やさしいあなたの腕の中は
・前話リメイク版
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夢の中で、幼い子供が泣いていた。
静かに泣く、その幼子が胸に抱えているのは、あかい色に染まった、もう動かぬ人の身体。
そのつめたい亡骸を抱えて、幼い子供は静かに涙を零しながら、つぶやく。
ー嗚呼、僕は。
僕はまた、兄さんを守れなかったんだ。
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そんな嫌な夢を見た、僕の寝起きは最悪だった。心臓の音はバクバクと煩く僕の胸を締め付けるし、背中を伝う冷たい汗は、衣服をもじっとりと濡らし、僕に不快感を与えてくる。
そんな不快感に顔を顰めつつもゆるりと身を起こせば、そこは、自分の部屋ではなく、皆が談笑する時に使われる談話室だった。なぜこんなところで自分は寝ているのだろう。そんな疑問が頭をよぎるも、そういえば、昨日はなんとなく寝付けなくてここで寝たんだったか、と思い出し、ふぅ、と一息ついた。最も、あんな夢を見たあとでは、寝付けない方がよかったのではなどと思わずにはいられないのだが。
嗚呼、古傷が痛む。
物理的な古傷ではない。言うなれば、心に。心という見えないものに深く刻まれた傷跡がジクジクと痛むような、そんな心地がして、僕は胸元をぎゅっと握り込んだ。この胸の痛みに耐えかねたかのように、零したくない雫が、ほろほろと瞳から溢れ出す。
この夢を見た時はいつもこうだ。胸が痛くて、苦しくて、つらくて、もう2度と零すまいと堰き止めた弱音が、無意識にこぼれ落ちてしまう。それが、嫌で嫌で仕方なくて。強く在ろうと足掻いても、結局は、弱くて何も出来ない自分のままなのが。本当の僕は未だ弱いままで、何も変われていないという事実を痛感するこの瞬間が、嫌で、嫌いで。
でも。いくら嫌だと喚いても、頬を伝う涙は止まらない。だから僕はひとりぼっちで、そっと、涙を流す。
そのはず、だったのに。
「……晶」
落ち着いた、しかしどこか幼さの残る声が、静かに、僕の名を呼んだ。そして、ぎゅっ、と。あたたかい腕が、僕の冷えてこごえた身体を後ろから包み込む。
そのあたたかさが、優しい声が、僕に思い出させてくれることが、ある。
そう。
僕が泣いているといつも、こうして身体を抱きしめてくれる人がいたことを。
その温もりで、その言葉で。僕の痛みを、癒そうとしてくれた人がいたこと。
僕は振り向きながら、その人の名前を呼ぶ。震える声で、それでも、後ろに立つ優しいその人に届くように、しっかりと、呼ぶ。
「……キラ」
その声に、彼は優しい笑顔を浮かべると、僕の身体を抱きしめる力をほんの少しだけ強くした。
「……あんたが泣いているような、そんな気がしたんだ」
落ち着いた、しかしまだどこか幼さを残すあたたかい声が、僕の鼓膜を揺らす。あたたかい手が、冷えきった僕の身体をあたためてくれるような感覚に、ほぅ、と息をつく。そして、背後からまわされたその手に、縋りつくようにきゅっと握った。
そう。彼はいつもそうだ。僕が夜にひとりで泣いていると、どこからともなく現れて、こうして僕のつめたい身体を抱きしめる。
そして、僕が泣き止むまで、こうし抱きしめていてくれるのだ。
その行為が、僕の古傷を抉っているなんてことも知らずに。
**
一人でも大丈夫だと言える、そんな強さが欲しかった。
大切なものを、この腕で守れるだけの強さが欲しかった。
だから強くあろうとした。よわむしだった自分を殺して、強い自分になりたかった。
そんな覚悟を、そんな決意を、このあたたかな腕はゆっくりと溶かしてしまう。
無理に強くあろうとしなくていい、と。この腕に甘えていいのだと、そう言うかのように、僕の決意を、ゆるやかにとかしていく。
「…泣いて、いい。あんたは、泣いてもいいんだ。もっと周りの人に、甘えてもいいんだよ……」
あまい、あまい。毒を含んだあまい言葉。どこまでも優しい声音で囁かれた、優しい、しかし「僕」を殺す猛毒のような言葉。
その言葉を聞く度に、じくり、じくり、と。古傷が痛んで、血が流れていく音がする。どろり、と。強がりな僕が殺されていく心地がする。
こころは、痛い。痛くていたくてしかたない。
だけど、今は。
今だけは少しだけ、このあまい毒に侵されたままでいたい。
そう思った僕は、くるりと身体の向きを変え、彼のあたたかい胸にそっともたれかかる。先ほどの彼の言葉に、小さい声でうん、と頷けば、僕の頭の上で、彼が満足そうに微笑む気配を感じた。
あたたかい腕につつまれて。優しい言葉に甘やかされて。僕は昔の泣き虫弱虫に戻ったかのように、ぼろぼろと涙をこぼす。
じくり、と。流れる涙とともに、ひときわ大きく痛んだこころには、気づかないふりをして。
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