宰相様と近衛兵

 いつもと違う時間にやってきたのは、二人の男の人たちだった。その顔は、わたしは初対面だけど、マリアがよく見知った顔だった。


「やあ、マリア! 毒飲んで死にかけたって姫さまから聞いたけどホントかい? 心中したいなら俺を誘ってくれたら良かったのにさぁ、水臭いなぁ!」


「アラン、仮にも病人なんですから、静かになさい。マリア、調子はどうです?」


「サイラスさま、わざわざありがとうございます」


 お見舞いに訪ねてきてくれたのは、元気よく喋るアランさんという兵士と、この国の宰相、サイラスさまだった。


 マリアは、このアランさんという人が大嫌いなようだった。わたしよりも濃い赤銅色の肌に、短く切ってあってもぴょんぴょん跳ねているくせの強い黒い髪と目。年は二十代前半のはず。ただ、喋り口調がどうにも幼いので、あんまり年がわからない。下手をすると十代にも見られなくもない。


 彼は、センペル皇国という国で、奴隷の子供だった。だが昔、とある人に買われ、サイラスさまに引き立てられ、今はサイラスさまの近衛兵になったと、マリアは記憶している。過去の記憶を掘り返しても、人当たりは良さそうなのだが、どうにも変な人のようだ。先程のセリフも、本人は至って真面目なんだと思う。それが、マリアは気持ち悪いと突っぱねるのが、常のようだった。


 サイラスさまについては、眼鏡をかけた頭がいい人。眼鏡。以上。みたいに、マリアの関心はとんでもなく淡白だった。もうちょっと覚えててよ。

 アランさんは、やっぱり子供みたいに頬を膨らませて、わたしの頬を突っついた。その指を払ってわたしは睨む。


「もう、俺のこと無視しないでよー! 記憶喪失の割りには相変わらず冷たいぜ。で、記憶のほうはどう? ちょっとは思い出せた?」


 にこにこしながらアランさんはわたしの容態を聞いてくる。こういうところは普通なんだけどなあ。


「おかげさまで。ただ、完全とは言えなくて」


 言葉を濁しながら、わたしは迷っていた。それは、このままマリアとして成り代わるか、それとも、どうにか辞職して、ティレル一族からも逃げ出して、一人で生きる道を見つけるのか。


 わたしは十七歳で死んだ上に、病院にずっといたから、働いたことが一切ない。それに、この世界でどうやって生きていけばいいのか、わからなかった。マリアも小さいころからティレル一族のなかで働いて、あとはここでしか働いていないから、他の働き方の想像ができない。それにここを出たら、ティレル一族の件が待っていた。


 なぜここまでティレル一族を恐れるかと言うと、過去の記憶では、ティレル一族は一度入ったら、抜けることは許されないようなのだ。抜ける人間は殺す。以上。ブラックなことに手を染めているから、機密情報が洩れないように徹底しているんだろう。最低な一族だ。


 でも、ここでマリアとして成り代わるのなら、人殺しをしなくちゃいけない。それは嫌だった。人殺しなんてできない。ぜったいに嫌だ。過去の記憶を読み返しても、気分が悪くなる。あんなことを平気でできたマリアの気が知れない。


 一番、今のところ得策だと思うのは、毒のせいで体が思うように動かない。侍女としての働きはできそうだが、暗殺稼業は難しい。と理由をでっち上げるくらいだった。実際、わたしの体が動かないし。エマにも口裏合わせをしてもらえないか、お願いをする必要があると思っていて、さあどうしよう……というところで計画は止まっていた。いかんせん、あれからエマとも会えていないのだ。


「早く養生なさい。姫さまが、心配していますから」


 物思いに引き戻されるように、サイラスさまに声をかけられた。だが、サイラスさまは言葉のわりに平淡な調子だった。本当にお互い、興味がないみたいだ。

 でも、わたしから見るとサイラスさまは、とても知的で素敵な人に見える。


 見た目だって、背も高くて、栗色の髪をオールバックにして、切れ長なダークブルーの目が綺麗だ。顔立ちも整っていて、銀縁の眼鏡が知的な雰囲気を深めていて、よく似合っている。宰相と呼ばれる地位に立つくらいだから、とても頭が良い人なんだろう。なんでマリアは、こんなに素敵な人に興味を示さなかったのか不思議で仕方がなかった。

 記憶を漁れば、サイラスさまにかかわる場面だけでなく、いろいろな場面で何度も「これは契約だから」という言葉が出てきた。それに、人当たりが基本的に誰に対しても冷たい。契約だから、サイラスさまにも恋をしないようにしていたのかな? それとも本当に興味がないだけだったのか。


