3:ポールスモートの在り方
「台車だ! ありったけ引っ張ってこい!」
「資材の注文はどうなった! レンガの在庫は切れてんだぞ!」
「もう怪我人はいねぇな!」
魔族が暴れていた数十分前とはうって変わり、一帯は人で溢れかえっていた。
町の東側から侵入した魔族は、外周の城壁の一部と大通りの石畳を破壊したところで、追い払うに至った。
後始末と復旧の計画を立てるために、西日の差すなか、人々は忙しなく殺気混じりに動き回っている。
「おおし、終わった終わった。帰って酒飲むだけだー」
事態収拾の功労者は瓦礫に腰を降ろして、やれやれとため息をこぼしていた。
彼の一仕事終わった的な爽やかな表情に、勇者にはかけなければいけない言葉があった。
「……あの」
「ん? おお、お前さんか」
「さっきは、助けてくれてありがとうございました」
深々と頭を下げると、大したことじゃない、と笑いながら手を振られた。
そんなわけがあるか。無防備な体勢であの拳を叩きこまれていたなら、きっと、こうしてはいられなかったはずなのだ。
「何か、お礼を……」
「いいって。これしき、仕事の中に入っているんだから」
気持ちは収まりなどしていないが、気に病むことはないという彼の言葉に甘えて、話題を変えることにする。ずっと気になっていて、今しがた耳にしなおした単語があるのだ。
「よろしければ、そのご職業についてお聞きしても構いませんか?」
「なんだ、見ていたろ? ああやって、時々迷い込む魔族を追っ払ってるんだ」
「見てはいましたけれど……」
振り返り、雑踏の中の向こう、城壁の内側に広がる破壊の爪痕を見やる。
見れば見るほど、
「つまり、魔族よりも街を破壊することで利益を得ているわけではないのですね?」
「ふむ、新しい経済体系の提案だね。どうすれば、俺の財布が潤うか教えてくれるか?」
「いや、魔王的義務感や権威保持意識でも働いているのかと、強い疑いがありまして」
いくつもの火球を連続で炸裂させ続け、音に驚いた魔族が右往左往、あげく火の粉の飛び火という形で、市街損害の七割を叩き出したのは、職務上の事故であると、彼は言い張っている。
悪びれない様子に、クリーティアは、ううむと眉間を押さえた。
人々の様子を見るに、この程度の事態は日常茶飯事といえるようだ。作業が手慣れており、何より襲撃への恐怖感がまるでない。
なればこの仕事では、総被害の七割弱が防衛側の仕業という状況が、当たり前のものだとでも……?
「だとしても、ですね」
男の方法には、重大な疑問が残っていた。
「一息に魔族を倒してしまえば、被害は抑えることができたのじゃないでしょうか」
「んー……倒すってのは、つまり」
赤く染まりつつある空を眺める男が要約した言葉は、頬の緩みから想像もつかない、
「つまり、殺すってことか?」
「……ええ」
言葉が持つ意味の強さに、少女はわずかに息を呑んだ。そうであっても、自分、そして神が望むことだと思い直し、縦に首を振った。
「あなたにそれを選ぶ様子がなかった……魔族を助けようとでも?」
魔王であるため? いや、それはおかしいのではないか。だというのなら、そもそも火球を叩きこむ必要がどこにあるというのか。
気づけば、考え込むクリーティアの様子を、黒髪の青年は穏やかに見つめていた。
異形の瞳に映る達観に、まるで胸の内を透かし見られているようで、む、と少々反抗的な気持ちが波立つ。だが、不思議と不快な気持はない。
魔王疑惑まであるというのに、なぜだろうと自問していると、
「カオル! カオルはどこにいった!」
よく通る女の声が、人ごみを貫いて二人に届いた。
中央の偉い司祭様たちと口調が似ていることから、きっと相応に立場のある人物であろうことは想像できた。
声に、青年はへいへいと小さく応じて、面倒くさげに瓦礫から腰を上げる。
「え……?」
「ん? カーオロイで、カオル。大抵はそう……つーか、名前教えてなかったもんな」
「あ、私はクリーティア。クリーティア・ボードフィールです」
