王兄殿下との対面

 王兄殿下が幽閉されている屋敷の場所を、あたしは知らない。でもアランなら知っている。案外、城のすぐ近くにあった。

 アランに先導してもらいながら、城から半刻経たない程度に離れた森林を開いたところに、こじんまりとした館が作られていた。


 さすがに幽閉中とはいえ王族なので、正面切って中には入れない。なので、あたしとアランは塀をよじ登って入ることにした。これが一番、簡単でやり易い侵入方法だ。


「どうよ、久しぶりの我が家は」


「反吐が出そうだし、虫唾が走るなあ。義父さんにされた虐待の思い出が蘇るよ。すんごい最低な気分!」


 のんびりと明るく、アランは笑みを張り付けながら言った。


「それは素敵ね。で、王兄殿下はどの辺にいると思う?」


「ほんと俺の扱い酷いよなあ。この時間なら、もう自室にいるんじゃないかなぁ。もう十四年も前のことだし、わかんないけどさ。あ、あそこ、ここから見える、左の一番端っこ、明かりがついてるでしょ。そこが王兄殿下の自室だね。


 中には入りやすいんじゃない? フローレンスさまみたく、部屋の真ん前に兵士が立ってるってことはないと思うな」


 ということらしい。まあ幽閉中の人間の守りなんて、門前と適当なところだけで充分だろう。館の中への侵入は簡単だった。不用心なことに、鍵が開いている窓があったから、そこから乗り込んでも、女中一人とも会わなかった。本当に、必要最低限な人員しかいないんだろう。可哀相に。


 あたしは、王兄殿下がいるであろう、扉をノックした。


「誰だ」


 緊張を交えた、国王陛下とは違った、ずいぶんと厳めしい太い声だった。


「恐れ入ります、王兄殿下。わたくしはマリアと申します。お目通りを叶いませんでしょうか」


 あたしは素直に名前を名乗った。しばらくの間、返答がなかったが、入れと言われた。


 中に入ると、栗色の髪に白髪が混じった、緑の目をした魁偉な男がいた。豊かな髭を蓄えていて、背筋もしゃんとしている。ああ、これは本当に武人だわ。その堂々たる姿は、なんなら国王陛下より様になっているかもしれない。この姿に、皆、惹かれたんだろうか。なんだか着いていきたくなる、そんな雰囲気がある。


「……その容姿、噂に聞くフローレンスの侍女のティレル一族の娘だな。八年前から、お前と思わしき人物が、刺客を悉く始末したとは、わしも存じておる。それから控えるよう、申し付けていたのだがな。

 それに、おお、アランではないか。久しいな。して、そなたらは、わしにいったいなんの用だ」


 多少は頭も回るようだ。あたしは平伏する気もないので、そのまま目の前に立った。背がでかくて首が疲れる。さすがのアランは、ちょっと戸惑うような顔をしたが、あたしの半歩後ろに立っている。


「夜分に突然忍び込んだこと、非礼を深くお詫び申し上げます。至急、確認したいことがございました」


 あたしの言葉に、王兄殿下は髭を撫でた。どうやらこれは、兄弟特有の癖らしい。


「わしの一派のことか」


「さようでございます。今、あなたさまの名代として取りまとめている者が何者なのか、わたくしどもには見えません。もし、あなたさま自身が動かしているのであれば、話は別でございますが」


「わしは、ただの傀儡だ」


 なるほど、やっぱりか。とはいえ、鵜呑みにするにはまだ早い。あたしは相槌のように頷いた。王兄殿下は薄く笑うように、話を続ける。


「みな、わしに、サイラスに王位をと密書を送ってくるが、わしは、この館に入ってから一度しか、デリックの命を狙ったことがない。この館に閉じ込められたばかりの頃、デリックがわしを訪ねてやってきた、そのときだけだ。

 そもそも、暗殺の命令など誰がしようか。わしは武人だ。そのような謀り、わしの誇りに反する。そんなことをするくらいなら、己の手で弟を殺めよう。もっとも、魔法使いがそばに居ることを知らず、まこと、無様に終わったがな」


 自嘲しながら、王兄殿下は語る。一度だけ。暗殺を頼んだことなどない。この武人肌の男は、たぶん嘘を吐いていない気がする。いや、早合点はダメだ。どっちにせよ、それじゃあ誰なんだろう。


「では、いったい誰が、あなたさまの名を借りて動いているのでしょう? 僭越ながら、不快ではございませんか。あなたさまの名を勝手に借り、結果として、あなたさまが悪となるよう、仕向けられているのと同じことでございませんか」


 その言葉に、王兄殿下は目を細めた。


「……ラーロ王国は平和だ。これが戦乱の最中であれば、わしが王位に就いただろう。だが、生憎、ラーロ王国は平和で、わしは武人の才能はあれど、まつりごとについては全く才がなかった。――そんなことは、昔から知っておった。

