X-2 彼女の死、彼の思い、俺の過去

「それで、どうすればこの逆行とやらを止められるんだ?」

「きっとこの逆行には原因があるんだ。それを解決すればいい」

 俺の疑問に有希人は即座に答えた。なんとも頼もしいことだ。

「原因があるのか?」

「あるよ。これほどの力を使ったってことは、それには原因があって、それをどうにかするために逆行をしてるんだ。ボクはそれを<<知ってる>>」

 この「知ってる」というのは、有希人の言う“観測者”の知識として知りえているということだろう。

「だからまずはその原因を解明すべきだ。いいね?」

「ああ」

「じゃあ、君が逆行する直前に見たモノって思い出せるかい? たぶん原因はそこにあるはずだ」

「直前に見たモノ……」

 俺はゆっくりと記憶を思い出す。

(帰り道の十字路。切れかけた街灯。広がったアカい何か。黒い髪と白い足。あれは――)

「……ウェ!」

 そこで何を見たか思い出した。俺は思わずうずくまり、吐きだしそうになってしまった。

「秀クン!」

駆け寄ってきた有希人が心配そうに背中をさすってくれる。

胃酸の苦みが口の中に広がり、喉をヒリヒリと焼く。その嫌な感覚のおかげで何とか意識を保つことができた。

どれぐらいそうしていただろうか。なんとか落ち着きを取り戻した俺は、そばで寄りそってくれた有希人にゆっくりと話す。

「7日の夕方、……舞花が死ぬんだ。たぶん俺はそれを見て逆行をしたんだと思う」

「!?」

俺の言葉に有希人は酷く驚いていた。普段から大きい瞳がさらに大きく見開かれている。

 俺たちの間には沈黙が落ちた。俺も、きっと有希人も、何を話していいのか分からなのだ。「舞花が死ぬ」という<<現実>>をどう受け止めればいいのか、まるで分らなかった。


「……ある意味では簡単なことかもしれないね」

 さきにそんな言葉を口にしたのは有希人だった。

(簡単? 何を言ってるんだ?)

 俺にはその言葉の意味がよく分からない。

「原因は『二林サンの死』。だったら回避方は『その死の回避』だ」

「……」

「『二林サンが死なない未来』を作ればいい。そうすれば解決するはずだ」

「……」

どこか嬉しそうに語る有希人に、俺は言葉を返せないでいた。

「ねぇ、秀クンだってそう思うでしょ?」

「……」

「秀クン?」

「――わけないだろ」

「え?」

「できるわけないだろ!!」

 湧いてき上がってきたこの感情は、一体なんと表現すればいいものだったのだろう。胸の奥から濁流のように溢れ出てきたそれを、俺はよく考えようとしないまま有希人にぶつけてた。

「『死の回避』、『死なない未来』? そんなのどうしろっていうんだよ!!?」

「秀クン、落ち着いてよ」

「舞花は、舞花は俺の目の前で死んでたんだぞ!! それをどうにかしろってか!?」

「落ち着いてってば」

「うるせぇよ!!!」

 もう一度俺に寄りそおうとした有希人を突き飛ばした。突き飛ばされた有希人が驚いた顔で転んだのが目に入ったが、沸き上がり続ける俺の感情はそんなものお構いなしだった。

「無理だ!! そんなの無理だ!!! 人ひとり死んでて、それをどうにかする!? できっこない!! できっこないんだよ、そんなこと!! 俺にはそんなことをできる力はない!! やろうと思えるほどの人間でもないんだよ!!!」

 一体それは誰に向かって言っているのか。それさえも分からない様な言葉がどんどんと口をついて飛び出してきた。

「――いい加減にしなよ」

「え?」

 その声が誰のものかすぐには分からなかった。いつもウザいくらいに明るく話しかけてくる声とは違い、確かに怒気をはらんだ声だった。

「いい加減にしろって言ってんだよ!!」

 その声の主――有希人に、今度は俺が思いっきり突き飛ばされた。仰向けになった俺に有希人が馬乗りになり胸倉を思いっきり掴んだ。

「いい加減にしろ!! キミはそんな奴じゃないだろ!? いつまで『自分には何もできない』『自分は無気力だ』って言い訳してるんだよ!!」

「……なにを言ってんだよ」

 さっきまでの勢いが嘘のように、俺の声は震えていた。

「――去年の陸上の秋の県大会。ボクは偶然その場にいた。そして君を知った」

 自分の目が大きく見開かれたのが分かった。

 そして有希人は過去を語り始める。

「話したかどうか覚えてないけど、僕には2つ上の姉がいるんだ。姉さんは付き合ってた彼氏が出るから一緒に応援してって、陸上になんて興味のなかったボクを無理やり大会に連れて行った。姉さんの彼氏とかその応援とか正直どうでもよかったし、成績だって憶えてない。でも、僕はしっかりと憶えた姿があるんだ」

