諍いと縁談
体は誰のもの?
わたしは、ふとベッドで目を覚ました。明け方だった。おかしい、前日にベッドに入った記憶がない。そうだ。舞踏会は、どうしたんだろう。フローレンスが殺されそうになって、それで……? 全く思い出せない上に、頭痛がした。
(あ、起きた?)
マリアの明るい声が響く。わたしは、どうしちゃったの? フローレンスは無事なの?
(ああ、ごめんごめん。無事よ、無事。大丈夫。もう全部終わったから)
全部終わった? なにが? わたしは目を白黒させながら、今がどういう状況なのかわからなかった。この前、マリアが目覚めたときのような、今までなにをしていたのかが思い出せない。あのときほど不安にならなかったのは、今はマリアが相手として確認できるからに違いない。でも、不安は不安だった。
(焦んないで。ちゃんと説明するから)
そう言って、マリアは説明を始めた。わたしが舞踏会の前に食べたキャンディに睡眠薬をかけてあったこと。暗殺者に襲われてわたしが倒れたとき、マリアが入れ替わって、フローレンスを守ったこと。そのあと暗殺者を殺し、アランと一緒に王兄殿下の屋敷に忍び込んで、王兄派の証拠を掴んで、帰って王さまに報告してきたこと。そして今まで眠っていたこと。
話を聞いているうちに、わたしは心の中が冷たくなるのを感じた。なんにも、教えてもらっていない。なんにも、聞いてない。
なんで、勝手なことするの。なんで!?
(なんで、って。あんた血なまぐさいこと嫌がるから、そのほうがいいかなって)
困惑するような様子で、マリアは言った。たしかに、わたしは血なまぐさいことが嫌だった。あのとき、フローレンスを守るために一歩も動けなかった。情けないくらいに、なにもできなかった。でも、だからって、それならそうと最初から教えてくれたらよかったのに。騙し討ちみたいなことをされて、すごく腹が立った。
(はあ? なんであんたが腹立てなきゃいけないわけ? あんた、あのままフローレンスが殺されてたらどうするつもりだったの?)
そう言われると、わたしは詰まってしまう。そういえば、サイラスさまに渡そうと思ったお菓子はどうなったんだろう。
(ああ、あれはフローレンスに頼んで、渡してもらったわよ)
マリアがなんでもないことのように言う。かっと顔が熱くなるような感じがした。
なんで、なんでそんな勝手なことしたの? 直接渡したかった、直接おめでとうって、言いたかったのに! わたしは涙があふれてきて、悔しくて、腹立たしくて、枕を叩いた。その様子に、マリアの心が震えるような感覚を覚えた。それは、怯えとか焦りとかではなく、怒りの震えだった。
(……なによ。そもそも、最初から説明したって、あんたは、その通りにした? っていうか、これはあたしの体よ! いつからあんたの体になったわけ? 本当だったら、あたしがどうしたって勝手じゃない、あんたこそ遠慮しなさいよ!)
マリアの大声に、わたしは唇を噛みしめる。マリアが言っていることは正論だ。わたしが体の所有権を握っているから、いつの間にか、勘違いしている。マリアの体を、勝手に使っているのは、わたしだ。
それでも、わたしは、マリアに相談してもらいたかった。事前に教えてほしかった。サイラスさまに渡したかった。直接、やりとりをしたかった。それを適当にされたのが腹立たしかった。悔しかった。
(あっそ。人が助けてやったのに、そう言われるなんて思ってもみなかったわ。わかった、もう喋んないわよ。勝手にしたら!)
マリアは怒鳴るように叫んで、それから、わたしがいくら声をかけても、なにも答えてくれなかった。
ひとまず、仕事を始めなくちゃとわたしは支度を整え、フローレンスの朝食の準備を手伝いに行った。なにをしても、憂鬱だった。自分が悪いことをしているのはわかっているけど、でも、とぐるぐる回っている。今まで、人と喧嘩なんてしたことなかった。だから、どうしたらいいのか、全くわからなかった。
細かい雑務を終えて、十一刻の鐘が鳴る頃、サイラスさまとバッタリ会った。さすがに、今の気分で会えて嬉しいと思えるほど、わたしの精神は楽観的じゃなかった。
わたしがお辞儀をすると、サイラスさまは前回と同じ通り止めろという。サイラスさまは、しばらくわたしの顔を見つめると、声をかけてくれた。
「……どうしたんです、マリア。顔色が悪いですよ」
「あ、いえ。大したことは」
「疲れているなら、無理をしないことです。昨日は、疲れたでしょう。よくやってくれましたね」
「え?」
一瞬、なんのことかわからず、わたしは聞き返してしまった。
「父の件です。……本来なら、王兄派などという派閥について、もっと早く、わたしが表立って動くべきでした。だというのに、私情を挟み、なにもしなかった。国王陛下にも申し訳が立たない。
ですが、あなたは危険を顧みず、動いてくれた。父に殺される可能性だって、あったでしょうに。本当に、感謝しています。国王陛下も、今度、父と会ってくれると仰っておりましたから」
ああ、そうか。わたしが眠っている間に、マリアがそんなことをしていたと、さっき教えてもらっていたじゃないか。そのことか。私情というのはなんだろう。不思議なことに、マリアが動いている間の記憶は、わたしと共有されないのだ。それから前のことは覚えているのに。わたしが眠ってしまっているからだろうか。そんなことを考えながら、わたしは口を開いた。
「いえ、あたしは、あたしがしなくてはいけないことを、したまでです」
心にもないことを言いつつ、わたしは、昨日の、フローレンスのことを守れなかったことが、心の中に深く刺さっていた。
何度も何度も、やりきろうと、心構えをしていたつもりだった。だけど、あんなふうに動けなくなるなんて、本当にただ、情けなかった。きっとマリアは、あの場ですぐに動き出したんだろう。どうして、わたしは上手くできないんだろう。わたしは、この世界でもなにもできないんだと、すごく嫌な気分だった。
「あ、それと。いただいたお菓子、とても美味しかったですよ。あの、……どこのお店か、教えてくれますか? その、すぐ食べきってしまって」
ちょっと恥ずかしそうにしながら、サイラスさまは口ごもりながら聞いてくれた。やっぱり、甘い物が好きなのが知られるのが恥ずかしいらしい。
「えっ、あ、はい。お口に合ったなら、なによりです。また、買ってきましょうか?」
「ああ、それは助かります。わたしは、なかなか城下へ降りることができないものですから」
サイラスさまは優しく笑ってくれた。沈んだ気持ちが、少し浮き上がった。やっぱり、嬉しい、好きな人に喜んでもらえるのが、嬉しい。
「では、わたしはこれで。無理をしないように。……フローレンスさまが、心配されますから」
最後の言葉は、なぜか心に引っかかった。けれどわたしは、ありがとうございますと、お礼を言うくらいしか、できなかった。
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