となりに居てとは言えないけれど

ゴッ、という鈍い音と、頬に広がる痛みに、僕は、自分が殴られたのだという事実を認識した。


よくある事だ。

妖という、本来なら人に害を与える存在である僕が、人の味方として、妖祓いに協力している事実を、不快に思う人間は多いらしい。そういう人間が、僕が一人でいるタイミングを狙って襲ってくることは、非常に不本意ながらも、日常じみたものになりつつあった。今日も今日とて、ふらりと出歩いていたところを突然路地裏に連れ込まれ、そしていきなり頬をぶん殴られて、今に至る。


「お前…目障りなんだって何度言えば分かるんだよ」


4、5人の体格のいい男にぐるりと周りを囲まれながら、そのうちの一人に投げかけられた言葉は、そんなものだった。

その言葉に返す言葉もないと黙り込んでいれば、今度は腹に蹴りを入れられ、胸ぐらを掴まれる。


「妖の癖に人に味方して…なんなんだよお前!気持ちわりぃんだよ!!

そうやって俺らに肩入れして、いつか裏切るつもりなんだろ!!」


胸ぐらを掴まれ、揺すられながらそんな言葉を吐き散らかされる。

男の言葉は、見当違いもいいところだ。

妖のくせに人の味方をする僕のことを気味悪がる気持ちは分からなくもないが、いつか裏切る、だと?

そんなものできるなら、とうの昔にやっている。出来ないし、何よりそんなことをするつもりなど毛頭ないから、こうして今でも、僕は人間の味方をしているというのに。

そんな、見当違いな男の言葉が可笑しくて、決めつけたようにそんなことで激昂する男の姿がなんとも滑稽で。思わずくすりと笑えば、再び腹を蹴り飛ばされ、その衝撃で背後の壁に叩きつけられた。

その衝撃で地べたに伏せる僕の頭を踏みつけ、目の前の男は再び凄む。


「っっ、何笑ってるんだよ!!」

「……いやぁ、見当違いなことをべらべら喋っている君の姿が面白いなぁと思ってさ」

「……なんだと……?」


ギリ、と足に込められた力が強くなるのを感じた。身動きが取れなくなり、呻く僕の視界の端にちらりと映ったのは、切っ先の鋭い刃物で。


(あ、やば、)


そう思った次の瞬間には、刃物は僕の首筋スレスレに突き立てられていた。少しだけ掠めた切っ先が、僕の首筋に傷をつけたのを感じる。その状態のまま、男はさらに荒々しい口調で、言い連ねる。


「そうやって俺達人間を内心では嘲笑ってるのが見て取れるから、こうして俺達みたいな正気を保っている人間が制裁を下してるんだ!!

俺達人間は、お前みたいな奴の力を借りなくたっていいんだよ!!さっさとくたばりやがれこの中途半端な化物風情がっっ!!!」


その言葉と共に、再び背中に鈍痛が走った。目の前で凄んでいた男の仲間が、僕の背中を踏みつけたらしい。そのままグリグリと背中を踏みつけられて、横っ腹を蹴り飛ばされる。抵抗も出来ない僕の体はゴロゴロと汚い路地裏を転がり、その辺に積まれていたゴミにぶつかって止まった。


