3(9)-2 彼女の過去

その後、顔を洗うためにお手洗いに行った舞花を待ち、2人で帰路に就く。ちょっと気まずい空気でもあったが、それでも俺も舞花も笑顔で歩く帰り道だった。

 学校と住宅街との途中にある商店街に入る。『二つ前の』6日に俺がCDを買ったのもここだ。

「すみません」

 舞花と2人で他愛ない雑談をしていたら、いきなり後ろから声を掛けられた。

 振り返るとそこには三十代半ばくらいの女性がいた。知らない人だが、どことなく見たことがあるような雰囲気でもある。気のせいだろか?

 そして、その女性は舞花の方を見ながら、

「やっぱり! 会いたかったわ、イツキ!」

 と、叫んだ。

(斎? 誰だ?) 

 この女性は舞花に話しかけているはずだ。人違いだろうか?

「私はイツキさんじゃないですよ? 人違いではありませんか?」

 自分に向けて声をかけられてるのが分かったのか、舞花は丁寧に答えた。

「そう、あの人たちは別の名前を付けたのね……」

 女性が何かを呟いた。

「……?」

 舞花も不思議に思っているのだろう。釈然としない表情をしている。

「あんた、誰?」

 不審に思った俺は、舞花を背中に庇うように女性との間に割り込んだ。

「あなたこそ誰なの?」

 女性があからさまに不快そうな表情をしながら俺に尋ねる。

「俺か? 俺は衛守秀。こいつの幼馴染だ」

 後ろに立つ舞花を指さしながら言った。

「……こんな礼儀知らずの子と一緒にいるのは止めなさい、斎」

 その横柄な言葉に、耳の奥の方から何かが切れた音が確かに聞こえた。

「さっきから何なんだよ、あんた! 斎って! こいつの名前は舞花だ! それにこいつが誰とつるむかなんてこいつの勝手だろうが!!」

 気付けば俺は喧嘩腰で怒鳴っていた。女性も驚いているようだ。

「秀」

 そんな俺のなだめるように舞花が俺の肩を掴む。

「とりあえず落ち着いて」

「だけどな!」

「いいから」

 振り返った俺の目を舞花の視線が射抜く。ここまで真剣な舞花は久しぶりに見た。俺は言われた通りに身を引いた。

「すみませんでした。あなたの御用があるのは私ですよね?」

「え、ええ、そうよ」

 まだ少し驚いたままで女性が答える。

「長い話になるから喫茶店にでも入らない、斎? もちろん代金が払うわ」

「だから……!」

 舞花の事をまた『斎』と呼んだ。そのことが妙に勘に触り、女性に食いかかりそうになる。しかし、

「秀、大丈夫だから」

 肩に置かれたままになっていた手に再び力が入った。

「……分かったよ」

 前に出た舞花を見て、俺はとりえず頷いた。

「いいですよ。ただし条件が一つあります。彼――秀も一緒にです」

「……仕方ないわね」

 品定めするように俺を眺めてから、女性は顔を不快そうに歪めながら頷く。

「秀も大人しくしていてね」

 表情を険しくした俺に、舞花が先回りでくぎを刺した。


 近くの喫茶店に入ると、女性はコーヒーを人数分頼んだ。それが運ばれてくるまでは誰も口を開かなかった。

「まずは自己紹介ね」

 運ばれてきたコーヒーを一口飲んでから女性が沈黙を破る。

「私の名前は織条シキジョウ冬子トウコ。あなたの本当の母親よ、斎」

「……?」

 舞花は無言ではあったが、その表情は女性――織条さんが何を言っているのか分からないと語っている。俺は言いたいことがいくつもあったが、既に釘を刺されているので黙っていることにした。

「いきなりこんなことを言われても分からないわよね」

「えぇ、まぁ」

 曖昧に返答する舞花。

「これは本当のことなのよ」

 織条さんが念を押すように言う。

「……あたしはあなたの娘ですか?」

 少し俯き気味に疑問を呟く舞花。その声には相手のことが信じられないと言っているようにも聞こえる。

「私のことが信じられないならなら、あなたの今の両親に聞いていたら?」

 少しいらついたように織条さんが返す。自分の言っていることが信じてもらえなかったことが不満なのだろう。

「分かりました……」

 静かに呟く舞花。その表情はいまだ納得できていないようにも見えたが、ここで疑問を続けても話が進まないと思っているのかもしれない。

「……それで大事な話があるのよ」

 一息おいてから織条さんが話し始める。本題はここからなのだろう。

「私のところに帰ってこない、斎?」

「あなたのところに帰る?」

 今度は少し驚きが混ざった舞花の声。

「そう、私のところへ」

 そこまで言うと織条さんは手元のコーヒーを煽る。

「今、私はある男性の方と内縁関係にあるの。その方はずいぶんな資産家で、私に不自由のない生活を送らせてくれているの。それで斎、彼にあなたのことを話したらぜひとも一緒に暮らそうと言ってくれたの。だから一緒に暮らしましょう。今よりもっと自由に毎日を送れるわ」

 まるで力説するかのように織条さんは一気に捲し立てた。

「そう、ですか……」

 力なく返す舞花。その表情には明らかな困惑が浮かんでいる。

「二林さんたちにはあれだけ圧力を加えたのに全く動いてくれないし……。だからあなたに直接会おうとをしようと思ったのよ、斎」

(圧力? なんのことだ?)

「向こうはいい人ばかりよ。すぐに慣れて、友達もいい子たちばかりよ。こんなガラの悪いのと一緒にいるのはあなたにも良くないわ」

 最後のところは俺を蔑むように眺めながら言い放った。とりあえず黙ってはいたが、睨み返すことにした。

「……とにかく、あなたの一言で全てが決まるわ。どうするの、斎?」

 織条さんは俺から視線を外して舞花に問いかける。

「……」

 俯いたまま黙ってしまった舞花。

「斎?」

 心配そうに声を掛ける織条さん。

「……少し考える時間を頂けませんか?」

 何とかという感じで返す舞花。いきなりたくさんの話をされて精一杯なのだろう。

「分かったわ。……これが私の連絡先よ。決まったら連絡して頂戴」

 織条さんは紙ナプキンにボールペンで電話番号を書き、それを舞花に渡す。

「……失礼します」

 それを受け取ると舞花は席を立って外に向かう。俺もそれに続いた。

 結局出されたコーヒーは一口も飲まなかった。

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