2:立ち塞がるのは
「よぉし、殺せぇっ!」
昼に近づく大通りで、剣呑な号令が、愉快で仕方ないといった風で下された。
自警団長であるエリオットの半笑いによる指示は、部下たちに正確に伝わる。普段は賑やかな大通りを、横一列になって軍靴を鳴らし、パイクを走らせていく。
おお、と怒気に叫ぶ十数の瞳の先には、唖然とするチンピラの姿。
突撃する七人、全員が確信していた。
あいつの息の根は、間違いなく止めるべきであると。
「邪悪な魔王め! 幼い勇者サマと、何日一緒に居やがったんだ!」
「そうかと思えば、すげー美人さん連れて帰るしよ!」
「問答はこの際無用だ! この魔王! 色情魔!」
殺意溢れる切っ先にさらされて、カオルは、
「お前ら、俺のことをどう勘違いしているんだ?」
右手を振るい、衝撃波によって完全武装の七人を、紙屑のように吹き散らした。
肩を落とすと、勢いよく部隊の長を指さして、
「おいエリー! こいつらに何を吹き込みやがった!」
「がはは! 男所帯で、どいつも溜まってるからなあ! あのちびっ子を抱っこしてたとか手を繋いでたとか、軽く嘘ついたらこの有様よ!」
「嘘も嘘だし、それしきで他人を殺そうとするソイツらの頭もどうなってるんだよ!」
「よし、第二陣構え! よく見ろ、アイツお前らのこと嗤ってるぞ!」
無視すんなと怒号をあげかけて、
「ほ、本当だ……! アイツ、モテナイ俺らのこと嘲笑ってやがる……!」
「畜生! 畜生! そりゃあ、俺たちはお前みたいに勇者サマと接点なんかねぇよ!」
「だがそれが普通だ! お前が異常なんだよ! この異常者! 変態男! 魔王男!」
さらにヒートアップしたテンションに横殴りにされ、さらに物理的な殴打に迫られた。
「ほんと、お前らどうなってるんだよ……」
げんなりと、やはり右手を振るう。
わー、とおざなりな悲鳴で石畳に転がされるが、その頃には第三陣と復活しつつある第一陣の混成部隊が、変わらぬ殺意を溢れさせて、カオルの命に照準を合わせていた。
致死に至らぬよう手加減しているせいもあるが、エリオットが率いる自警団と聖堂騎士団の攻撃はしつこいものだった。
特に聖堂騎士団は、アグエからの増援隊とポールスモートの駐留隊に分かれており、カオルの人と為りをよく知る駐留隊は、よく喰いついていた。今はアグエの増援隊が留守のためか、自警団の異常なテンションを笑いながら休憩中のようだが。
カオルが対する勢力としては、これらの三つである。それが順繰りに交戦を挑んでくるため、個人の側は休みなしの戦闘を強要されていた。
魔王の体力に陰りはないが、精神力はいささかならず摩耗している。
だから、とりあえず眼前の戦闘を回避するために、小路へ駆けだす。
「あ、逃げたぞ!」
「ち、ちくしょう! このいきり立つブツが邪魔で、そんな狭いとこ入れねぇぞ!」
彼らはパイクまで持ち出した完全武装であるため、屋々の隙間まで侵入できないことも計算済みだ。
「これだけ引きつけたんだ。そろそろ、状況が動いて欲しいところだけど」
黒革のジャケットを翻しながら、空へ視線を転じる。
日は、もうすぐ頂点に至る。彼がポールスモートに戻り暴れはじめて、半日が無為に過ぎようとしているのだ。
重いため息をついて、小路を抜ける。
飛び出た大通りは、街の北口から伸びる主幹道であり、
「あのちびっ子と最初に会ったとこか」
蛇頭の巨大な魔族を相手に、ひどく錯乱していた。
つい、数日前の出来事のはずだが、一月も過ぎてしまったような気さえする。
よくよく、今の勇者のことを見ていたということだろうが、彼女は今、メノウとともにいるはずだ。
……あいつは、何をどう決めるんだろうな。
自問すると、風が威を乗せて強く吹く。
圧力が、空を覆った。
はためく前髪を抑え、口端を獰猛に歪ませる。
睨むように連なる白壁の谷間の向こうを見上げれば、優雅に舞う金眼の天使の姿。
ならば、と視線を落とすと、確かに待ち望んでいた人影が、
「さて、そんなしけたツラで、一体何を決めたんだ?」
苦く、悲しげな表情で、聖剣を強く強く握り締めていた。
まるで、意に沿わない覚悟を、強引に結い止めでもするかのように。
※
クリーティアのこれまでにない渋面に、魔王は諦観にも似た笑みをこぼす。
「どこまで聞いたんだ?」
勇者に選ばれた少女は、快活と強引さこそが大きな美点であった。悩むことこそあるが、今のように苦々しい面持ちなど、自警団連中の勤勉な姿と同程度に、カオルの想像にあり得ないものだった。
なれば、よほどの事情が予想しうることで、
「メノウから、どこまで聞いたんだ?」
短く、しかし風に負けないよう、きっぱりと問いを重ねる。
少女は、迷うように石畳に視線を泳がせ、やがて絞り出すように答えた。
「あなたが魔王で、その上で、メノウの大切な人であることを」
恥ずかしいこと教えやがって、と赤い瞳を照れに歪め、古ぼけた指輪を撫でる。
なら、と魔王は問う。半ば答えを知りながら、呆れるように、しかし嬉しくもあるように。
「なら、お前さん。聖剣をそうまで握り締めて、一体何を望むんだ?
