刺客
視界が揺れて、わたしは横倒れになりそうだった。
「マ……モーリス、大丈夫!?」
「あ、うん。大丈夫。ちょっと立ち眩みしたみたいだ」
なんとか体を立て直した。やっぱり疲れているのかな。しゃっきりしなくちゃと思った矢先にこれだ。最悪。フローレンスに恥も掻かせてしまったかもしれない。
「人が多いからかしら。外の空気を吸った方がいいかもしれないわ。テラスに出ましょう。皆さま、お退きになって」
群がる男性陣を突っぱねて、フローレンスはわたしの腕を引いてテラスまで出た。
十七刻でも、もう外は真っ暗だ。風も冷たくて、心地よかった。テラスの扉を閉じると、フローレンスは心配そうにわたしを見つめる。
「大丈夫? いつもごめんなさいね、変装までさせて」
「ううん、大丈夫だよ。ちょっと疲れてるだけかも。ごめんね」
わたしの言葉に、フローレンスは微笑んだ。テラスの近くには、大きな木が植えてあるようで、枝がしなって桜の花のような形をした花がなっていた。綺麗だな、と思って見つめていると、枝が折れるような音が聞こえた。なんでだろう。鳥でもいるんだろうか。
そう思った瞬間、暗闇から男の人が飛びかかってきた。刺客――!
わたしはフローレンスを突き飛ばすように押しのけた。バッグが地面に落ちてしまうが、それに構っていられなかった。腰に下げていた短剣を引き抜くと叫ぶ。
「フローレンス、逃げて!」
わたしなんかより、フローレンスのほうがよっぽど冷静だった。即座にテラスのほうへ走るが、ドレスの裾を踏んでしまったのか転んでしまう。
刺客はわたしに目もくれず、フローレンスまで走り寄る。フローレンスは立ち上がろうとするが、幾重にも重なったスカートが足を邪魔しているのか、立ち上がれないでいた。まずい。短剣を引き抜いたものの、わたしは凍り付いてしまった。死の恐怖じゃない、人を殺めることに対する恐怖だった。ここで動かなきゃいけない。フローレンスが殺される。わかっているのに、体が動かない。
――殺せない。怖い、怖い怖い怖い、人を、殺せない!
そう思った瞬間、わたしの視界がもう一度大きく揺れた。
**
まりあが引き抜いた短剣をあたしは、刺客に投げつけた。肩に刺さり、刺客がたたらを踏む。その間に一気に走り寄って、刺客の首を絞めて、殺した。
こいつが登ってきた木のほうには、人の気配はしない。だが、恐らくどこかにまだ潜んでいるだろう。とにかく、間に合ってよかった。あたしの体だから、強めの睡眠薬でもなかなか効かないのは難点だったけど、でも結果さえつかめればいい。上手いこといった。それだけでいい。
まりあには悪いとは思うけど、今回の舞踏会はあの子に任せられなかった。あの子に任せたら、フローレンスを守り切れる自信がなかった。キャンディに睡眠薬を砕いたのを掛けるくらいしか、方法が思いつかなかったのは問題だったけど。
「ああもう、だからドレスって大ッ嫌いなのよ! きゃあ!」
「しっ。大声出さないの。ほら、立って。まだ隠れてるやつがいるはずだよ」
癇癪を起こして、もがいているフローレンスに、あたしは手を差し出した。
一刻も早く、中に入らせて、近衛兵に守らせなくちゃいけない。中にエマもきっといるだろうし、さすがに広間でチャンバラはしないでしょ。なにより、ほかの奴らも始末しないとまずい。舞踏会が終わった後に城内に忍び込まれるほうが厄介だ。
「ありがと。マリアは大丈夫? 怪我はしていない?」
「してないわ。戻って、国王陛下に報告して。あたしは他の奴らを片づけるから。あ、暇そうにしてたら、アランにも手伝えって言っといてもらうと助かるな」
「わかったわ。……気を付けてね」
「あたしを誰だと思ってんの? あ、そうだ。これさ、サイラスに渡しておいてくんない? 割れてたらごめんって言っておいて」
あたしは落としていたバッグをフローレンスに渡す。クッキーだから、割れたかもしれないな。まりあは、本当は直接渡したかったろうけど、この後のことを考えると、渡せるかどうかわからない。あの陰険眼鏡が、関わってるとは思わないけど、可能性がないわけじゃない。渡せるうちに、せめて渡しておいてあげたほうがいいだろう。
あたしが渡したバッグを、不思議そうにフローレンスは見ていた。
「なあに、これ」
「あたしからの誕生日プレゼント。中にお菓子が入ってるから」
「あなたが? サイラスに? うそでしょ? 陰険眼鏡とまで言っていたのに?」
フローレンスが引きつった顔をする。ほら。だから、あたしがあの眼鏡にプレゼントなんてしないほうが良いのよ。まりあが、あたしの中から出て行かない限り、あんたの恋は実らない。少なくとも、マリア・ティレルじゃ、こういうことになる。
「ただの嫌がらせ」
にいっとあたしは笑う。戸惑う顔が見たいのよ、と言ってやった。
「ああ、そういう。わかったわ」
なぜか妙に納得されるのもちょっと腹立たしいが、まあしょうがない。己のいつもの行動のせいだ。とにもかくにも、さっさとフローレンスを部屋の中に入れなくては。フローレンスはさっとドレスに着いた埃を払うと、足音を忍ばせて広間へ戻っていった。
あたしは、服の裾をまくり、かつらは動くときに邪魔になるから、取ってしまった。
さあ、マリア・ティレルの仕事の時間だ。久しぶりの殺しの仕事よ、腕が鳴るわね。
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