1(7)-2 図書室の美少年

「うぃ~す」

 図書室の扉を開けながら、俺はやる気のない挨拶をする。

 ぐるっと室内を見渡したが、図書室に人は少ない。書架の近くの机に四人、書架の方に二人、入り口近くのカウンターの中に一人だ。

「相変わらずやる気がないね、秀クン」

 カウンターの方から声が聞こえた。

 そこに座って分厚い本を読んでいるのは、やけに目立つ少年だった。

 まず目を引くのはその髪だった。男子としては長めに、女子ならばショートヘアくらいの髪型になっているそれは、見事な銀髪をしていた。この色は染色ではなく天然のもの。前にハーフだと聞いたことがあるが、その関係だろう。

 髪以外にも特徴はある。女の子のような中性的な顔。小柄な体格。華奢な肩。高めの声。髪も長いので女子の制服を着て、学校生活を送っていても――少々の違和感はありそうだが――大丈夫だろう。そんな中性的な、いやどちらかと言えば少女のように見える少年だ。

「どうしたの? そんなにボクを見て?」

 本から目を上げ少年が尋ねてくる。こちらの視線に気付いたようだ。

「いや、お前ってやっぱり女っぽいよな」

「え! もしかして秀クンってそういう趣味の人?」

「どんな趣味かは知らんが違うと思うぞ」

「ちぇ。秀クン、ノリ悪いよ!」

「悪いな、性格だ」

「ま、分かってるんだけどね」

「あっそ」

 驚き、怒り、無関心と、少年――サカキ有希人ユキトは短い会話の中で表情を何度も変える。有希人との会話はどこか神経を逆撫するところもあるが、慣れてしまえば今となっては全く問題はない。

 有希人はクラスこそ違うが学年は同じで俺と同じ図書委員だ。一学期の頃に当番が同じで仲良くなり、二学期も当番が同じなので少なくても週に二回は会い、こうしてくだらない話をする仲だ。

「で、遅れた理由はツンデレお姫さまとのラブラブタイムってことでイイ?」

「……前から言ってるが俺と舞花はそういう関係じゃない」

 有希人は舞花のことも知っていて、よくその事で茶化してくるのだ。一体どこで知ったのだか。

「第一な、舞花は、ツンはあるがデレはねぇぞ」

「って、ことは秀クンってM?」

「だから、そういう関係じゃないって」

「……分かったよ。そういうことにしておいてあげる」

 ニヤニヤした顔をしながら有希人は読書に戻った。なんともムカつく顔だがここでツッコミを入れたら負けだ。さらに面倒になるのが目に見えてる。

 少しだけ睨み付けながら俺もカウンターの中に入り、有希人の隣に座った。

「今日も仕事は無さそうだよ」

「そういう実も蓋もないことを言うなよ……」

「仕方ないでしょ。事実なんだし」

 確かに今日に限らず図書室は人気がない。我が校には設備の良い自習室があるため、勉強をする生徒のほとんどがそちらに行くし、最近は本を読む奴も少ないからだ。だから図書委員の仕事はかなり楽だ。

(だからこそ入ったんだがな)

 勝手に面倒な委員会に入れられるよりは、自分から楽な委員会に入る方が幾分かマシだ。

「……で、何読んでるんだ?」

 俺は有希人がカウンターの上に置いて読んでいる分厚い本を指差しながら言う。

「…ん」

 有希人が文字を目で追いながら本の背表紙をこちらに向ける。

『物理学辞典 第四版』

 広い茶色の背表紙には金色の文字でそう書かれていた。しかも何かを調べている訳ではなく、端から読んでいるようだ。

「マジかよ!」

 驚愕のあまり思わず声を上げる。図書室中の視線が俺に突き刺さった。

「……秀クン、図書室では静かにね。図書委員なんだからそれくらいの規則は守ってよ」

 本をカウンターの上に戻しながら有希人は言う。

「悪かったな」

「それにボクがこういう本を読んでるのは珍しくないでしょ」

「…ま、そうだな」

 それでも驚いてしまう。確かにまだ広辞苑や六法全書よりはましだが物理学辞典を端から全部読もうと思う人は少ないと思う。

 俺はカウンターに置いてあった文庫本を手に取る。その本の表紙を見ると見覚えのあるものだった。

(前にも読んだことがあるが、別にいいか)

 俺は読書を始めた。

 図書委員では仕事が無いときは読書するのが普通だ。ここなら本には困らないし、なにより日頃からそういう風な生活をしている生徒が多い委員会だからだ。

(俺の場合は読書と言うより暇つぶしだがな)

 そんなこと考えながら俺は読書を続ける。

 有希人の予想通り今日の仕事は無かった。


「あのさ、秀クンってホントに二林サンと付き合ってないの?」

 有希人が読み終えた物理学辞典――どんなスピードで読んでいるのだろう――をカウンターの上に放り出しながら聞いてくる。

「あぁ、付き合ってないぞ。舞花と俺は俗に言う幼馴染ってやつだな」

 俺は文字を目で追いながら答えた。

「ふ~ん。そうなんだ」

「第一、何でそんな勘違いしたんだ?」

 俺は問い返した。前からこのネタで突っかかってくることは多い。一度なぜそんな話になったのかをはっきりとさせておきたかった。

「いや、だって二人で一緒にいること多いし、美男美女同士だしさ」

「それは舞花が俺の世話をしてるから。昔からそうゆうの好きな奴だし。それに舞花は美人かもしれないが、俺は違うぞ」

「イケメンは皆そう言うよね。スリムで長身、優男のように見えて引き締まった体。顔も良い。これがイケメンじゃないなら世界の半分は不細工になっちゃうよ」

 有希人が呆れたように言う。

「……まぁ、いいや」

 関心を失ったのか有希人がカウンターの下から分厚い本を取り出して読み始める。横目で表紙を見ると、

 『量子力学全書』

 と、書いてあった。


 図書室に軽快な音楽と共に校内放送が流れる。

『まもなく下校時間となります。校内にいる生徒は下校の準備を始めてください』

 放送が終わるのと同時に有希人が立ち上がり、

「本日はここまでです。またのお越しをお待ちしております」

 と、大きめの声で言う。

 なにやら言っていることがおかしい気がするが、言及しないことにした。言ったら後が面倒くさそうだ。

 図書室に残っていた生徒が本を片付け始める。俺たちも帰り支度を始める。

 俺たちは無人になった図書室を軽く見回りしてから廊下に出て鍵を掛ける。

「じゃ、ボクは鍵を返してくるから先に帰ってイイよ」

「言われなくてもお前と一緒に帰る気はない」

「冷たいね~」

「黙れ」

 くだらないことを話しながら俺と有希人は別れた。


 夜の帳が落ちた住宅街を歩く。いつも曲がる十字路では街灯がチカチカと点滅していた。

 一つの家の前で立ち止まる。慣れ親しんだ幼馴染の家だ。俺は玄関のドアを開ける。

「ただいま」

 まだこの言葉にはまだ慣れない。当たり前だ。なんだかんだ言ってもここは他人の家だ。

「お帰りなさい、秀君」

 家の中から舞花のお母さんの声が聞こえる。

 俺の一日はもうすぐ終わる。

 長いようで短い一日だった。

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