きっとこれが、最高の贈り物
「久しぶり、元気だった?」
滅多に自発的には出歩くことのない僕が珍しく訪れた場所は、草木の生い茂る、薄暗い森の奥だった。
薄青色の可愛らしい花を片手に訪れたその場所の、ひときわ大きな木の根本にしゃがみ込むと、僕は、そっとそんな言葉を呟いた。
久しぶり、だなんて。
そんな言葉がしっくりきてしまうほど、ここに最後に足を運んだのは、はるか昔のことだ。あの頃はここで、毎日のように遊んで、くだらない話に笑っていたというのに。
そう。
この場所で彼女が死ぬまで、否、彼女を僕が殺すまで。
僕はあの子と一緒に、ずっと、ここで。
「……遊んで、笑って。君の話を聞いて。色んなことを教えてもらったんだよね、君には」
ふ、と昔を懐かしんで自然と零れた笑みを浮かべたまま、僕は、目の前の申し訳程度に積まれた石ころに声をかける。彼女を殺したその時に、彼女が死んだ場所を忘れないようにと勝手に作った目印だ。
最も、作ったところでそれ以来この場所を訪れることがなかったのだから、目印を作った意味はあまりなかったのかもしれないけれど。いや、今ここに来たわけだから現在進行形で役に立っているのか?
とまぁ、それはどうでもいい話だ。
そんな疑問はさておき、わざわざ花を持って、今日ここに足を運んだ目的を果たさなければならない。
そう思い直すと、僕は、手に持っていた花をそっと目印の前に添え、務めて笑顔を作って言った。
「お誕生日おめでとう、鈴蘭。ずっと、お祝い出来なくてごめんね。
………なんて、もう死んでる君にそんなこと言っても、仕方ないのかもしれないけどさ」
死んでる君に、と。そう言っただけで泣きそうになるのを、泣いてたまるかと叱責して。
笑顔を崩さないように、必死で口元に力を入れて、言葉を続ける。
「ずっとここに来れなくてごめんね。……君の死んだ、ううん、僕が殺したあの瞬間を思い出すのが嫌で、ずっとここに来るのを避けてた。
でもね、ずっとそうやって避けてちゃだめだって。君との約束を忘れたみたいに、君との思い出の詰まったこの場所を避けてちゃだめだって。そう思ったら、ようやくここに来る決心がついたんだよ」
もうここにはいない、あの日、空に溶けていった君にまで届くようにと、そんな願いをこめて、僕は静かに話し続ける。声が震えるけれど、そんなことには構っていられない。
僕には、彼女に伝えなければならないことがあるのだから。
「ずっとここには来れなかったけれど……でも、でもね。僕、君のことを忘れたことは1日たりともないよ。君が最期に残していった約束、僕は、忘れてない。君の笑顔も、君の言葉も。君が教えてくれた沢山の感情も、僕は全部覚えてる。『私を忘れないで』って、そう言った君のこと、僕はちゃんと覚えてるよ」
そう、そうだ。
苦しくて悲しくて、どうしようもなかった時もあったけれど。いっそのこと忘れてしまいたいと思った日もあったけれど。
それでも、泣きながら『忘れないで』と言う君の顔を思い出したら、君のことを忘れるなんてできなかった。
君が最初に願ったことを、一瞬だけでも後悔したようなその言葉を、僕は覚えておかなきゃいけないと思ったんだ。
それがたとえ、僕を縛りつける呪いの言葉だったとしても。
「だから安心して。僕は絶対、
ーこれからも、その先もずっと。君のことを忘れない。
……それを言いたくて、僕はここに来たんだ。ずっと渡せていなかった、君へのプレゼントさ」
そこまで言い切って、僕は大きく息を吐いた。どうやら、自分で思っていた以上に緊張していたらしい。
安堵からか、それともしゃがみ込むという体勢で長々と話をしていたからか。力が抜けそうになる足を叱咤して、僕は立ち上がった。
最後にもう一度笑顔を浮かべて、
「本当に、お誕生日おめでとう。
君に出会えて、僕は幸せだったよ。ありがとう」
そう言うとくるりと背を向けて、歩き出す。
もう笑顔を作る必要はないからと、気を抜いた瞬間にぽろりと零れ落ちたしずくはそのままにして、僕は必死で歩く。
胸にこみ上げてくるのは、僕の本心だ。
彼女の前では絶対に口にできない、欲に塗れた、僕の、本心。
本当は生きてるあの子の誕生日をお祝いしたかったし、もっと言うなら、あの子を殺したくなんてなかった。願いなんてどうでもいいと我儘を言って駄々をこねてでもいい。それでも。
ずっと一緒に生きていけたらなんて、そう思ってしまうくらい、僕はあの子のことが大好きだった。
決して叶うことはない、叶ってはいけない。僕の願いと、淡い想い。
彼女の死を思い出すのが嫌なのではなく、胸に封じ込めたそれらのことを思い出してしまうのが嫌で、だからここには来たくなかったのかもしれない。いや、どちらも理由たり得るか。よく分からないけれど。
そんなことをぐるぐると考えてるうちに、丸太で作られた小さな家が見えてきた。昔は鈴蘭と、そして今は別の人と暮らしている、大切な場所。
そんな家の前で、僕の名を呼びつつうろうろと辺りを歩き回る人影も見える。
きっと、今の同居人の彼女だろう。僕の姿が見えないのが心配で、探しているらしい。
はぁ、全く。仕方ないなぁ。
泣いているのがバレないように涙を拭うと、気分を切り替えるべくぱちんと両頬を叩く。そしてぐっと指で口角を持ち上げて、にこっと笑顔を作れば、きっといつも通りの僕だ。
君の存在の全てに縛られている、いつも通りの僕だ。
だから大丈夫だよ、鈴蘭。君の全てに縛られているままの僕は、絶対に君のことを忘れない。いいや、忘れられない。
だってー・・・
「ただいま」
そう言って同居人の肩を叩く僕の笑顔も、僕が紡ぐ言葉のすべても、「僕」を構築するすべてのものが、君が教えてくれたことなのだから。
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