1:勝算は奈辺に
魔王を名乗るチンピラが、数日ぶりにポールスモートに姿を現したのは、空が早朝に照らされはじめた頃だった。
隊長の命令で巡回を強化していた自警団が、最初に魔王を見つけた。当番の交代直前で気の緩んでいた青年の二人組だったが、最初の犠牲者もまた彼ら二人。
誰何の声をあげるより早く、魔術による衝撃波が二人を薙ぎ払ったのだ。
二人は擦り傷程度の軽傷で済んだが、夜明けを劈いた衝撃音は、街に覚醒を強要。
街の東から中央に進む自称魔王に対し、起きぬけの市民たちは好奇の眼差しを注いでいた。
だが、自警団と聖堂騎士団が代わる代わる突撃を繰り返しては一蹴され続ける様を目の当たりにして、芽生えた恐怖が徐々に浸透していった。この数日、自警団らをはじめとした複数の戦闘集団が往来を頻繁に行き来しており、人々が敏感に情勢の不安定を感じたのだろう。
日が姿を現しきった時刻になって街に響くのは、軍靴と怒号と悲鳴、そして一方的な破壊の音色だけである。
状況もわからないまま息を潜める市街に、高級ホテルの豪奢な出窓からどこか誇らしげな笑いが向けられた。
「さすが魔王サマ。私の街が恐怖のどんぞこじゃない」
「言葉と口調が不一致ですよ」
肩で振り返れば、表情の乏しい彼女の部下が、呆れたように肩をすくめてみせている。
「あいつが張りきるほど、議長の立場は悪くなりますよ?」
「は、わからないのか、エイブス? あれほど威勢の高い手駒が、疑う余地なく己が手の内にあると思えば、自然と胸が躍るだろう?」
「わかるのは、やっぱりカチェスは乱を求めたがるってことだけですよね」
もう一度、叩きつけるように笑いやり、席を追われた最中にある議長は、肩から下げていた紺のジャケットに袖を通した。
昨日のうちに牢を抜け出たカチェスは、エイブスに安全な拠点を用意させた。そこから寝ずに、様々な計画を指示し実行したものだから、議長と私設秘書の目元には大きなくまが黒ずんでいる。
「それで、用意はできたのか?」
秘書が肩から下げた鞄をサイドテーブルに置き、中から取り出したのは、六枚の羊皮紙。
「届けた親展が八、返事としての契約書が六。上等でしょう」
契約履行の法的義務を約束する、各議員の証明印が押された書類が六枚だ。
「しかし、親展には何を書いたんです? 私は届けただけで、さっぱりなんですが」
「簡単なギブアンドテイクを見せただけさ。今回の一件の貴様らの醜態を、支持者に吹聴するぞ、とな」
自由理念を基礎とする都市の議員自身が、それを犯したとなれば立派なスキャンダルである。街の自治と経済発展が、周辺国との危うい力関係に依っていることを、ポールスモートの商人も住人もよく知っていることなのだから。
簡単な理屈を想像しえない保身を第一とする輩であるが故に、今回の脅しは効果的であった。
「これで手続きは整った。後は副議長を直接追い詰めるだけだが……」
「カオルの襲撃直後に、馬車で空映しの館にすっ飛んで行ったのを見かけましたよ」
好都合だ、と口角をこれ以上になく吊り上げて、
「奴の手駒は、ほとんどが前線に出ているな?」
「ポールスモートだけでなく、アグエの聖堂騎士団もカオルに向かっていますね」
「は、カオル様々だな。あいつなりに、こっちを助けているつもりなのか?」
そうかもしれません、と彼女の秘書は首肯。
「残るは天使と勇者だが……」
「どちらも、ポールスモートの政治には興味を示していません。今回に関して、彼女らが邪魔に入ることは考える必要はないかと」
「だな……天使はどうしている?」
「姿を見せていません。彼女の希望は、魔城で魔王を勇者が倒すことですからね。少なくとも、最初に現れるのは勇者からじゃないですか……気になります?」
冗談でも否定をできるほど、軽い情報ではない。
教会の後ろ盾を持つギェスス副議長には、天使という巨大な戦力が人目にあること自体がプラスに働いている。議員たちが恐れから精神的動転を招いたことからも、天使と勇者の存在が非常に大きいのは自明だ。
複数枚の契約書がカチェスの手の中にあるとはいえ、この脅威が取り除かれない限り、履行の完全な保証は期待できない。
つまり、カオルの勝利が、彼女の勝利に直結する。
勝ってもらわなければならないのだ。
「あいつの勝算は如何ばかり、なものなんだか」
目元厳しく、状況を確かめると、そういえばと話の切り替えを示した部下が、カバンから手の込んだ革装丁の本を差し出してきた。
「カオルのね、正体がわかったかもしれません」
表紙を確かめれば「五百年前の真実」という表題に眉をしかめた。
大陸北部で活躍する高名な神学者グィ・ドオルの著書で、当然正神教の学者であるため、カチェスは拒否反応を示したのだ。しかし、氏の歴史学者としての見識を思い出したことから、態度を改め、
「未読だが、魔王に関する項目でもあるのか?」
「直接の言及ではありませんけどね。まあ、時間ができたなら一読ください」
置いていくような口ぶりと、翻してドアへ向かう背に、上司は首をかしげ、
「一緒にはこないのか?」
「これから方々を回りながら、カオルのところにひとっ走りする予定でして」
なるほど、彼には彼で、やり残してある仕事があるようだ。
公的なものか私的なものか、考えを巡らせて、しかしすぐに苦笑と吐息で応えた。
状況は緊に迫っている。
決壊寸前の堤防の前で、各々が為すことの正否を問うていても、詮がない。
受け取った本を小さく掲げて礼とすると、
「なら、ここまでだな。生きて帰れよ」
「わかりました。カオルに、しっかりと伝えておきますよ」
生意気な返事にしかしそれ以上の言葉は返すことなく、彼女自身も戦場へ向かうために、書類の耳をきれいに揃えなおした。
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