に合わせて、切っ先もずるりと抜け落ちていった。

「どうして、わざと……?」

 止まらない己の指先に、クリーティアは自覚していく。

 自分は、この人へ刃を向けたくはないのだと。

 戦いたくなどないのだと。

 カオルは赤と青の瞳を弓にしならせ、

「ようやく素直になったな」

 痛みのためにか小刻みに震える大きな手で、戸惑う金の髪を撫でながら、

「お前さん。今さっきまで、なんのために剣を振るっていた?」

「それは……」

 自身の存在にすら疑いを持つ哀れな天使を救わんがため。

「じゃあ、どうしてあんなにも辛そうにしていたんだ?」

 わかっている。本心では、カオルに敵意を向けることができないのだ。

 彼には、さまざまな恩がある。

 出会って早々に、命を助けられたこと。

 教会の暗部と、魔族のありようについて教えてくれたこと。

 勇者を求める天使から、身を挺して間に割ってくれたこと。

 どれも、しかし喉が溢れる言葉で詰まってしまって、声にならない。

 カオルがゆっくりと笑みを深めて、わかっている、と頭を撫でた。

「わかっているさ。だから、もうちょっと眉間の力を緩めろよ」

 はっとして、思わずうつむいてしまった。

 緊張のたがが弛んでいる自覚はあったが、それを他人に知られるのは気恥かしくて。

 視線を落として気がつくが、刃に刻まれて血塗れだった腹部は、いつの間にか傷口が塞がれていた。名残は、破れたシャツとジャケットに染みる、赤黒い痕だけ。

「俺はな、大したことなんかしてないし、今の傷だってこの通りなんだ。

 お前さんが迷っているようだったから、ちょっと手伝ってやっただけの話だよ」

「……つまり、気にするなと?」

「どうしてもってなら、刻んだ服の代わりを買ってくれ」

 この人は、どうしてどこまでも。

「そんなにも優しいのですか?」

「……藪から棒に恥ずかしいこと言うな。

 それに、俺は甘やかしているだけだから、そんな上等な言葉は似合わないよ」

「メグさんがおっしゃっていました。あなたは誰彼かまわず、優しく堕落させると」

「は、なんだか魔王みたいな言われようだな」

 クリーティアはうつむいたままで、彼の顔を見られないでいた。

 頭を撫でる力が強すぎて頭を上げられないせいだと、言い聞かせるようにしていると、

「けどまあ、それだけ喋れるようなら、大丈夫か」

 カオルが振り仰ぐ、そんな気配。

 同時、昼の青空から巨大な圧力が降り注いだ。

 クリーティアは正体を知っている。おそらく魔王も、見上げているだろう。

 天使だ。

 彼女がゆっくり、街へと降りはじめたのだ。

「カオルさん……」

「ん?」

 己の言葉を思い出す。無力とともに。

 だからこそ、甘えてしまうことは承知の上で、勇者は魔王に乞う。

「彼女を、天使さまを救ってあげてください」

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