従兄モーリスの役

 舞踏会の当日、わたしはマリアの指示に従って、衣装と化粧道具とかつらを引っ張り出して、それを着ていた。


 化粧をするのも、生まれて初めてだった。

 昨日、サイラスさまにプレゼントするお菓子を買いに行ったそのついでに一度、変装用の荷物も一緒に持ち出した。召使いにまじまじ見られることはないとマリアに言われ、簡単に外でかつらを被って男装をして、手配した馬車に乗り、事前にフローレンスに書いてもらった招待状を持って入城するということをした。そうしないと、いつのまにフローレンスのいとこがやってきたのかと、不審がられるからだ。


 マリアは大雑把なわりに、そういうところは抜け目がなかった。そしてフローレンスがモーリスの世話はマリアにさせると、毎年言っているのでマリアの姿が見えなくても何も問題がない。


 なんにせよ、いつも病院じゃ、すっぴんだったから、一度でいいから化粧をしてみたいと思ったが、見せる相手もいないのでできなかったので、化粧ができるのが楽しい。


 男装とはいえ、ネットで見たコスプレイヤーさんの写真を見て、あんなふうに別人に変わってみたいと思っていたので、その願いが叶うのもラッキーだった。マリアが用意していた衣装は、なめらかな生地で、ダブルボタンのジャケットに、シャツとスラックスで、平たく言うとかっこいい。


 胸回りを布で巻いて平坦にして、ジャケットの肩にはパッドが入れてあったり、ブーツも身長が高くなるよう、インヒールが入っている。これはもう、ある意味コスプレだ。


(こすぷれ? こすぷれいやー? ってなに?)


 その色を目じりに塗って、小鼻に塗って、と指示を出しながら、わたしの考え事にマリアが質問をしてくる。うーん、なんというか、ゲームとかアニメとか、いやこれも通じないな。たとえば、本の登場人物とかの衣装を着る人って言えば、わかるだろうか。


(……いや、わからんわ。でも要するに、今の服装があんたの感覚では、こすぷれ、ってことね。

 あ、それでいいわ。はい、終わり。上出来よ)


 そういうこと。ありがとう。とわたしは心の中で言う。化粧も終わったし、服もきちんと着た。鏡で見た限り、今年の王さまやフローレンスの誕生日祝いの舞踏会の時と、変わりはないはずだ。


 あと一刻で舞踏会が始まる。わたしは初めての舞踏会に興奮して、ドキドキしてきた。


(そんな緊張しなさんな。甘い物でも食べたら? キャビネットにキャンディがあるわよ)


 マリアに言われて、わたしはキャビネットの鍵を開けて、中を漁る。ガラスでできたポットの中に、色とりどりのキャンディがあった。そのうちの赤い色をしたキャンディを一つ手に取った。粉砂糖でもかかっているのか、キャンディの周りについた粉が落ちてしまい、服についてしまった。それを払うと、口に含んだ。


「げほっ」


 すごく苦い! 思わず嘔吐いてしまう。なにこれ。キャンディ自体は、果実の味付けがしてあるようだが、粉が苦かった。なんだか、えぐい苦みがする。


(あ、ごめん。眠気覚ましの薬草の粉をかけておいてたんだわ。忘れてた)


 マリアがあっけらかんと言った。早く言ってよ、もう。美味しくない。


 さっさと食べきってしまおうと、涙目になりながら、キャンディを噛み砕いた。そうこうしているうちに、ドアをノックする音が響く。


 誰だろうと思い出ると、フローレンスだった。後ろに兵士の人がいる。わたしも準備があるから、フローレンスの護衛は、王さまとフローレンスが選んだ信頼のおける近衛兵に頼んでおいたのだ。


 フローレンスはわたしを見るや否や、お腹を抱えて笑い出し始める。後ろにいる近衛兵さんたちは、気まずそうな顔だ。そして、慌てて後ろに人を連れていたことを思い出したのか、わざとらしく咳払いすると、中に入ってきた。ドアを閉めると、また笑い始めた。


「あっははは。ほ、ほんと、毎回思うけど、あなた普通の女の子の恰好しているより、よっぽど様になるわね、あははは! ああ、ほんと笑える」


 どうやら、マリアの恰好がフローレンス的にはツボに入るらしい。笑われても困るんだけどな。


「もう、そこらの貴族の男より、よっぽどかっこいいわよ。ほんと、あなたが男だったらよかったのに! そしたら、わたし、あなたを夫にするってぜったい言ったわ! エマに頼んでみようかしら、あなたを男にできる? って」


