痛むこころもなにもかも忘れて

・過去ワンライ参加作

・お題「古傷が痛む」


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夢の中で、幼い子供が泣いていた。

静かに泣く、その幼子が胸に抱えているのは、あかい色に染まった、もう動かぬ人の身体。

そのつめたい亡骸を抱えて、幼い子供は静かに涙を零しながら、つぶやく。


ー嗚呼、僕は。


僕はまた、兄さんを守れなかったんだ。


**

そう呟いた声で、僕は目を覚ます。

むくりと起きあがれば、そこは、いつも僕が寝ている部屋ではなく、皆が談笑する時に使われる談話室だった。そこに設置されているソファの上で、僕は寝入っていたらしい。


この夢を見た時はいつもそうだ。

僕は昨夜、確かに、自室のベッドで眠りについたはずだった。

なのにどうしてか、昔の夢を見て起きたその時には、この、談話室のソファの上で目を覚ますのだ。


嗚呼、古傷が痛む。

この夢を見た時はいつもそうだ。

思い出すだけで心が締め付けられる、心の奥底に刻まれた古傷が、じくじくと痛みだすのだ。

そんな痛みに負けて、夢の中の幼子と同じように、ぽろぽろと涙をこぼしてしまう自分が、あの時のまま、何も変われていない自分が、嫌で、嫌いで。

でも。いくら嫌だと喚いても、頬を伝う涙は止まらない。だから僕はひとりぼっちで、そっと、涙を流す。


その時だ。


ぎゅっ、と。あたたかい何かが、僕の冷えてこごえた身体を包み込んだ。

そのあたたかさに、僕はふと思い出す。


僕が泣いているといつも、こうして身体を抱きしめてくれる人がいたことを。



「泣いてるんじゃないか。そんな気がしたんだ」



落ち着いた、しかしまだどこか幼さを残すあたたかい声が、ぼくの鼓膜を揺らす。

彼はいつもそうだ。僕が夜にひとりで泣いていると、どこからともなく現れて、こうして僕のつめたい身体を抱きしめる。

そして、僕が泣き止むまで、こうし抱きしめていてくれるのだ。


その行為が、僕の古傷を抉っているなんてことも知らずに。


**

一人でも大丈夫だと言える、そんな強さが欲しかった。

大切なものを、この腕で守れるだけの強さが欲しかった。

だから強くあろうとした。よわむしだった自分を殺して、強い自分になりたかった。

そんな覚悟を、そんな決意を、このあたたかな腕はゆっくりと溶かしてしまう。

無理に強くあろうとしなくていい、と。この腕に甘えていいのだと、そう言うかのように、僕の決意を、ゆるやかにとかしていく。


「…泣いて、いい。あんたは、泣いてもいいんだ」


あまい、あまい。毒を含んだあまい言葉。

その言葉を聞く度に、じくり、じくり、と。古傷が痛んで、血が流れていく音がする。

こころは、痛い。痛くていたくてしかたない。

だけど、今は。

今だけは少しだけ、このあまい毒に侵されたままでいたい。


そう思った僕は、くるりと身体の向きを変え、彼のあたたかい胸にそっと凭れかかる。

じくり、と。ひときわ大きく痛んだ古傷には、気づかないふりをして。

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