暦とマリア・ティレル

 問題の一つは、この世界でのこよみが、わたしに馴染みのない呼び方だった。


 というより、本当に厄介なのは、マリアの記憶があるとはいえ、馴染みがないから上手く実感を持てないことだった。どうして小説では、異世界に転生したり転移した人たちは、すんなり受け入れられるんだろう。羨ましい限りだ。


 たとえば、このラーロ王国は四季がそれなりにあるようで、今は秋ごろ。でも、この世界に「秋」や「夏」という言葉はない。太陽と月はあるし、それも通じるのに意味がわからない!


 一応、マリアの故郷であるセンペル皇国こうこくにも、季語はないようだ。もっとも、センペル皇国は砂漠にあるようなので、常夏状態だが。


 つまり、この国での四季はあくまで、暦の月でしか表現しないので、それを口にしないようにしなくてはいけなかった。


 今なら、窓から見える木はまだ青く、ただ朝晩は冷え込んだりと、気温は少し下がってきている。たぶん、日本だと九月後半か十月くらいなのだが、それをこの国では、『きんノ月』と呼ぶ。

 しかも、一年が六か月で、一か月が六十日で、一週間は六日の計算だった。これもアエテルヌムと七柱の使徒に由来するらしい。


 そう、「時ノ使徒」が、時間を司っている。だけど時間は幅が広い。それだと一柱で大変だから他の使徒が手伝う。という形らしい。だから、曜日や干支みたいなのもあって、曜日は光ノ日、闇ノ日、土ノ日、水ノ日、火ノ日、風ノ日。という順番。干支みたいなのもそう。光ノ年、闇ノ年、と一年ごとに変わっていく。時ノ使徒は時間を順繰りに動かすから、暦には登場しないと。


 つまるところ、時ノ使徒以外の六人の使徒はその名の通りだ。光ノ使徒とか闇ノ使徒とか、一言で言うとファンタジー感しかない。


 他の国、厳密に言うとアエテルヌムを信奉していない国や、四季がない国ではまた数え方や呼び方が違うようだが、少なくともラーロ王国では、一年は、日本で言う冬の『銀ノ月』という月から始まり、春の『薄紅ノ月』、『若草ノ月』、夏の『蒼の月』、秋の『金ノ月』、冬の『灰ノ月』の六か月。なんで曜日まで使徒の名前に合わせてるのに、月に関しては色なのかも意味がわからない。


 それでも幸いなことは、カレンダーがちゃんとあることだった。日付を見れば今日は、アエテルヌム歴、一二一二年、風ノ年、金ノ月、四十七日、火ノ日。


 唯一わかり易いと思ったのは、一週間が六日で、六十日で一か月だから、毎月、必ず日付と曜日が合うということだ。一日だったら光ノ日。二日だったら闇ノ日。となる。


 とはいえ、どうしてもやっぱり、単語が馴染まない。今までの感覚と暦を切り離せるよう、毎日テーブルの上にある卓上カレンダーを読み上げるのを習慣にしようと心に決めた。


 そして明確な時間がない以上、王族や貴族以外は、日の出とともに起きて、朝ごはんを食べたら働いて、日が暮れたらご飯を食べてとっとと寝る。というのも、常識らしかった。


 ただし、お城で働く人は舞踏会だとか行事もあるので、日が暮れてさっさと寝るわけにもいかないから、どうしたってずれこむ。でも朝起きる時間は変わらない。だから、わたしもマリアの体がそれに慣れていて、日の出とともに目が覚めるようになった。こういうところだけは染み付いているようだ。


 この世界のことはさておき、記憶を漁れば漁るほどわかる。

 マリアはフローレンスと、とても仲が良かった。マリアは侍女として働き、フローレンスも政治の勉強や王さまの手伝いをしたりと忙しいが、ときどき余暇を合わせて午後のお茶を共にする。そのときだけ、他の女中を連れず、二人は普通の女の子のように振る舞える。そう思っていたのはわかった。あとは、城の中で重要な人物もわかった。そして家族とマリアの一族のことも。


 ただマリアの家族や、この城に来るまでの間のことは、血風吹きすさぶような陰惨な過去で気分が悪くなってしまい、それ以上思い出すのを辞めた。もう少し心の準備ができてから、見ようと思う。


 なんにせよ、わたし自身に実感が伴えなくて、結局手探りで実感をとらえていかねばならないのが現状の問題だった。今までと生きていた環境とは、全く別のせいだろうか。


 それと、初めて大きな姿見の前で、着替えをしようとしたときに、マリアの傷だらけの体と入れ墨とを見て驚いた。


 おへそ周りに蜘蛛の巣の入れ墨と、右肩に蜘蛛の刺青があった。この世界では、入れ墨は大した物ではないようだ。それとこの入れ墨はティレル一族の証らしいと記憶にあった。それよりも、斬られた傷痕が本当に数えきれないほどあるのだ。よく見れば顔にも、小さな傷がいくつもある。


 それにマリアの体は、生前のわたしと比べ、ずいぶんと筋肉がついて引き締まっていた。傷に関しては、いつ付けたのか全く思い出せないあたり、マリアがいちいち覚えていないのだろう。かなり大雑把な性格だったようなのも、すでに把握している。


 ただ、それを覚えていられないほど彼女が戦士として何度も戦ってきたこと、そして強かったこともよくわかった。傷をつけられても、生き残れているんだから。


 それと同時に、朝の早起きはできても、彼女の真似が到底できないのも、困ったことだった。身ごなしを真似してみようと思っても、わたしの感覚がついていけなかった。真似してみたものの、上手く動けず鏡の前で一人、赤面する自分。やっぱり思い出しても恥ずかしい!


 また、暗殺する際の道具であろう、小さなナイフや短剣、その他の武器はともかくとして、クローゼットに男女にかかわらず様々な衣装やかつら、化粧道具が入っていたのも驚いた。暗殺者と言うのも、いろいろ大変なんだな、というのが感想だ。


 そんな折、わたしが目覚めてから、二日後。ベッドでごろごろしていると、いつもとは違う時間にノックの音が響いた。

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