 有希人は俺をまっすぐに見つめる。その瞳にはなにかに怯えた様な顔の俺が映っていた。

「男子5000m決勝。その選手は中盤まで後ろの方を走ってた。最初からそうだったから『出遅れたんだな』って思ってた。でもそれは違った。それは作戦だったんだ。彼は終盤、一気にスパートをかけると何人も一気に抜き去って1位でゴールしたんだ」

 知っている。俺はきっとだれよりもそいつのことを知っている。

「僕はさ、こんな外見だから色々言われることも多かったし、僕自身、他人より劣ってると思ってた」

 有希人は自分の銀色の髪を掴み、少女のような顔を撫でた。

「でも、あの時の走りを見て思ったんだ。例えいま劣っていたとしてもそこから巻きかえす方法はあるんだって。誰かに『失敗だ』って言われてても、自分で『そうじゃない』って思っていればいいんだって」

 有希人は泣きそうになりながらも、いつも通りの笑顔で言葉を続ける。

「それをボクに教えてくれたのはキミでしょ、秀クン」

 確かにその通りだ。昨年の大会で優勝したのは俺だ。

(でももうそれは過去のことだ)

 陸上をやっていた思い出はもうすっかり封じてしまっている。

「……」

なにも言い返さない俺を有希人はどう思っているのか。分からないまま、それでも有希人は話を続ける。

「2年になって同じ委員会にキミが来たときは驚いたよ。ボクのヒーローだったキミとじかに顔を合わせられて嬉しかった。でも君はすっかり変わってしまっていた。部活は止めていたし、無気力ぶって『俺にはできない、やる気もない』ってそんなことばかり言うようになってた」

(そうだろうな)

その時にはすっかり俺は『今の俺』になっていた。

「最初はどうしてそうなってしまったのか不思議だった。でも選択授業で一緒になった二林サンが教えてくれたんだ」

「…!」

舞花の名前に思わず反応する。あいつだったら俺の事情を全て知ってるはずだ。

「図書館の当番を終えて、2人で楽しそうに帰るところを偶然見たんだって。それで『秀のことをお願いしたい』って言ってキミになにがあったのか教えてくれたんだ」

(こいつも知ってたのか)

「……」

 有希人は話の続きを言うべきかを悩むように一度言葉を止めた。そしてゆっくり息を吸い、その事実に触れた。

「秀クン、キミは大会で優勝したことに嫉妬されて脚を潰されたんでしょ?」

「………」

 どう反応すべきか悩んだが、結局俺は小さく頷き肯定した。

 県大会の上位入賞者は次の地方大会に進むことができる。優勝した俺はもちろん地方大会に進むことができたが、あと一位の差で地方大会に進めなかった上級生も同じ部活にいた。彼はしきりに「あの一年がでしゃばったせいだ」と周りに話していたことも知っていた。

 練習中、俺は故意に転ばされ何度も脚を踏みつけられた。脚の骨は折れて即座に入院。検査の結果、あまり良くない折れ方していることが判明。普段の生活には影響はないが、もう二度と以前のようには走れないと診断された。

 俺は病院のベッドで泣いた。泣き続けた。もう陸上を続けられないことを泣き、病院に運ばれるときにちらりと見えたあの上級生の暗い笑みを思い出してまた泣いた。そうして涙が枯れたころには俺の骨折は部活動中の事故として処理され、怪我による俺の大会出場辞退、繰り上がりによる上級生の大会進出が決まっていた。

(俺が『今の俺』になったのはそれからだ)

 退院した俺は何かに全力で向かい合うのを止めた。無気力な振りをして日々をただ過ぎゆくままに過ごしてきた。だって努力すればするだけ最後には苦しい思いをするのだ。だったら最初から努力しなければいいのだ。そう決めつけて生きてきた。生きてこられたのだ

 だから勝手にヒーロー扱いされようが、勝手に世話を頼まれようが知ったことではない。

「……お前に何が分かるんだよ」

 やっと開いた俺の口から発せられた悪態に、有希人は目に見えてイラついたような表情をする。こいつのこんな顔を見るのも初めてだった。

「何そのテンプレ? 分かるわけないだろ、ボクはキミじゃないんだ。でもボクにだって分かることはある」

「なんだよそれ?」

「キミ、二林サンのこと好きだろ?」

「……は?」

 急に何を言い出したんだ、こいつは。

「キミが無気力ぶって生きてるのか、ホントに無気力になったのか。それは僕には分からない。でも好きな子の命がかかってるなら本気を出しなよ!」

「待てよ、待てって」

 有希人は勝手に話を進めるが、俺はそれどころじゃいない。

「俺が舞花を好き? 本気で言ってるのか?」

 俺の言葉に有希人は驚いたようにぱちくりと何度かまばたきをする。

「……もしかして自覚ないの?」

「……ないんだと思う」

「なんて笑い話だよ、これって」

 先ほどまでの緊迫した雰囲気はどこへやら、有希人は声を上げて笑い出した。そしてずっと乗っかったままだった俺の上から降りる。俺たちは胡坐で向き合って座った。

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