3(9)-5 彼女と彼女の家族

 何事も無く午後の時間が過ぎていく。いつも通りに時間が流れ、気付いたらもう夕方だった。今まで『2回』と同じでこの日は舞花とともに下校する。

「そうしたらなんて言ったと思う?」

「いや、分からん」

「それがね――」

 他愛の無い会話を続けながら俺と舞花は歩き続ける。いま俺の隣で楽しそうに話している幼馴染が明日には死んでしまうとはとても考えられない。

 だが、それは『起こるはずの事実』なのだ。俺はそれを防ぎたい。そのために俺は舞花と一緒にいる。これは俺の望んだことだ。

(それに舞花と一緒にいるときが一番楽しいんだ)

 今まで俺は面倒くさがるフリをして、授業もサボったりしていた。でも、それが楽しいと思ったことは一度もない。だが、今日は真面目に全ての授業に出ていると、すぐそばに舞花がいるのだ。言葉を交わすでも目線を合わせるでもなくただ一緒の空間にいるだけ。それでも心が温かくなり、これまで退屈だったはずの授業も楽しく思えた。

 その理由は分かりきっている。だから守らないといけない。この楽しい時間を終わらせないために。


 舞花と話しながら歩いていると思っていたより早く二林家に帰り着いた。

「ただいま」

 二人でほぼ同時に言う。前回もこんな感じだったと思う。

「おかえりなさい」

 舞花の母親がリビングから顔を出す。明日からの旅行の準備で忙しそうだった。

「うん、ただいま」

「ただいまです」

 舞花がもう一度挨拶をして、俺もそれに続いて返事をする。そのまま二人そろって二階へ上がる。

 俺は部屋に入って制服から私服に着替えるとすぐにリビングに向かった。前回の記憶からこの後、ダイニングで舞花と舞花の両親が何か話をするのが分かっていたからだ。その内容もたぶん昨日のことだろう。

 ダイニングに降りてテーブルに着くと間を置かずに舞花がやって来た。

「あれ? どうしたの、秀?」

「どうしたって?」

「だって、いつもこの時間は上にいるじゃない」

「いや、ここにいればつまみ食いし放題だって思ってさ」

 とっさにそれらしい嘘を吐く。

「本当にそんなことやったらどうなるか。分かってるでしょうね……!」

 笑顔のままでキレる舞花。かなり恐い。

「じょ、冗談だって」

 本当に冗談で言ったことだが、俺はその迫力に圧されて必死に訂正する。

「ならいいわ」

 舞花が少々呆れ気味に呟く。

 そして舞花はすぐに真面目な顔になり、隣の寝室で旅行の準備をしている両親をダイニングに呼んだ。二人が席に着いたのを見て舞花は思いつめた表情をする。

「実はね。二人にすごく大切な話があるの」

 ここで言う二人というのは舞花の両親のことだろう。その内容は想像がつくが……。

(やっぱり、聞かないほうがいいかな)

 俺は舞花のとても真剣な顔を見てそう思った。おじさん達も結局は他人である俺には聞かれたくないことをあるだろう。

 何も言わずに立ち去ろうとしたら、舞花が俺の手を握ってきた。そして意外なことを言った。

「待って、秀。あたしは秀に一緒にいてほしいの」

 そう言った舞花の瞳には珍しく弱さが浮かんでいた。

「……分かった」

 俺は頷いていた。手はテーブルの下で握ったままになっていた。

 そして舞花は淡々と話した。



「あたしね、昨日の帰り道にある女の人に会ったの。その人は織条と名乗っていたわ」

(やっぱりその話か)

 この話を聞いておじさん達がどんな反応をするのか怖かった。でも舞花はもっと怖いはずだ。俺が怖がってちゃいけない。

「……!」

 おじさんとおばさんは声も出ないほど驚いて、少し狼狽しているようにも見えた。

「その人が言うにはあたしは、あたしはね、この家の、2人の子供じゃないらしいの。ねぇ、お父さん、お母さんこれって本当?」

 舞花はしっかりと言い切った。

 おじさん達は黙ってしまい、舞花はその反応を待つ間、机の下で俺の手を強く握っていた。舞花が不安を感じないように、俺はその手を強く握り返した。

 数秒の、しかし永遠にも感じられる沈黙が過ぎ、最初に口を開いたのはおじさんだった。

「本当は母さんと相談して、お前が成人するときにこの話をするはずだった。だが、こうなってしまったのなら話すしかないよな。いいよな、母さん?」

「はい。舞花はもう自分で考えて行動できる年齢ですし」

 おばさんがおじさんの言葉に頷く。

 そして、おじさんは長い溜息を吐いたあと話を始めた。

「そうだな、まずは母さんのことを話そう。

 母さんはある病気を患って子供が産めないんだ。つまり、子供を授かることは僕達二人にはありえなかった。だが、十六年前のある日、それが変わったんだ。その頃はまだこの家じゃなくて、地方にある小さなアパートに住んでいてね。住人もほとんど居ない古いアパートだった。僕らが喋ったことがあるのは隣に住んでいた織条さんくらいだった」

