センペル皇帝と決断

 心の中のマリアが殺気で膨れ上がっていた。わたしが怖くて震えそうなくらいに、殺気だっている。


(あの色ボケジジイ……、まりあ、今度暗殺しに行くわよ。殺して五臓六腑引きずり出して、五体も切り刻んで城中にばらまいてやる)


 マリアが本気で怒っているし、とんでもない台詞を吐いている。ビッグネームで思わずわたしも驚いてしまったが、センペル皇国のことを詳しく思い出してみる。


 ああ、あそこは、皇帝に関しては一夫多妻制なのか。ハーレムとかもあるのか。奴隷制度も認めていて、センペル皇帝は、ラーロ王国の国王陛下よりも年上だ。ああ、こりゃだめだ。フローレンスに相応しくない。だめだ、これはだめだ。ぜったい、だめだ!


 わたしたちが心の内で闘志を燃やしていると、当のフローレンスは涼しい顔でいる。


「あ、もちろん断るわよ。わたしが国を治めるんで無理でーすって。そもそも、七大国のどっかに嫁ぐならまだしも、アエテルヌムを信奉していない国に嫁ぐのは、ちょっとねえ」


「そのほうがいい、ぜったい、いい! 第何夫人にされるかわかんないから!」


 じゃっかん、マリアがわたしを乗っ取り気味に言った。おお、いつの間にこんなことできるようになったんだろうか。わたしとマリアは、本当に一心同体になってきたのかもしれない。そう思いながら、フローレンスは笑う。


「でしょ。でも、せっかくだからセンペル皇国について、ちょっと調べてみたんだけど、建国神話は面白かったわ」


 建国神話? とわたしが首をひねる。


(センペル皇国は、皇帝ってのは神が遣わした子供だと言われているわ。その神の子が皆を率いて作られた国だと言われてる。その成り立ちのことよ)


「なんていうか、アエテルヌムの話と近いのよね。覚えてない?」


「どんなんだったっけ。昔のことだから忘れちゃったわ」


 誤魔化すようにそう言うと、フローレンスはセンペル皇国では、こういう神話だと説明をしてくれた。


 なにもないところから、神が生まれた。神は、世界を創った。世界には時がなく、生命を生み出しても、彼らは動かなかった。

 神は、なにが足りないのかを考えた。そして、生命を動かすために、時間を創ると、生命は動き出した。動き出した生命は、なにもない、黒き世界を恐れた。

 神は、黒き世界を明るくするため、世界の半分に光を創り、もう半分が闇となった。生命はただゆらゆらと揺れる、不安定な陽炎のような存在であることに、神は気づいた。

 神は、生命に肉体を与え、肉体を得た生命は、人間や様々な動物が生まれ、そこに生命が立てる大地を創り、渇きを癒す水を創り、体を温める火を創り、時を示す風を創った。

 神は、己に似た体をもう一つ生み出し、その者は世界と人を創りし神の子として、この世に降りた。

 降りた神の子は、生命をまとめあげる指導者、初代センペル皇帝となった。これが、センペル皇国の始まりである。


 とのことだった。ああ、たしかに面白い、というか、聞いたことがあるようなフレーズがわんさかある。時間や火だとか水だとか、アエテルヌムの神話も内容は違うが、似たような感じだった。


「案外、センペル皇国と七大国は、どこかで繋がりがあるのかもしれないわね。といっても、七大国はもうアエテルヌムしか信じてないけど。

 だから、やっぱり男になりましょう、マリア! エマならたぶんできるわ、きっと! そしたらわたし、あなたと結婚するわ!」


「嫌だよ!」


 ぐっと拳を握って力説するフローレンスにわたしとマリアは同時に叫んで、わたしは首を横に振った。


「ええー、絶対あなた、男になったほうが、格好良さそうなのに。男装も似合うし」


「いやいや、あたしは女でいたい」


「うふふ。……わたしにも、見つけられるかしらね。わたしに相応しい夫」


 フローレンスは静かに言った。


「いいえ、見つけてみせるわよ! ぜったい、ぜったいにね!」


 立ち上がって拳を振り上げるフローレンスは、明るくて、生気に満ち溢れている。本当に、マリアが思い浮かべた、センペル皇帝にあげるなんて、勿体なさすぎる。


 そして、十四刻の鐘が鳴り、フローレンスは王さまの執務室に戻ると言う。ドレスを着直すのを手伝い、念のため執務室まで随行すると、わたしはフローレンスの部屋に戻り、食器を片づけた。

 フローレンスと話して得たのは、断ってもいいということだ。そうなればこの体は、マリアの体だ。わたしの勝手にしていいことじゃない。


(あたしは……、サイラスとの結婚は、気が進まない。

 ただ、あたしは、フローレンスの側にいたい。一緒に、いたいんだ。親友として、あの子をずっと助けてやりたい)


 それは、マリアの切実な願いだった。


(あの子は、自分が生きるために、王の道を選んだ。だったら、あたしが一番、あの子を守る盾にでも剣にでもなってやりたい。あの子の手が、直接血に染まらないようにしてやりたい。

 実はさ、あんたが乗り移る寸前まで、あたしはあたしの死を偽装して、別人としてフローレンスの侍女として、やっていこうか悩んでた。だから、あのとき、わざとエマの毒薬を多く飲んだの。そうでもしないと、一族を抜けられないと思ったから。エマにも本当は言ってあったんだけどさ。フローレンスには目が覚めたら、真っ先にそれを相談しようと思ってた。そしたら、まあこんなことになっちゃったけど。

 ……一族の粛清が、あたしは怖い。あとは粛清されるのを覚悟で、一族を抜ける、って母親と話すか、だけど。上手くいく自信が、なかったから)


 マリアが怯えている。ティレル一族、というか、マリアの母が許してくれるかどうかは、わたしにはわからない。


 でも、わたしは、記憶を見たから知っていることが一つある。ずっとずっと、「これは契約だから」と、必死にマリアが思っていることを。だから、必要以上に人と関わらないように気を付けていた。サイラスさまやアランに関しても、他の女中に関しても、そうだろう。淡白だったのは、情を持たないため。でも、マリアは機械じゃない。人間だ。


 ひとまず縁談に関しては、断ろう。マリアの身の振り方は、また今度考えればいい。わたし自身、まだエマの言葉を全部信じてないし、わたしの体を分けることができない限り、マリアが出てこれないのは確かだ。王さま直々の縁談は、フローレンスが言うんだから、断って大丈夫だろう。


(……いいの? あんたにとっては、良い機会じゃん。好きなんでしょ、サイラスのこと)


 マリアは驚いたようだった。だって、これはマリアの体だよ。何度も言うけど、わたしが勝手に決めていいことじゃない。体の所有権は未だにわたしが握っているけど、なにかを決めるのはマリアだ。


(あんた、最初の頃と、変わったね。自分本位じゃ、なくなった。強くなった)


 マリアの声は優しかった。そうだろうか。自覚はないが、少しでも強くなれていたら、わたしは嬉しい。純粋にそう思った。

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