「はい、サイラスさま」


 そんな気持ちを抱えながら、なるべく、マリアの真似をするように心がけた。マリアはいつも自分のことを『あたし』と言っていたから、一人称にも気を付けなくてはいけない。『鏡の向こうの人』と気づかれるのは嫌だった。弟以外に嫌われたことがないわたしに、そのメンタルの強さはない。ゼロどころの話じゃない。処刑も嫌だ。

 ふと、サイラスさまが不思議そうにわたしの顔を覗き込んだ。なにかまずったかな。内心びくつきながら、わたしは平静さを保つように、サイラスさまに視線を投げかけた。


「あの、どうかされました?」


 眼鏡がずれたのか、眼鏡の位置を直しながらサイラスさまはすぐ姿勢を戻した。


「いいえ。ただ、少し……、なんというか、大人しくなったなと」


「ああ、たしかに。マリア、いっつもうるさかったもんなぁ。そんなにやばい毒飲んだの? エマニュエルもすげえや、俺も今度作ってもらおうかな。一緒に心中しようぜ!」


「一人でやったら」


 たしかに、記憶のマリアはだいぶ口が悪かったし、かなり破天荒な性格のようだった。それでも一応、丁寧な言葉を使うときは使うくらいまでには成長していたはず。まずったな、と思いつつも、とりあえずなんでさっきからわたしと心中したいんだ、このアランという男は。こいつも、もう呼び捨てにしよう、と心に決めた。


「あなたが作ってもらうのは、そのいかれた頭を治してもらう薬にしなさい」


 サイラスさまはさらりとアランに毒を吐く。ああ、たしかに記憶でもこんな人だった。


「ええ、サイラスさま、俺のこのいかれた頭が良いってあんなに言ってくれたじゃないですかぁ!」


「使い捨ての駒にちょうどいいですね。死んでもあと腐れしなくて済む」


「わぁい、冷たい。なぁ、マリア、ひどくない? これが俺の上司なんだぜ? 信じられる?」


「いいじゃない、頭がよくて素敵な上司で」


 にっこり笑い返してやった。


「ああ、なんでみんな俺のことそんなふうに扱うんだよぅ。さみしい。俺もフローレンスさまの近衛兵になりたかった……駄目だ、フローレンスさまも俺のこと毛嫌いしてるや、ああもう、なんでみんな俺を嫌うんだよぉ」


 アランにはなるべく近づかないようにしよう。そう思っていると、サイラスさまは少し目を和らがせて笑った。


「マリア。あなたは、いつもそうやって笑っていたほうが、ずっと良いですよ。雰囲気が優しくなって、とてもかわいらしい」


 わたしは、自分の頬が急速に火照るのを感じた。きっと真っ赤になっているに違いない。たぶん、サイラスさまは、普段のマリアの素行の悪さのことを常々嫌だと思っていたんだろう。だから、本当に純粋な意味で、そう言ってくれたんだと、思う。だけど、男の人に免疫のないわたしには、その一言で充分打ちのめされてしまった。

 顔を真っ赤にしたわたしに、サイラスさまとアランが目を丸くする。でも、恥ずかしいし、嬉しかった。かわいいなんて、誰かに言われたことがなかったから。すごく、すごく嬉しかった……。


「あなたも恥じらうということを知っていたんですね」


 ずいぶんな言い方だ。ちょっと冷めた。


「あ、いや、ちょっと、照れくさくって」


 まずいと思って、わざとぶっきらぼうに言ったが、やっぱり『かわいい』という言葉がまた浮かんできて、顔の火照りは結局収まらなかった。ああ、恥ずかしい。しかも、嬉しくてにやにやしそうで、必死に口元がひくひくするのを我慢するので精一杯だった。


「サイラスさま、ずるいじゃないですかぁ! マリアもマリアだよ! 俺がかわいいって言っても、みぞおち殴ってくるくせにさぁ! いってぇっ」


 ぎゃんぎゃんとアランが抗議を言うが、わたしはぷいっと顔を反らした。あんまりうるさいので、サイラスさまがゲンコツで殴って、鎮まらせたようだ。


「これが騒いで申し訳なかったですね。わたしは業務があるので、そろそろ失礼します」


「はい、サイラスさま。わざわざおいでいただいて、ありがとうございました」


 わたしはぺこりと頭を下げた。


「……、いいえ。それでは、お大事に」


 やっぱり最後、不思議そうな、でもとても優しい顔をして、サイラスさまはアランをずるずる引きずりながら部屋を出て行った。やっぱり、火照りは収まらなかった。

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