 織条さん。あの舞花の母親だと言った人だ。

「彼女は当時まだぎりぎり成人していないくらいの年齢でね。彼女は大学受験に失敗して、親からの仕送りで予備校に通いながら生活していた。だけど彼女の実家も貧乏でね。それだけでは生活費が足りなかったんだ。そして彼女が始めたのは、そう、いわゆる援助交際を始めたんだ」

 そこまで聞いたとき、俺はこの話の大体の顛末を察した。もし、俺の考え通りだとすれば織条さんは……。

「そうして付き合い始めた男性とは上手くいっていたらしい。何でもその男性は、織条さんと結婚しても良い、と言っていたそうだ。ところが、織条さんが子供を身篭ったと知ると急に態度を変えて、識条さんの前から姿を消したんだ」

 やっぱり、そうか……。そしてその子供というのは……。

「織条さんはとても落ち込んだ。当たり前だ。将来を誓ってくれた男性がいきなり姿を消したんだからね。絶望した織条さんは自殺しようとしたんだ。お腹の赤ちゃんとともにね。そして、彼女は部屋のガス栓を全開にしたんだ。そうしたら、すぐに隣に住んでいた僕達の部屋にも臭いがしてね。僕達は急いで彼女を助けたんだ。幸い彼女はほとんどガスを吸ってなかったから無事だった。最初こそ混乱してたけれど、落ち着いたら彼女は僕達に自分の事情を話してくれたんだ。そして彼女はこうも言ったんだ。『いまお腹の中にいる赤ちゃんが生まれたら、私はあの人を思い出してこの子に酷いことをするかもしれない』とね。そこで僕は一つの案を思いついたんだ。それは織条さんの子供を僕らの子供として育てることだ。そして生まれたのが、舞花、君なんだよ」

「っ!」

 舞花はひどく驚いているようだ。俺の手を一段と強く握る。

「そうして、舞花が生まれてすぐに識条さんは引っ越して行った。僕らも舞花が二歳の時にこっちに引っ越してきたから織条さんとはそれっきりだったんだよ」

 おじさんの話が終わり、ダイニングは沈黙が落ちた。

 俺は少しでも舞花の支えになろうと、舞花の手を握る。舞花も握り返してくれたが、その力はよわよわしいものだった。

「やっぱりあたしは2人の本当の娘じゃないのね」

 舞花が話し始める。声は震えていて、顔は辛そうだ。

「いいえ、それは違うわ」

 ずっと話していなかったおばさんが口を開く。

「確かに私たちと舞花には血のつながりはないかもしれない。でも私たちは舞花を娘として育てて、家族として一緒に暮らしてきたの。それは絶対に本当のこと。それだけは信じてちょうだい」

 その言葉に舞花が俺の手をぎゅっと握った。舞花がどう思ったかは分からない。でも、嬉しくて手を握ってくれたのだと信じたい。

「それで僕達はどうしたらいいんだ?」

 おじさんが舞花に問う。本当の関係を知った舞花への気遣いだろう。

「別に、いつも通りで大丈夫だよ」

 舞花が答える。顔は平気そうだがまだ声が震えている。

「本当に? なにか聞きたいことはないの?」

 おばさんが問い直す。

「正直まだ分かんないの。二人が旅行に行ってる間に整理させて」

 舞花が答える。声の震えは少し収まっていた。

「あぁ、分かった」

 おじさんが頷く。

 また長い沈黙が流れる。その沈黙を破ったのは、意外にも舞花だった。

「ささ、暗い話はここまで。お母さん、夜ご飯の準備始めよ。あ、もちろんお父さんと、秀も手伝ってよ」

「マジかよ!」

 俺と舞花の軽いやり取りを見て、おじさんとおばさんも笑顔を取り戻していた。

 だが、俺には何となしに思ってしまった。きっと舞花もおじさんたちも全部は話してないのではないだろうか。

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