眠り
目が覚めたら、マリアの部屋だった。まだ夜じゃないはずだ。どうして、こんな時間にいるんだっけ。そうだ、フローレンスとお茶をしていたら、急に頭痛がして、それからの意識がない。まだズキズキと頭痛がした。なんでこんなに痛いんだろう。マリアもなにも言わない。
起き上がることもできず、寝返りを打とうとすると、ベッドの向こうから話し声が聞こえてきた。耳を澄ませてみると、フローレンスとエマだ。なにか言い合いをしている。
「違うと言っているだろう。何度も言わせるんじゃない」
「本当に? エマニュエル、本当にこの前の毒薬の影響じゃないのね? アエテルヌムに誓って言える?」
フローレンスの声は、密やかで緊張を帯びていた。エマはいつもどおりだ。毒薬……、わたしが来たときの件だろうか。
「プリンセス、それはわたしには関係ないんだが。それはともかく、雇い主たる国王陛下に誓おうじゃないか。倒れたのは薬の影響ではない」
「ほかに、なにか理由があるような言い方ね?」
フローレンスは変わらず密やかな声で話していたが、口調に鋭さが増していた。なんだろう、なにが、あったんだろう。
「そう聞こえたなら失敬。単に、疲れが溜まっているんだろう。新年の祝いの準備であっちこっち駈けずり回っていたようだしね。それに、プリンセス。貴人を守るというのは、常に気を張る仕事なんだよ。わたしは陛下に守護の魔法を授けているが、たとえ王兄派の件が多少収まったとしても、マリアは、君の側で控えていなければならないからね。アランみたく頭がイカれてれば話は別だが。
さあ、早く部屋にお戻りなさい。なんなら、飲めば一瞬で疲れがぶっ飛ぶ薬でも処方しておくよ」
「違法薬物みたいに言わないでちょうだい。……女中には、栄養のあるものを用意するよう伝えておくわ」
「それがいいな。あとはわたしがやっておくから」
声をひそめながら話すフローレンスの言葉に対し、飄々と言い返すエマの会話に混ざれるほど、やっぱり頭痛は治まってくれなかった。なんだか本当に違法薬物でも処方されそうで怖いが、それどころじゃない。頭痛が治まらない。本当にどうしちゃったんだろう。ねえ、マリア。
「目が覚めたかい、お嬢さん。入るよ」
エマの声がした。またズキンと頭が痛んで、わたしは返事が出来なかった。マリアも返事をしてくれない。喧嘩したとき以外、彼女が返事をくれないことなど、一度もなかったのに。痛すぎて返事ができないんだろうか。
「……エマ、わたし、どうしちゃったの」
わたしは頭を押さえながら、エマに尋ねる。エマは、最初のときと同じように、椅子に腰かけ、杖にもたれかかった。
「プリンセスとお茶をしているときに、ぶっ倒れたんだよ。これを飲みなさい。……違法薬物なわけないだろうが。普通の人間が調合する薬と同じだ。ただ魔法はかけたから、こちらのほうが効き目が断然に良い」
違法薬物を投与されると恐れるわたしに対し、呆れ半分だけど、切れ良く言い返してくれる。エマはカップを渡してくれた。温かいカップの中からは、薬のような匂いがする。一口飲んだが、苦くて余計に頭痛がしそうだった。
「全部、飲み切りなさい」
本当にお医者さんみたいだ。わたしは鼻をつまんで、一気飲みした。後味が悪くて最悪だった。マリアも、早く返事をくれるといい。
「……お嬢さん、わたしが言ったことを、忘れたのかい」
エマは、静かに言う。なんだろう、さっきまでの飄々とした感じじゃない。深刻そうな、感じがする。それに、マリアが返事をしないことが、どこか引っかかる。なにか、いけないことが起きているような、ただの直感だけど、そんな気がする。
「わたしは、『なにが起こるかわからない』と、言っただろう」
「それは、知ってるけど。なに、どうしたの……?」
エマは目を細めるようにして、わたしを見る。きっと、マリアを見ているんだろう。
「前々から、兆候はなかったのかね?」
「兆候って?」
言っている意味がわからなくて、わたしは首を傾げる。
「前々から、頭が痛くはなかったのかね? いや、もう過ぎたことだな。結論を言う。……マリアが深く眠っている。というより、消えかかっている」
マリアが、消えかかっている。その言葉に、わたしは目を大きく見開いてしまった。消える? どうして? 言われてみれば、頭痛は前からしてた。だけど頭痛なんて、ただの疲れだとか、マリアが勝手に動いて寝不足のせいだと思っていた。いつから頭痛はしてた? わたしは記憶を掘り返す。そうだ、舞踏会のときくらいから、だ。顔の血が、全部抜けてしまったような気分になった。わたしは、ずっと疲れだと思ってた。でも、違ったんだ……!
「明確な理由については、わたしだってわからない。ただ、生き物は肉体一つにつき、魂は一つと決まっている。それはこの世界の不文律だ。だが君たちは、二つの魂をその体に宿している。恐らく、君のほうが体に対する所有権が強いから、不要なマリアが追い出されて、消えかけているんじゃないか。というのがわたしの推測だがね」
「わ、わたし、マリアを追い出そうとしてない!」
ほとんど叫ぶようにわたしは言った。そんなこと思ってない、だってマリアは、今やわたしの大切な友だちだった。どうして、そんなことしようとしているなんて、思われるんだろう。体を返してあげたいし、もし体が分けられたらその後も、ずっと友だちでいてほしいと思っている。
「体がそうしようとしているんだよ。例えば、包丁で手を切ったとしても、君がなにをしなくても、傷はそのうち癒えるだろう? 魂についてもそういうことさ。君の意思は関係ない、体がそうさせているのさ。命の神秘だよ、まったく」
「……どうしよう」
「それは、君の自由だ。頭痛はそれを飲めば、じきに治まるだろう。
そのまま、一週間もしないうちにマリアが消えるのを待てば、その体は君の物になる。君が身を引くということであれば、わたしは手伝おう。どうするかは、自分で決めたまえ」
そう言って、エマは帰っていった。
マリアが、消える。嫌だ。でも、そのまま放置しておけば、わたしは、体を手に入れられる? この世界で、生きていける? それは、悪魔のささやきに違いなかった。
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