きっともう、寒くないね

おかしい。これはおかしい。

アリス・マリオネットは、住み慣れた家の、これまた住み慣れた部屋の真ん中でうんうんと唸っていた。

その、原因は。


「夜鈴…もう1ヶ月近くここに来てない……」


出会って数年になる友人が、このところ全く、この家にやってこないのだ。

普段なら、2日にいちどくらいのペースで、ここにやって来るというのに。

なのに、そんな彼女が、全く家に来なくなった。一体なにがあったというのだろう。


はぁ、とため息をつき、今度は握ったままにしていた機械のディスプレイを眺める。

夜鈴が無理やり手渡してきた小型の通信機。夜鈴から連絡があれば音を立ててそれを知らせるはずのその機械は、この1ヶ月、一度も音を立てないままだ。

つまり、夜鈴から連絡すら来ていないということである。

そんなに長い間僕を放っておくというのは、何故だか僕を1人にしたがらない夜鈴にしては珍しいどころか初めてのことだ。本当に、なにかあったのではないかと心配になる。


(ま、まさか、妖に殺されてたり……?)


一瞬、そんな穏やかではない考えが頭を過ぎるが、夜鈴に限ってそれは無いか、と思い直す。

なにせ、夜鈴はとても強いのだ。並の妖に殺されてしまうほど、彼女の腕っ節は弱いものではない、はずである。友人の贔屓目もあるのかもしれないが。

でも、そうじゃないというなら、一体どうしてなのだろう。


(もしかして、僕にもう会いたくなくなった、とか……)


それに思い至った瞬間、すっと、心が冷えたような心地がした。

だって、有り得ない話ではないのだ。

きっと夜鈴だって、最初は僕とこんなふうに関わりたくなんてなかったはずなのだから。


夜鈴の家の人々(夜鈴の名字は歌暖と言うので、要は歌暖家の代々当主、なのだが)と僕には、お互い交流を持ち、仲を深めておかなければならないというしきたりが存在している。妖という、人に害を与える存在を祓う際、歌暖家の人々は、僕しか生み出すことの出来ない、式神ー対妖専用人型兵器のようなものだーを利用していた。それはもう、僕が物心ついた時からずっと、である。

だからこそ、歌暖家の人々と僕とのあいだに、ある程度の信頼関係を築いておくことが重要だと考えられていたらしい。故に、僕はずっと、歌暖家の当主との交流を続けている。


しかし、だ。

人間に式神という妖を祓う手段を提供しているとはいえ、僕は妖なのである。人類の敵であるはずの妖である僕が、こうして人に味方しているのには色々と理由があるのだが、そこは割愛しよう。

本来祓うべきモノである妖と交流を持つ。それはきっと、歌暖家の人間にとっては苦痛であったのだろう。いつだって、彼らは表面上は優しく接してくれたものの、それでも、僕に気を許してくれたことなどただの一度もない。

歌暖夜鈴。僕の初めての友達となった、彼女を除いては。


夜鈴は、変わった子だった。

今までの歌暖家の人々とは違って、僕と本気で仲良くなろうとしてくれた。

初めてぶつけられた、心からの優しい言葉。心配する言葉。僕を大事にしたいからこそ荒くなる言葉。

どれもこれも、不器用で不格好な言葉だったけれど。それでも、綺麗に飾られた心の伴わない言葉なんかより、ずっと、僕の胸に響いたのだ。

だからこそ、僕は、夜鈴のことを信じてみたいと思った。

彼女となら、友達になりたいと、そう思ってしまったのだ。

だから、僕は忘れてしまっていたんだろう。


きっと夜鈴だって、最初は他の人と同じように、僕と仲良くなんてしたくなかったんだろうってことを。

そうだ。夜鈴だって人間だ。夜鈴は優しいから、僕にこうしてずっと付き合ってくれたけれど。


「……妖なんかと本当の友達になるのは無理だって、気付いちゃったのかな」


だから、僕のところに来なくなったのかもしれない。

でも、しきたりのこともあるし、顔を合わせないなんてことは無理だ。夜鈴もそれは分かっているはずだから、もしかしたらそろそろ、顔を見せにくらいは来るかもしれない。

その時に、友達はやめようとか。そういうことを言われるのかもしれない。

その言葉に僕は、笑って「いいよ」と言えるのだろうか。

そうしてそのまま、夜鈴と出会う前の僕に、戻れるのだろうか。


ひとりぼっちだった頃の僕に、戻れるのだろうか。


(無理、かもしれない)