 だが、父やデリックのやり方に不満を持つとは言え、わしに集うものを無下にできなかった。しからば、わしは、皆の意のとおりの傀儡となっておったわ」


 王兄殿下は、一度口をつぐんだ。だが、静かに微笑んだ。やっぱり兄弟だな。どこか、似ている。


「その前に、一つ、お前たちには話をしておこう。ティレルの娘。いや、マリア。


 デリックとわしは、別に仲が悪いわけではない。……わしは、何度か、デリックから家族全員で、屋敷を出ないかと誘われておうた。あやつが直接来たこともある。城に迎え入れると。だが、全て突っぱねた。それでも、あのバカな弟は、己の命を殺めようとした兄を赦すと言うのだ。


 初めは、サイラスが生まれたとき。次に、フローレンスが生まれたとき。そして、サイラスが十五になり、あれに政の才があることが、デリックの耳に届いたとき。そして、先日。フローレンスが即位をしたいと宣言したとき」


 あたしは黙ったまま、頷いて話を聞いていた。なるほど、国王陛下は王兄殿下と和解したがっているようだ。じゃあ、なぜ断った? そのあたしの疑問を、王兄殿下は教えてくれるようだ。


「サイラスは、この館から出たがっておった。あれは、己の才能を自覚していて、それを活かしたいと願っていた。そのことを、わしも知っていた。だが、外へ出れば、ましてや宮仕えとなれば、わしのように祭り上げられるのが目に見えておる。


 だから断ったのだが、まあ、機会を潰されたのが気に食わなかったのだろうな。わしに見切りをつけ、アラン、お前を口実にさっさと出て行きおったわ。事実、わしは、あのハロルドが奴隷商人と関わり合いがあるなど、知らなかった。嘘だと思うても良いぞ。おおやけにはそうなっておるからな」


 ああ、そういうことか。だから当時、陰険眼鏡……サイラスは王の派閥に下ると言ったのか。自由に、なりたいから。自分の親父が、見せかけとはいえ派閥の主だとなっている以上、王の派閥に下らない限り、疑われる。それも、きちんと味方であるという証明を立てなければいけない。それに対し、良い口実だったんだろう。ハロルドが奴隷のアランを買っていたことが。


 だから嘘を吐いた。奴隷商人と関わりがある、それを父親は知っていた、とんでもない悪いやつだ、だから自分はそんな奴の下にはいません。って顔をしておけば、外聞も立つ。ほんっと陰険ね、あの眼鏡。


 そのことに、国王陛下が気づいていないはずがない。この王兄殿下は、良くも悪くも直情そうだ。だけど、サイラスのその三文芝居に乗った。そうしないと、サイラスを屋敷から出してやれないから。狸ジジイどもめ。


「あんた、良いように利用されてたのね」


 ちらとアランの顔を見たが、特になにも考えていないような笑顔だった。


「べっつにいいよぉ。義父さんのことなんか、俺好きじゃなかったし。サイラスさまに殺していいよって言ってもらえて、せいせいしてる」


「あっそ。じゃあ良かったわね。

 では、王兄殿下。最初の質問に戻りましょう。誰が、王兄派と言う名の、今やサイラス閣下の派閥となりそうですが、その首謀者なのでしょう。サイラス閣下は、フローレンス殿下を推しております。


 ……いえ、回りくどい言い方は止めましょう。あなたにわざわざ密書を送ってくる人間がいるとなれば、そいつが、あなたの信奉者であり、名代なんでしょう? 表向きは国王陛下に忠誠を誓い、裏ではあなたさまとサイラス閣下を推している、その人間のはず。それは、誰でしょう。そして、なぜそのことを国王陛下に伝えませんでしたか」


「ははは。まことに、フローレンスは良き護衛を雇ったものだ。……のう、マリア。お前には、お前を心から信頼してくれる者はおるか? それは大勢おるか?」


「……いいえ」


「先だって言ったとおり、わしには、わしの下に集う者がおった。デリックは文人で、わしは武人だった。文武両道の者など数少ない。たいていは、才能と言うのは、どちらかに偏るものだ。


 そういった、武人向きの貴族の者たちと共に鍛錬に励み、仲良くなった。その者らは、わしを本当に慕ってくれた。逆に、文人であったデリックも同じように学びを共にした者たち大勢に、慕われていた。

 だからこそ、わしを慕う者は、わしに王位をと叫ぶ。そんな彼らを……わしに、それを、裏切ることなど、どうしてできようか。だから、父上はわしをここに閉じ込めたのだ。わしの性格を見切っておられたから」


 ああ、最悪な気分だわ。悲し気に笑うこの男は、ただの貴族として生まれてれば、それか、戦乱の中で生まれれば、こんなことにならなかったろうに。そうとしか、言いようがなかった。

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