 笑い転げながら、フローレンスは言った。残念ながらマリアはエマみたいに男になったり女になったりできないし、わたしもマリアも男になりたいわけではないから、勢いよく頭を横に振った。


(毎回これなのよ、失礼しちゃうわよね。あたしだってうら若き乙女よ)


 マリアが毒づいた。でもいつもより、優しい雰囲気だ。やっぱりマリアはフローレンスに優しい。


(うっさいわね、八年も付き合ってたら多少は情が移るってもんよ。さ、あんたはフローレンスのいとこのモーリスだかんね。ちゃんとやんなさいよ)


 そう言われて、わたしは気を引き締める。事前にマリアから、フローレンスのエスコートとしてどう動くべきか、ダンスはどう動くのか、前回はどんな感じだったかを詳しく教えてもらっていた。そして、もし刺客が放たれた場合の動き方も。最後のほうは、気乗りしなかった。でも、ここで覚えないと死ぬのは自分だと言われて、覚えるようにした。


 それと、本当は舞踏会にバッグを持ってはいけないと言われたけど、サイラスさまに隙を見て、お菓子を渡したかった。

 明日でもいいだろうとマリアは言うが、わたしは当日に渡したかった。それだけは譲れなかった。結局マリアは折れてくれて、それなら小さい手持ちのついていないバッグを持っていけと言われたので、中身がつぶれないよう、慎重に入れたそれを手に持つ。これで、準備は万端だ。


「じゃあ、参りましょうか。王女さま」


 いつもより低めの、男の子っぽい声を意識して出す。なんだか、お芝居をしているみたいで楽しい。


「ええ、喜んで。わたしの素敵ないとこさん!」


 笑いをこらえきれないままのフローレンスの手を取り、わたしたちは会場である広間まで向かった。主催は王さまと王妃さまで、主役はサイラスさまだから、既に王さまとサイラスさまは会場の席に着席していた。


「おお、モーリス。よくぞ参った! 遥々遠方からすまんな。昨日はよく休めたかね」


「モーリス、よくいらしてくれましたね」


 王さまと王妃さまは気さくに、わたしにそう言った。さすがに、いろいろ頭の回る人たちだ。食事を運んだりと、準備でばたばた動いている女中さんたちもいるから、わたしがマリアだとバレないよう、普通にモーリスが存在している体で話しかけてくれた。実際、王妃さまにお姉さんなんていないし。


(国王なんて、頭でなに考えてんだかわかんないような狸ジジイよ。頭が回るどころじゃないわよ)


 マリア、それは雇い主に対する言葉じゃないと思う。そう思いつつも、わたしはマリアに散々叩き込まれたとおりに、恭しく礼をしてみせた。


「国王陛下並びに王妃陛下、この度はお招きいただき、ありがとうございます。わたくしには勿体ない部屋でございました。

 サイラスさま、本日はお誕生日、おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます」


「ありがとう。よくいらっしゃいました」


 淡々とサイラスさまは言いながら、わずかにフローレンスに視線をやっている。ちょっとくらい目を合わせてくれてもいいのに、とわたしは不満だったが、それを表に出さないようにした。


 それからしばらく会話をしていると、続々と招待客がやってきた。舞踏会なんて、童話でのイメージしかないから、わたしは一人ドキドキし始めた。ダメだ、浮かれてたらフローレンスを守れない。しゃっきりしなくちゃ。


「お父さま、お時間のようですわ」


 十七刻の鐘が鳴った。フローレンスがいつもよりお姫さまらしい話し方で、王さまに声をかけた。王さまは頷いて、王妃さまを連れ立って開会のあいさつと宣言をした。


 わたしはフローレンスのエスコートとして、基本的に隣にいるようにした。フローレンスは、様々な貴族に声をかけられる。特に男性からはなにかと声をかけられたり、美辞麗句を並べ立てたりするのだが、それを適当に聞き流したり、下手すると退屈そうにあくびしていた。男の人たちも報われない。そしてその度にわたしは、ハラハラする。


(口説き方が駄目なのよ。フローレンスが煽てに喜ぶと思う? あたしだったら、フローレンスに政治の話を振るわ。で、意見が合うようなふりをする。あの子、煽ては効かないけど、仲間は喜ぶからね)


 なんだか本当にマリアが男だったら、あっさりフローレンスを陥落させられそうだ。

 そんな中、慣れない人混みのせいか、わたしは頭痛がしていた。振る舞われたお酒も、この国では十五歳から飲酒可能ということだったので、飲んでみたが、そのせいかもしれない。


「……モーリス、顔色が悪いけど大丈夫?」


「あ、うん。大丈夫、だよ」


 その瞬間、わたしの視界がぐらついた。

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