馬上試合異聞

 マリアが十六歳、グレイスが十七歳になる歳、寄宿学校で馬上試合が開催された。牛の革を巻きつけた木槍ぼくそう木剣ぼっけんを使っての模擬戦ではあるが、十対十の団体戦方式で、決戦さながらの迫力がある。無論危険もあるので、あくまで有志の参加ということになっていた。


 その馬上試合に、グレイスだけでなくマリアまでもが参加を表明したことは、学内でもちょっとした騒ぎになった。この頃にはすっかり騎射が上手くなっていたマリアだが、帝室に連なる少女を危険に晒すわけにはいかないと学校側からストップが掛かったのだ。


 公式記録によれば、マリアは結局馬上試合に参加しなかったことになっている。そのため軍記物で度々描かれるグレイスとマリアの一回目の対決は、史家の間では長らく虚構と考えられてきたのだが、近年になって通説を覆す記録が見つかった。


 それはニマオモ寄宿学校の講師の一人が書き残した業務日誌だった。


 日誌によれば、公式記録で馬上試合に出場したことになっている騎士の一人が、ワインの飲み過ぎで学校行事に寝坊したとがで一週間の謹慎処分を受けたのだという。寝坊したのはまさに馬上試合の当日のことであった。


「皆さん、よろしくお願いします」


 の甲冑を着た少女が柔らかに言うと、九人の騎士が「はい!」と応じて一斉に動き出した。少し遅れて、試合場の反対側にいるグレイスと九人の騎士も。ドラが鳴る。試合開始だ。


 定法に則って、グレイスが数人の仲間とともに突撃を仕掛けてくる。


「我々はグレイスとは戦いません。我々が戦うのはです」


 ねぼすけは試合に先立って仲間の騎士にそう宣言していた。騎士たちはねぼすけの言うとおり、グレイスたちから逃げまくりながら試合場のあちこちにある敵方の旗を奪いにかかった。


 正面からグレイスの突撃を受け――受け流すのはねぼすけの役目だった。ランスの一撃を避ける。避ける。避ける。三度避けたところで、近くにいた仲間の騎士が木剣の一撃で落馬する。会場のあちこちでも、逃げ切れなかった仲間が次々と討ち取られていく。四人……五人……六人までが落馬したところで試合終了のドラがなった。


 そして、ねぼすけ以外の誰もが驚いた。試合の勝ち負けは、倒した騎士の数と奪取した旗の本数で決まるのだが、何度数えても同点になるのだ。騎士同士の戦いでは圧倒的にグレイス側が優勢であったにも関わらずだ。


 グレイスとその仲間の鋭鋒をひたすら避けて、旗の点数で逆転を狙う。結果的には引き分けに終わったが、ねぼすけの戦略眼と何よりそれを仲間に徹底させる統率力に驚嘆せぬものはいなかったという。


 その夜、グレイスは初めて自分の方からマリアの部屋を訪れた。


「負けました。完敗ですよ。まさかあんな手で来るとは思いませんでした」


「お寝坊さんのことですか? わたくしにはよくわかりませんが、先例がないわけでもないでしょう?」


「用兵の教本に書いてあるからといって、それを実現できるかどうかは別ですよ」


「ええ。少し卑怯な手使いましたが、上手くいったことを喜ばしく思います」


 マリアが微笑むと、グレイスはさっと顔を背けた。短く切った黒髪が浮くほどの勢いだった。


「……謝らねばならないことがあります」


「と言いますと?」


「わたしはマリア様のことを侮っていました。以前より武器の使い方、馬の乗り方が上手くなったとは言え、わたしが先陣を切る以上、負けることなどあり得るはずがないと。故に策を用いず力で攻めました」


「策が持ち味を殺すということもあります。貴女にとってはそれが最善だったということでしょう。そう卑下するものではありませんよ。先ほど貴女は完敗と言いましたが、試合の結果は引き分けなのですから」


「だとしても、わたしはマリア様の期待を裏切ってしまった」


 ――貴女とならば侮ることとも侮られることとも無縁のお付き合いができると思っていましたのに!


 そういったときの彼女の泣き顔を思い出して、グレイスは再び頭を下げる。その心の内は、当人にも伝わったようだ。


「……覚えていてくれたのですね。であれば、わたくしには、それで充分です」

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