勇者であることか? それとも、天使の尖兵になることか?」
己の使命として魔王を討つか、聖典が教える正義に従い己の正しさを示すのか。
どちらも否、であろう。
カオルの思いと彼女の苦悩が重なっているなら、その種は割り切れるものではないはずだから。
クリーティアが、金の前髪に隠しがちだった深く澄んだ青色の瞳を、毅然と持ち上げると、
「天使さまは、もう限界なのです! あなたのせいで!」
そこには、涙が溜められていた。
激情の発憤に、カオルは気を呑まれて言葉を失ってしまい、
「今の天使さまは、会ったことのない神さまと、一介の司祭さまに下された神託によってのみ自分を支えているのです!
あなたが! あなたが、ずっと彼女と一緒にいてあげていたなら……!」
そのまなじりの決壊に、変わらぬ眼差しを注いでいた。
「今、私が天使さまに背いたら、どうなってしまうかわかりません。
だから……だから、教えてください、カオルさん」
強かった眼差しが、みるみると涙に溶かされていくから、
「どうすれば彼女を助けられるのですか?」
やっぱり、とカオルは笑みを深めた。
天使を盲目に崇敬の対象とせず、彼女の苦しみを呑みこんだのだ。溢れる涙は、己の無力に対する悔し涙なのだろう。
そして、そうだとしたなら、男のかけるべき言葉は決まっている。
「違うだろ、ん?」
「……え?」
「お前さんは、助けられるべき側のはずだ」
濡れる瞳が、きょとんと丸をつくる。
……やっぱりわかっていないのか。
カオルは苦笑を隠しきれない。
人は、天使に導かれ救われる存在だ。少なくとも、聖典にはそう記されている。
ところが、少女はその逆を望んだのだ。
教会に拾われた時から、単騎による魔王との対決を定められた、勇者とは名ばかりの人身御供の立場にありながら、だ。
街並の向こう、青空を背にたゆたう天使を見上げる。
衣服と長い髪が揺れるだけで、身じろぎすらしない。
注視しているのだろう。
魔王はため息をこぼし、眉間を寄せる勇者へ向き直ると、
「じゃあ、やるか。マオウサマノトウジョウダゾー!」
両手を広げて、宙へ飛びあがる。
期待はしていなかったが、こちらの軽口に反応はない。
ただただ、迷いの見える苦渋のなか、聖剣の切っ先が持ち上げられただけだった。
※
耳の揃えられた六枚の契約書を持ち上げて、
「やるなら、息の根を止めるとこまでやらないとな」
カチェスは、伝説の龍をも射殺しそうな鋭いまなじりを、さらに引き絞る。
的は、己のものではない議長席から腰を浮かせる、敵意を剥き出したギェスス。つり上がる瞳は、敗北を知りながら受け入れられず、一時的な攻撃性に激情を委ねていた。
睨む副議長へ、彼女は冷笑を一振りし、
「拉致監禁なんぞという、法すら否定する暴挙に出たんだ。正規の手順で議長の座を手に入れるつもりでいたのなら、とっとと私の口を封じるべきだった。
そうでないから、こうして形勢がひっくり返ることになる」
不当な苦難が転じて、客観に明らかな絶対の正義となる。法を根拠に、正規の手順でギェススを排することができるようになったのだ。
カチェスを生かしておいたことに、さまざまな打算があったのは違いない。簡単に思いつく限りで、一連の騒動に対する責任の転嫁先や、彼の糾合力を向上させるための哀れな犠牲役というところか。
だが、そんな貧乏性にも似た計算高さが裏目に出てしまった。
議長は不当な拘束から逃れ、副議長の犯罪の生き証人として戻ってきたのだ。
天使が現れて以来、日和見を決め込んでいた大半の議員は震えあがった。彼らは己の椅子を守るために、協力を約束する契約書を書き上げては送り返してきた。
議員らの惰弱さに呆れながらも、カチェスは応じ、一連の醜態に目をつむること、そして議席の保護を約束。
「一を得るために二を与える。与えるものが目減りしないのなら、上座に座るのは私だ。これが、私なりの交渉術さ。
言いたいことはわかるだろう?」
目減りしない二つの約束をくれてやるから、一つ忠誠をよこせと迫っていく。
ギェススは、今しばらく反抗の姿勢を保っていたが、やがて敵わないことを悟ったのか、両のまぶたをきつく閉ざして、
「……わかりました」
占拠し続けていた議長席を、渋々と明け渡した。
椅子の当代の主は、靴を鳴らして感慨もなく席に腰を沈めると、
「なに、そんな顔をする必要はないさ。
カオルが天使と勇者に敗れたなら、貴様はすぐにも牙を剥くのだろう?」
人からは怖いからやめろと言われる笑みを向ける。
向けられた側は、こけた頬を震わせると、これ以上の問答を避けるように無視し、議場を後にした。
街の最高意思決定機関には十の豪奢な椅子が並ぶが、埋まっているのは彼女ものだけ。
と、ギェススが出ていったドアへ向けて、
「もう出てきてもいいんじゃないか?」
不機嫌に吐息をついた。
気だるい声に招かれて入室したのは、白い鎧が眩しい、剣士然とした女だった。女は柔らかくと微笑んで、
「ばれてましたか」
「戦力がカオルに集中しているとはいえ、無傷で副議長のところまで辿りつけるとは、さすがに考えてなかったからな。
エイブスあたりに頼まれて、ここの掃除をしてくれたんだろう?」
「メグ・ティングリドと申します。カチェス議長」
微笑みを答えとし、握手を求めて手を差し出してきた。
告げられた名に、ほう、と小さく驚きに声をもらす。
……最強と呼ばれた勇者をよこすとは、エイブスもなかなか心配性だな。
部下の気遣いへ苦笑まじりに感謝をして、元勇者の手を、力強く握り返した。
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