名乗った途端、歩きはじめていた彼は動きを止めて振り返った。逆光で表情はよくわからなかったが。
「ボードフィール? ボードフィール教会の?」
「はい。あの、どうしました?」
「……いや。じゃあ、クリートでいいか?」
「はい、皆は、そう呼んでくれますけど……」
うん、と明るい声をあげると、カオルは小走りに人ごみを抜けていった。
向かう先には、笑顔の美女が。造形はややきつめだが、表情の柔らかさが刺々しさを覆い隠している。ウエーブの強いレッドヘアが、夕日に燃えていた。年の頃なら三十半ばほどだろう。
カオルの姿を確かめたのか、彼女も小走りに。
タイトスカートながらの軽い足取りは、優雅の一言に尽きる。
見とれるように感心していると、赤い髪を揺らしながら石畳を蹴りあげ、
「どんだけ街を壊すんだ、貴様は!」
聖母の笑みが瞬き神の怒りへ変わり、カオルのこめかみに膝が突き刺さった。
その女の顔とカボチャの砕けるような音が、今晩の夢に出てこないことを、クリーティアは本気で神に祈ってしまっていた。
※
「はーい、こっから先は、大人の時間だよ?」
膝から崩れ落ちたカオルの顔面に向けて、女の足が振り上げられた直後、緩いが感情の起伏のない声と薄っぺらい胸板が、耳と目を塞いでくれた。
だけど、背筋を凍らせる鈍い音は、手のひらを抜けて耳に届いたりしていて。
「あああああの人蹴りましたよ! カオルさん、白目剥いていませんでした!?」
「ああ、もう名乗りあった仲なの? ずるいなあ、私にも名前教えてよ」
「いやいやいやいや! そんなことより、あっち……」
指さした先では、
「ふざけるなバカヤロウ! こっちは副議長の突き上げが厳しいんだよ! このっ!」
「なんか大激怒ですけれど構わないんですか、ってまた蹴ってません!?」
けれども男は涼しげな顔を崩しもせずに、
「私はエイブス・ガウズ、しがない情報屋兼あの女の人のお手伝いさ。さ、お嬢さん、向こうでお話ししましょう」
「話を聞いてくださ……っ!」
両脇をひょいと持ち上げられると、エイブスと名乗った青年は、勇者の小さな体を破壊の音が届かない程度まで運び出した。
軽々と石畳に着地させられれば、遠くなった分視界が広がり、夕日に照らされながら蹴り続けられている魔王容疑者の姿がはっきりと。
「あれ、大丈夫なんですか!」
「まあ、いつものことだからね。君がとばっちりを食らう前で助かった」
癖のある黒の髪を撫でつけた華奢な男が、やれやれといった様子で、眉間にしわを寄せる眠そうな半眼が、蹴る女と動かない男を眺めていた。口調の通りで、表情にもあまり起伏はない。
いつもというなら、これ以上の心配は不要だろう。周囲も無視するか、腹を抱えているだけだし。
クリーティアには勇者としての使命があり、また見聞を広めることも任務のうちなのだ。
「いつもというからには、魔族はよく現れるのですか? ええっと、エイブスさん」
「月に一度くらいはね。比較的、魔城に近いからああいう、カオルみたいな仕事が成り立っているんだよ」
へぇ、と感心。
「でしたら」
魔王と目される青年を、執拗に蹴り続ける女に目を向けて、
「あの女性は? 見たところ、相応の身分の方のようですが」
「あぁ。なんて言えばいいか……お嬢さんは『空映しの館』をご存じかな?」
「ええ。この議会制のポールスモート執政機関の、議会場のことですね」
予習の甲斐があった、と内心胸を張っていると、衝撃的な事実が告げられた。
「あの人、カチェス・リン・バルバドスは、そこの上座に座っている人なのさ」
「……え?」
それは議会の代表という意味であり、ということは、
「この街で一番偉い人」
「……つまり」
「つまり?」
「ポールスモートの議会制度における代表とは、街で一番強い人を指すのですか?」
「なるほど。けれども民意を代表して、否定しておくよ」
感情の見えないエイブスの声に、確かな嗚咽を、クリーティアは聞いてしまった。
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