ゴホゴホと嘔吐きながらゆっくり身を起こそうとすれば、再び身体を蹴られ、殴られる。

何度も、どこをどう殴られたかも分からないほど殴られて蹴られて、意識が朦朧としてきた僕の胸ぐらを再び掴んだ男は、僕に再び、刃物を突きつけた。


こいつは本当に、僕を殺すつもりなんだなぁ。

だけど残念だったね。

きっと君に、僕は殺せない。

だって、僕にはー・・・


「っ、ふふ、」

そこまで考えて、思わず、再び笑みをこぼした。

ボロボロの体に刃物を突きつけられ、しかしそんな状態でも未だ余裕を崩さない僕に、目の前の男は不気味なものを見るかのような視線を突きつける。

そんな男に、僕は笑顔を貼り付けたまま言い捨てた。


「……いいのかなぁ。僕にそんなものを突きつけて。そんなふうに、僕を殺そうとして」


きっと彼らは知らないんだ。哀れで、可哀想で、滑稽な男達は、きっと「彼女」のことを知らない。


「知らないよ?僕のことが大好きな『あの子』に、喉元を噛み切られても、ね?」


「は?何を言っー」


その瞬間、僕の胸ぐらを掴んでいた男の手に、ナイフが突き刺さった。

僕に突きつけられていたものとはまた違う形状のナイフ。持ち手が桃色に染められた、「彼女」が好みそうな、可愛らしいナイフだ。


痛みに呻いた男が僕から手を離して、その次の瞬間、首筋を裂かれて地面に伏す。

一瞬で変わり果てた男の姿に、周りにいた取り巻きの男達の顔が、一気に青ざめた。


あーあ、だから言ったのに。

噛み付かれても知らないよ?って。


そう思いながら、後ろを振り向く。

そこには。


血に濡れたナイフを握って立っている、僕のことが大好きな友人ー歌暖夜鈴が、ひとり立っていた。


**


「ああ、もう!だから言ったのに!一人で出歩くなって!!」

「ごめんって〜!どうしてもこの近くの喫茶店に行きたくってさ」


夜鈴が現れてから数分後。僕を囲っていた男共をその見事な手腕で血の海に沈めた彼女は、傷のせいでろくに動けない僕を背負うと、僕の家に向かって歩き出していた。

軽快に笑う僕とは反対に、僕を背負う彼女の表情はどこか固そうに見える。僕を支える手には力が入っていて痛いし、何より彼女から漂う雰囲気が重い。

そんな夜鈴の雰囲気に耐えられなくて、僕は明るい声で話をひたすら振るけど、彼女は、依然として浮かない表情で歩き続ける。そのまま、僕の家に辿り着いた夜鈴は、縁側に僕を座らせると、ぎゅっと正面から抱きついた。

その身体はガタガタと震えていて、先程路地裏で僕を助けた人とはまるで別人だ。その震える背中をそっと撫でると、夜鈴は、細い声で言う。


「…心配させるようなことしないでよ、馬鹿アリス。というか、いい加減学びなさいよ。自分に敵が多いってこと」

「えぇ…でも僕だって一人で出歩かないわけにもいかないしなぁ」


笑いながらそう言えば、ドスリ、と背中を殴られてしまった。加減はされていたようだが、さんざん殴られた箇所なので、普通に痛い。

痛いんだけど、と夜鈴に文句を言えば、迷惑をかけた罰よ、と返された。その声に混ざって、グズ、と鼻を啜る音がするあたり、どうやら夜鈴は泣いているらしい。

馬鹿は君だよ、夜鈴。

僕はいくら傷つけられても泣いてないのに、なんで君が、毎回泣くんだ。

なんで君が、そんなに傷ついているんだろう。


「だからいつも言ってるじゃない…貴方が泣かないから、代わりに泣いてるんだって」

「あれ、僕が考えてたことがバレてる?」

「そりゃ…毎回毎回なんで泣くんだって言われてたら、流石に察しもつくようになるわよ……」


そう言いながら、僕に縋り付くように、夜鈴は腕の力を強くした。ポロポロと零れる涙は、僕の服に吸い込まれて消えていく。

そんな、強くて弱い彼女の背中を、僕はそっと撫で続ける。

きっと、また僕を助けられなかったと。そんな後悔も抱いて泣いている優しい彼女を労わるように、やさしく、背中を撫でて、その身体を抱きしめる。


ねぇ、君は僕をいつも助けられないって言うけれど。僕はずっと、君に助けられているよ。

帰ってこない僕を必死で探してくれる君の姿に。決して泣けない僕の代わりに、こうして泣いてくれる君に。

ずっとずっと、救われているんだよ。


「ねぇ、夜鈴」

「……なによ」

「ありがと、ね」


照れ臭さも感じつつそう言えば、「次からはほんっとに気をつけなさいよね!」と飛んでくる照れ隠しのような声。もう助けてなんてやらないんだから!とは言うけれど、優しい君はきっと、また僕がいなくなれば、必死で探しに来てくれるに決まってる。


ねぇ、夜鈴。

どうかずっと、僕のことを守ってね。

どうかずっと、僕のことを助けてね。


そんな女々しい言葉を口に出す勇気はなくて、だけど少しでも、伝わればいいなと願いながら。


腕の中で震える、大切な友人の目元に、そっと口付けを送った。

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