いや、きっと無理だ。

僕は知ってしまったから。

誰かが自分のことを見てくれるという嬉しさを。

心から信じられる人が、隣にいてくれる事の心地良さを。

ひとりじゃないことが、楽しくて、嬉しいことだってことを。

そんなあたたかさを知ってしまったら、もう無理だった。


たった1ヶ月、君に会えないことがこんなにも寂しい。

君が隣にいてくれないと、寒くて、寂しくて、仕方ない。

君がいない世界は、ひどく静かで、寒くて、寂しくて、


(……嫌だよ、こんな味気ない日々なんて)


夜鈴が隣にいないのも、夜鈴との関係性が変わってしまうのも、どっちも嫌だ。

嫌だ。

会いたい。

君に会って、話がしたいよ。


「……会いたいよぉ、夜鈴……」


思わず、そう零した声に。


「呼んだ?」


返ってきたのは、1ヶ月ぶりに聞いた、大切な友人の声だった。


「……え」


驚きのあまり、思わず呆然としてしまう。

そんな僕に構うことなく、夜鈴は言葉を続けた。


「あ、これお土産。貴方甘いもの好きだったからクッキー買ってきたわよ」

「え、あ、ありがとう…?っていうかお土産……?」


お土産?なぜ?

反射的に受け取ったものの、そんなものを買ってくる夜鈴の心理が読めず、首を傾げていると、ようやく僕が状況を理解出来ていないと察したらしい。ふぅ、と一息つくと、


「……私言わなかったっけ?1ヶ月くらい研修で遠方に出かけるから連絡つかないわよって」

「え」


研修?なんの事だ?とこれまた首を傾げていると、夜鈴は「やっぱり聞いてなかったのね……」と呆れたように言った。

そして、事の経緯について説明を始める。


曰く、研修というのは妖を祓う技術を高めるための合宿のようなものであるということ。

きちんと出発前に僕に伝えに来ていたが、どうやら僕は聞き逃していたらしいこと。

そして、今日がその研修の最終日だったから、終わったその足で、僕のところに出向いたということ。


そこまで聞いて、僕はどっと、肩の力が抜けるのを感じた。

つまり、夜鈴は僕と友達をやめたかったわけでもなく。僕といるのが嫌になったわけでもなかったのだ。

その事実に、どうしようもなく安心した。

安心して、肩の力が抜けて、なんだか目の前の景色も滲んできてー


(あれ?)


気がついたら、ぼろぼろと涙が零れていた。それに気付いた夜鈴がぎょっとした顔をしているが、止まらないものは仕方ない。

そっと、夜鈴から貰ったお土産の箱を横に置くと、夜鈴の身体に縋り付くように抱きついた。

やっぱり夜鈴があたふたしているような気配を感じるが、今日の僕に、そんな様子の夜鈴を気にかける余裕はない。言いたかったことをぶちまけるように、夜鈴に縋り付きながら、言葉を吐き出していく。


「…やすずのばか」

「……うん」

「僕、すっごく心配したんだよ」

「うん」

「心配したし、寒かったし、さびしかった」

「……そう」

「夜鈴が死んじゃったんじゃないかとも思ったし」

「勝手に殺さないでくれる?」

「……夜鈴が、僕のこと、きらいになったのかとも、思ったし……」

「……」


その言葉を口にした瞬間、夜鈴がぴくりと身じろぐ気配がした。相槌が返ってこなかったことも不思議に思い、夜鈴の顔を見ようと顔を上げて。

その瞬間、ぽかり、と。軽い衝撃が頭部に走った。どうやら、夜鈴が軽く頭を叩いたらしい。

痛くはないが、叩かれた理由が分からずぽかんとしていると、今度は夜鈴のほうから、ぎゅっと抱きしめられた。


「馬鹿アリス…私が貴方を嫌いになるわけないでしょ」


そして、紡がれたのはそんな言葉。僕は無言で、夜鈴の言葉の続きを待つ。


「言ったでしょ。ひとりぼっちになった私を助けてくれたのは、貴方なんだって。どうしようもなく悲しくて、寂しかった時、ずっと傍にいてくれたのは、貴方なんだって。だから私は、貴方と友達になりたいって、そう思ったんだって」


そんな貴方を、私が嫌うわけないじゃない。


そう言う夜鈴の言葉は、どれもやっぱり温かくて、やさしくて。本当に、嫌われてなかったことに安堵して。

今ならもう少し、我儘を言ってもいいかなと思ってしまった。


「……やすず」

「なに?」

「……しばらく、こうしててもいい?」


思わずそう言ってしまったが、なんだか恥ずかしい。夜鈴も一瞬驚いたように身体をびくりとさせる。

しかし、返ってきたのは、やっぱりやさしい言葉で。


「いいわよ。貴方の気が済むまで付き合うわ」


やさしくて甘いその声音に、また涙が止まらなくなるのを感じながら、やっと帰ってきてくれた友人に、思い切り甘えるのだった。

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