声明文

 王兄殿下は暗い目で、あたしを見つめていた。


 自分を慕う人間たちを裏切れないと言う。でも、あたしとしても譲れない。ここで白状してもらわないと、もっとまずいことになる。フローレンスが死んだら、たぶん、もっとひどいことが起きる。国王陛下は怒るだろう。その怒りの矛先と、反発する側はどうなるだろうか。……戦争しかない。あたしの目の裏には、嫌な光景が浮かんでいた。


 あたしは、膝を折り、頭を垂れた。


「王兄殿下、枉げてお願い申し上げます。お教えいただけませんでしょうか。あなたさまに密書を送っている人物を。


 そして、あなたさまご自身が、国王陛下と和解とともに、王兄殿下派並びにサイラス閣下を王位に推す者は全て、まずは国王陛下に従うようにと、声明を上げていただけませんか。あなたさまを慕う者たちであれば、あなたさまのお言葉には従うでしょう。そして、今の現状に不満があるのであれば、必ずや、国王陛下は耳を傾けてくれましょう。決して、あの方は無慈悲ではございません。寛容でございます。


 わたくしはフローレンス殿下の護衛だからという理由だけで、このようなことを申しているのでは、ありません。このまま将来起こるであろう、あなたさまのご子息にもかかる火の粉を、事前に防いで差し上げたい。ティレル一族は、戦争の駒として参加することもございました。わたくしも幼いときに経験がございます。


 フローレンス殿下が害されれば、間違いなく国王陛下はお怒りになります。フローレンス殿下は、あの方の至宝でございますから。そしてフローレンス殿下を害したその勢いに乗れば、王兄派は士気も高まり、きっとそのまま戦いを仕掛けてくる。そうすれば、内戦は必ず起きるでしょう。そんな状況になれば、サイラス閣下を推す側と、国王陛下側との衝突を、どうやって避けられましょうか。

 武人であるあなたなら、尚のこと、ご存知のはずでしょう。内戦は、国家において一番陰惨な戦争ではございませんか」


 そうなれば、この王兄殿下を慕う人間たちも、それだけじゃない、城下の人間も全て巻き込まれる。


 それに今、喋ったことは、事実だ。あたしも、駆り出されたことがある。あたしの母親はとんでもない奴で、小さいあたしを普通に戦争に送り込んだりしやがった。その小さいころ、別の国で内戦に参加した。一番高く出してくれたほうに加担した。あれは、酷かった。お互いがお互いを主張する。和解もへったくれもない。住民たちは、住む場所なのに、全く安心できない。あんな惨事を、この平和な国に起こすのは避けたかった。


 だいぶ、あたしも毒されてきている。一族としては、いけないことだが、それが悪いことのようには思えない。いや、やっぱり毒されてきている。ダメね、あたしも。


「そうさな。お前の言うことは、正しい。誰もが、巻き込まれよう。

 ……よかろう。わしはお前が気に入った。これを持っていくがいい。丁寧に印章まで押してある。小癪な真似はできる割に、あやつはそのあたりが頭が回らんのだが、そなたらにとっては、明確な証拠となろうぞ」


 王兄殿下は引き出しから、分厚い紙の束を取り出すと、あたしに渡してきた。手紙だ。全て王兄殿下宛て。署名もあるし、言うとおり、印章も推してある。


「王兄派をまとめている首謀者は、南方の領地を治める、ベイジル公爵だ。あやつは橋向こうのパロン王国へ外交によく出向いているだろう。それを笠に着て、あちらで策や人間を取りまとめ、こちらに手勢を向けているから明瞭に見えなんだ。

 あやつの始末に関しては、デリックの一存に任すが、声明を出すことに関しては、時期を合わせねばな。わしに、会いに来るよう伝えてくれ。

 それと、アラン。サイラスにも一つ、伝えてくれぬか」


「なんなりと」


 衣擦れがする。恐らく、アランが頭を下げたんだろう。


「わしはもう、三十年近く、この屋敷に住んでいる。よく仕えてくれる者もおる。それに、まつりごとに振り回されるのは、疲れた。やはり、王位はわしには向かぬのだ。

 もうわしは、この屋敷から一歩たりとも出る気はない。妃もそう言っておる。静かに、ここで暮らしていきたい。だからこそ、今後の接触は一切無用と。わしと妃が死んだときだけ、手向けの花でも供えてくれれば、それで充分だと。

 そして、人を謀るばかりだけでなく、真に生きるよう、そう伝えてくれ」


 三十年近く。そうだ、確か、この方は二十八の時にこの屋敷に閉じ込められた。それ以来、ずっと屋敷から出ていない。


「ご協力、感謝申し上げます。イーデン王兄殿下」


 あたしは片膝を立て、手を組み、改めて頭を垂れた。あたしは礼儀とかマナーは好きじゃない。でも、この人にはそうするべきだと思った。だからこの国での、最敬礼をした。


「なんの。久しぶりに頭を使うて、知恵熱が出そうだ。やはりわしは、頭が良くない。剣を振り回す方が向いている。この世が戦乱であれば、活躍ができたのだが、生まれる時間はどう足掻いても選べまいな。

 だが、マリア。お前とは、戦場で戦ってみたかったものだ」


 それに対し顔を上げると、あたしはにっと笑ってみせた。


「あたしは正式な戦は、それほど得意ではございません。闇夜に紛れた暗殺のほうが得意です。普通に戦いましたら、王兄殿下に叶うわけがございませんわ。殿下が城にいらした頃は、鬼神と恐れられる強さと聞き及んでおりますので」


「なにを言うか。ベイジル公爵は七人の手勢を今宵、送るとその手紙に書いておった。お前たちのその返り血は、そのせいであろう。そうでなくば、どうしてこの屋敷に来れようか。のう、アラン」


「あははは、仰るとおり」


 三人して笑いながら、あたしは改めて、王兄殿下に礼をした。


「さようなら、王兄殿下。二度とお会いすることがございませんことを、お祈り申し上げます」


「ああ。さようなら。マリア・ティレル。アランも、達者でな」


 そうして、あたしたちは証拠を片手に王城へと戻っていった。舞踏会は終わりを迎え、集まっていた貴族たちも、ぞろぞろ帰るところだった。あたしたちは様子をうかがいながら、国王陛下に至急報告したい旨を伝えた。

 全てを報告し、国王陛下は渋面を浮かべあたしたちは、二人して叱られたが(特に勝手に王兄殿下の屋敷に忍び込んで、王兄殿下と会ったりしたことに対してだったけど)、証拠に関してはきちんと受け取ってくれた。


 それから、一度だけ国王陛下と王兄殿下は、時期についてや声明文についてを直接会って話し合い、そして和解をしたようだとフローレンスから聞いた。しばらくして、大々的に、国王陛下と王兄殿下とサイラスの連名で、王兄派や、現国王や王女を害するような派閥を禁ずること。進退に不安があるのであれば会議や書面にて、正直に申告をするようにと声明を上げた。首謀者のベイジル公爵には、今までの仲間たちを洗いざらい全部吐かせ、そいつらは家族全員、爵位剥奪の上、王兄殿下の下仕えとして配属されたのだった。それは、王兄殿下からの発案だったらしい。人が少なくて暇を持て余していたらしいので、まあちょうどいい話相手になるだろう。


 こうして、多少の波風はいまだに収まらないとはいえ、ラーロ王国は内部の安定を取り戻しつつあった。


 が、時間は前後するけれど、その舞踏会の翌日に、あたしの内部は大荒れになるなんて、知る由もなかった。

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