第六章 舞踏会と刺客と王兄

準備

 アランの警告を受けてから二週間以上経ち、その間に、わたしは仕事に復帰した。アランが言うように、すぐにフローレンスを狙う暗殺者が現れたりはしなかった。そういう動きがあるから逆に暗殺してこいと言う話も、王さまやフローレンスからもなかった。

 マリアとしていつも通り、女中たちに混ざって食事の準備や掃除をしたり、会議に出るときは正装としてフローレンスがドレスを着るのを手伝い、彼女の午後に余暇があれば一緒にお茶をする。


 今はフローレンスが会議に出ているので、侍女のわたしは入れない。だから、わたしはフローレンスの部屋の掃除をしていた。本人は自分でやると言い張っていたが、王女さまに自分の部屋の掃除をさせる訳にもいかないし、マリアも誰かが彼女の不在時に忍び込んだりしないよう、警備も兼ねたほうがいいと助言してくれたので、それを建前にして、やらせてもらっている。十三刻の鐘が鳴れば会議が終わるので、そうしたら迎えに行かなくてはいけない。


 このままなにも起きないといいな。わたしはずっと心の中にこびりついている、人との諍いに対する不安におびえていた。人を殺したくない。ただそれだけだった。


(なんでそんなに怯えんのか、わかんないなぁ)


 マリアは不満そうだった。マリアは戦いのなかで生きてきた人間だからだよ。とわたしは心の中で言う。わたしは、生まれたときから死と隣り合わせだったけど、生殺与奪に全く関係のない世界に生まれた。あの世界じゃ、人を殺したら罪になるんだ。


(そんなのここだって一緒よ。アエテルヌムは殺人を罪としてるわ。センペル皇国でも一応ね。だからって、暗殺しなくていい国なんて、金が稼ぎにくくてかなわないわ)


 もう倫理観からして、わたしとマリアは真反対すぎる。ここ最近、マリアとそういう細かい喧嘩を心の中でするから、わたしは気持ちが疲れていた。そのせいか、頭痛もするし、目の下にくまもできてしまった。フローレンスや女中さんにも心配される始末だ。


(へいへい、ごめんなさいね。でも、うだうだ言ってらんないわよ、マジで。今月の二十五日は、眼鏡の誕生日だからね。仮にも王族だし、例年通り、舞踏会をするわ。

 ……そのどさくさに紛れて、なにかするやつがいるわよ。少なくとも、あたしが暗殺者なら狙うわね)


 マリアの不穏な最後の言葉より、眼鏡、という言葉に、わたしはハッとした。そうだ、もう灰ノ月になってしまった。アランの警告やエマの言葉に気を取られていたのもそうだが、仕事に実際復帰すると、細かい雑務が多くて、ずっとバタバタしていた。今日何日だっけ、ああ、十三日だ! まずい、サイラスさまに渡すお菓子のことを、本当に忘れてた! 自分から言ったくせに最低すぎる!


 マリアの過去を覗きこみながら、わたしはサイラスさまに渡すお菓子がなにが良いか考えていた。


 前の世界では、バレンタインとかで好きな人にチョコを作ってみたいと考えたこともあったし、できれば手作りをしてみたかった。いやでも、それはちょっとさすがに重たいかな。一応、国家の重鎮である宰相と、片や王女様付きの侍女なんて身分は雲泥の差だ。やっぱり、それなりのお店で市販品を買ったほうが無難だろうか。ああ、どうしよう。


(お菓子? 誕生日プレゼントぉ? っざけんじゃないわよ、あんな眼鏡に小銅貨一枚だって使うのはもったいないわ! 反対反対!)


 ぎゃんぎゃんとマリアが騒ぐ。いいじゃない、サイラスさま、あんなに素敵なんだもの。最近はなかなかお会いする機会が無くて、意味もなくサイラスさまの部屋の近くまで掃除をしてみたりしたけど、目撃できなくて、代わりにアランと会ってやたら絡まれて、意気消沈した。

 それに、たとえ恋が実らなくたって、好きな人にプレゼントくらい渡したって罰は当たんないと思うのだ。


(なんであんな眼鏡がいいのよー。エマに続いて陰険じゃないの)


 なんで、と言われても、生まれて初めて「かわいい」と男の人に言われたから……だ。たしかにサイラスさまは毒舌家だけど、マリアのお見舞いに来てくれたりと優しい人だと思う。まあ、自分でも、まさかそれだけで、こんなに気になるなんて思いもしなかった。ああ、やっぱりどうしよう。なにがいいかな。


(ほんっとうぶねえ。あーあ、プレゼントなんて、下町で流行ってる安いやつで充分でしょ。お貴族さまからしたら、さぞ珍しいでしょうよ、ええ。ってちょっと、聞きなさいよ!)


