思いやり

「おや、お嬢さん。昨日はお手柄だったじゃないか。まあ君が、という訳ではないが」


 サイラスさまと別れてからは、今度はエマと出会った。

 わたしは思わず、一歩後ろに下がってしまう。わたしは、この前の会話で若干、エマが苦手になっていた。エマは気にする様子もなく、わたしにさくさく近づいてくる。それに伴ってわたしは下がる。だがエマは、途中で足を止めて、目を細めた。


「どうしてそう怖がる……、いや待て、マリアがとんでもなく睨んでくるんだが。おい、君はいったい、彼女に何を吹き込んだんだね」


 やっぱり姿が見えるのか。エマが苦虫を噛み潰したような顔でわたしを見ながら、小声で言った。マリア、そんなふうにしているんだ……。正直、睨んでるのはエマに対する八つ当たり以外の何物でもないと思う。

 わたしは、なんと言ったらいいかわからず、結局、正直に答えることにした。


「ちょっと、あの、わたしと喧嘩をしてて」


「喧嘩ぁ?」


 意味がわからない、といったふうにエマは言う。


 辺りを見回し、誰もいないことを確認すると、わたしは小声でぽつぽつと、経緯を話した。もちろん、口にすることでも、マリアが聞いているだろうことはわかっていた。でも喧嘩をした後に、どうしたら良いのか、わたしにはわからないし、誰かに聞いてほしかった。そうすると、わたしがちゃんと真理亜として話ができる人は、エマしかいない。一番言いたくない人だったけど、それしかいないなら、もう半ば、自棄やけだった。


 エマは一応、最後まで聞いてくれて全部聞き終えると、はあ、とため息を吐いた。


「一言で言う。くだらないことで喧嘩をするのはやめたまえ」


 杖を弄いながら、エマはにべもなく言う。仰るとおりだ。くだらない、と言われるのは癪に障るが、わたしがマリアにお礼を言わなくちゃいけない立場なのは、わかっている。そしてまた、だけど渡したかった、にループする。


「人間というのは、どうしてそう、感情に左右されるんだろうねえ。わたしには全くついていけない。

 いいじゃないか、サイラス閣下に君は贈り物を渡したかった。マリアはちゃんと、人伝手にはなるが、渡るように手配してくれた。無事、贈り物は届いた。本人も喜んだ。以上。終わりだ。なにも問題がない」


「だけど、自分で直接渡したかったの!」


「それに、いったい、なんの意味があるんだね? 贈り物を渡したかった。渡せた。それで、終わりじゃないのかい。そもそも、君はマリアの体を使っている。君が渡したところで、サイラス閣下は君ではなく、マリアとしか認識しないじゃないか」


 心底不思議そうだった。それに、これも正論だ。でもそれよりも、なんでエマは、こう、人の神経を逆なでするようなことを言うんだろう。

 エマは、しばらく不思議そうな顔をしていたけれど、思い出したようにああ、と呟いた。


「人間と言うのは得てして、意思疎通が上手くいかないと齟齬が起きる生き物でもあったか。わたしとしたことが、失敬。

 マリアは、君にきちんと言ってないんじゃないのかい。おや、面白い顔をする。これは楽しいね、言ってしまおうか」


 なんだかエマが人間じゃないような言い方だったが、それよりも気になるのはエマは意地悪そうに笑ったことだった。マリアがなにか言おうとしているんだろうか。


「なに?」


「もし、先日の王兄派の件、サイラス閣下が関わっていたとしたら? 可能性は極めて低いが、実際のところ、無いわけじゃなかった。もし関与していたら昨日のうちにサイラス閣下は、王兄殿下の屋敷か牢獄行きだった。事の真偽がわかる前に、渡したほうがいいと、マリアは考えたんだろう。

 そしてなにより、君は極端に殺人を恐れていた。それを慮って、血を見る前に自分に代われば、君は怖い思いをしなくて済む。君には悪いと思うが、そうしたほうが手っ取り早いところもある。そういうところだろう。なあ、マリア?」


 にやにや笑いながらエマは言う。ぶるぶると、マリアの心が震えているような感覚を覚えた。


(っの陰険魔法使いがぁ!!)


 ずっと黙りこくっていたマリアが、ついに口を開いた。ただ、心の中とは言え、あんまり大きな声だったので、思わず意味もなく耳をわたしは塞いでしまった。


(……なんで耳塞ぐのよ)


「な……、なんとなく?」


(ぷ、ふふ、あははは! 口で言ったってしょうがないでしょ!)


 ころころとマリアは笑った。屈託のない、笑い声だった。


 わたしは、エマの言葉で気づかされたことがあった。なんだかんだで、わたしは結局、自分が自分が、とずっと言っていた。それが、急に恥ずかしくなった。マリアは、わたしのことを、そこまで考えてくれてたんだ。渡せなかったら、わたしが悲しむと思ったから。今朝だって言っていた。わたしが嫌がると思ったからと。わたしが、人を殺すことを怖がっているから、わたしと、フローレンスを守るために、そうしようと計算してくれていた。


 わたしは、自分のことしか、考えていなかった。本当に、恥ずかしい。ごめんなさい、マリア。


(別に! ……ちゃんと、相談した方がよかったね。それについては、あたしも悪かったわ。ごめん。今度からは、ちゃんと言うわ)


 今度はつんとした声だったけど、マリアは申し訳なさを交えながら、そう言ってくれた。


「ごめんね。ありがとう、マリア」


(じゃあ、今回はお相子ってことで)


「うん。マリア、ありがとう」


 心の中で言うより、口にしたほうが良いと思った。意味がなくたって、わたしは口にした方が、誠意がある気がしてそう言った。マリアも機嫌がよさそうだった。


(あ、そうだ。あんたに言おうと思ってたことがあったんだ、アランには気を付けなさい。あいつは勘が冴えてるから、あたしじゃないと感づかれるかもしれないわよ)


「そうなの? 気を付けようっと」


 そんなことを言い合って、わたしたちは笑いあった。

 いつの間にか、エマは消えていた。

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