 マリアの皮肉を聞き流しながら、わたしはどうしようと悩む。フローレンスの侍女というのは、立場としては高位だが、実際のところ休みがないのだ。この前の二週間の休みは破格の休みだったことを思い知らされた。ちょっとだけ抜け出す時間を考えなくてはいけない。夜だと市場やお店は閉まってしまうし、今買っても日持ちがしない。直前で、どこかタイミングを見つけないと。


(馬鹿、今の状況で簡単に出かけられるわけないでしょ! アランが言っていたこと忘れた? あたしたちは、フローレンスの側に居たほうが良いわ)


 それを言われると、たしかにそうだ。でもやっぱりプレゼントは買いに行きたい。


(それに、今みたいにフローレンスの側に居れないときは、舞踏会の手伝いをしたほうが良いわよ。まあ、今回はフローレンスが心配だから、王命だとか適当に言って抜けても問題ないだろうけど、それでも手伝えるときは手伝わないと、女中たちの風当り悪いわよ。一回さぼったら、すごい意地悪された)


 それは困る。わたしは今、表向きだろうとなんだろうと、上っ面では女中たちと上手くやっていると思うし、今後も人間関係は穏便に済ませたい。


(それに、舞踏会はあたしたちも参加しないといけないわよ。この動きにくい服着なくて済むからいいけどさ)


 どういうことだろう。わたし――マリアが着ている服は、普通の、よく見るメイドさんの服装だ。とはいえ、あからさまに丈が短いふりふりのスカートとかではなく、長袖の黒いくるぶしまでのワンピースに、汚れが目立たないグレーのエプロン。以上。ワンピースの下にペチコートを履かないと、足さばきが悪いが、だからといって、フローレンスが着るようなドレスみたいに体を締め付けたりもしないし、それに比べたら全く動きにくい服装ではない。暑い季節、若草ノ月とかだったら、半そでに代わるくらいで、実にシンプルな服装だ。


(一族のところにいたときは、あたし、ずっとズボン履いてたのよ。そのほうが暗殺しやすかったし。でもこの国じゃあ、女はスカートしか履かないし、フローレンスの手前、あたしだけズボン履くわけにもいかないでしょ)


 ああ、そういうことか。たしかに過去のマリアはズボンで動いていた。王女さまの遊び相手から、侍女にシフトチェンジしてからは、この制服を着るようになった。八年くらいここにいるはずだが、それでもスカートは慣れないのか。


(今でも暗殺するときはズボン履くわよ。……ってそうよ! 舞踏会! あんた、舞踏会はあたしがどうやって参加してるか記憶見てないの?)


 ちょっと待ってよ、と思い、去年の様子を思い出した。ああ、マリアが男装している。あのクローゼットの中身を見事に使いこなしている。鏡を見ているマリアは、化粧もしていて、エキゾチックな見た目の美少年に見える。舞踏会では良家のお嬢さんに言い寄られたりもしていて、ちょっと笑える。


(笑えないわよ。舞踏会なんて、侍女の恰好じゃあ表立って出れないんだもの。だから、あたしはセンペル皇国に住んでる王妃さまの姉貴の息子のモーリスっていう名前で、ぼくはフローレンスのいとこですよ、だから来てますよって顔して参加する。それでフローレンスにちょっかい出すようなやつがいないか見張りつつ、いたら殺す。毎回、なんかの舞踏会のときは、そういうふうにしてんのよ。

 別にそのまんま出てもいいんだけどさ、それならドレス着なきゃいけないし。ドレスだと動きにくくて、裾踏んで蹴躓いて、一度しくじりかけたから、男装することにしたの)


 物騒なことばっかりだ。もうこのセリフを言うの、何度目だろう。わたしは嘆息しつつ、でも男装とはいえ、綺麗な衣装を着れるのが楽しみだったりした。


 そして、暇があれば舞踏会の準備を手伝ったりしつつ、サイラスさまに渡すお菓子もどれがいいか、どこで買うのかを舞踏会の前日まで悩み続け、町の裏通りにあるセンペル皇国の人がお菓子屋さんを営んでいる店が美味しい、というマリアの貴重な記憶を発見した。そこで売っている、センペル皇国では有名な、香辛料が練りこまれたクッキーにしようと決め、結局、フローレンスが午後まで会議中のとき、お昼ごはんを抜いてお店まで走って買いに行った。


 その間、ずっとマリアは金を返せと騒いでいたから、うるさくてかなわなかった。

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