判決

 問いをかけられた司教も、黙していた。少しずつ司教に視線が集まる。司教は苦々し気に宗也を見つめていた。迷っているようにも見えた。


(……本当は、司教が悪いんじゃあない。彼は彼の信ずる教えに忠実なだけ。彼は彼なりの面子と、そして教えを伝える矜持を持ってるだけだよな)


 静かにマリアはそう言った。さっきの悪態はなんだったのか。


 だが、マリアの言うとおりだ。彼はずっと、アエテルヌムの教えを大切にして生きてきた。だからこそ、司教としての立場がある。それに、国が傾くか傾かないか、という重責が乗っている。おいそれと簡単に口にできるほうが、肝が据わっているんだろう。司教は、迷うように目を揺らし、ある程度考えがまとまったのか、渋面を和らげて言った。


「姫さま。いえ、フローレンス殿下。

 ……率直に申し上げれば、わたくしは、処刑を願います。アエテルヌムでは、『鏡の向こうの人』は不吉の兆、魔の存在ですから。しかし、フローレンス殿下の仰る通り、彼がただびとであるのであれば、逆に一切の慈悲も愛もなく人を殺めるなどという、一番破ってはならぬ教えを破ることになります。そして、センペル皇国との争いの火種にもなりかねない。

 ですので、こういうのはいかがでしょう。


 オールディス公爵よ、一年、わたくしの下で、彼を――ソーヤを働き手としてお譲りいただけますか。決して、無下には、無慈悲な扱いは致しませぬ。『鏡の向こうの人』であることは秘匿の上、わたくしが直に彼を見て、彼がよこしまであるということであれば、国王陛下にご報告申し上げ、教えのとおり処刑する。一年経ち、問題がなければ、正式にラーロ王国の国民として認め、働き口を紹介し、自由にする。それでは、いけませんか」


 驚いた。この瞬時で、あの司教はそこまで考えついた。アエテルヌムの教えを守りながら、センペル皇国と争いにもならない、折衷案に違いなかった。


(そりゃあ、司教なんて長年やってりゃ、頭も人より回るさ。びっくりだね、ほんと。恐れ入るわ。国王陛下と並ぶんじゃない?)


 言葉だけなら、マリアは軽い調子で言っている。でも、マリアも、わたしも確信を持ち始めていた。


「そうね。この場で彼をただの人であると決めつけるのは、浅はかでした。皆に申し訳なく思います。司教、あなたの案に、わたくしも賛成します。異議がある方はいらっしゃる?」


 フローレンスは左右を見回した。誰も、異議はないようで、首を横に振っている。


「国王陛下、この結論でいかがでしょう」


 父王を見上げるフローレンスは、とても毅然としていた。わたしたちの友だちは、本当に強い女の子だ。


(よくやるよ、フローレンスも。そして、あんたもね)


「うむ。余も異論はない。では、ソーヤ・コーディ、改め、ソーヤ・イノオよ。そなたは、司教の下で、一年の働きをせよ。その結果で、そなたを我が国の国民とするか、処刑とするかを、改めて決める。

 皆の者は、此度こたびの件、緘口令かんこうれいを敷く。決して彼が『鏡の向こうの人』であることを漏らすな。漏らせば厳罰に処そうぞ。


 ……ソーヤ。どうか、我々を、そなたを慮ったマリアを裏切るような真似は、しないでおくれ」


 最後に、王さまはとても優しい声で言った。後ろで小さく、宗也は、はいと答えた。これが、わたしができる、精一杯だった。宗也は、司教と共に教会へと連れていかれた。振り向きざまに一瞬、宗也と目があったが、すぐに向こうを向かれてしまって、なにを思っていたのかは、うかがい知れなかった。


 すでに十七刻の鐘が鳴り、会議は解散となった。わたしはフローレンスが着替えを手伝ってほしいと言うので、ついていった。フローレンスの自室までたどり着くと、コルセットを外すのを手伝いながら、フローレンスはふっとこちらへ振り返った。泣きそうな顔をしていた。


「マリア、よくあの場であんなこと言い切れたわねー! ほんっと、肝が冷えたんだから!」


「え? ああ、あの子、なんか可哀相だったしね。フローレンスもよくやったよ」


 コルセットとパニエから解放されて、フローレンスはベッドにそのままダイブした。ごろごろと転がりながら、フローレンスはふっと不安そうな表情をする。


「……あの子、大丈夫かしらね。司教は無下にはしないと言ったけど。ああ、でも、エマニュエルがあなたに加勢すると思わなかったわ」


「さあ。なんでだろうね」


 たしかに、あそこでエマがわたしに加勢してくれるとは思わなかった。どうして加勢してくれたんだろう? でも気まぐれそうな人だから、単に気が向いただけかもしれない。


「なんにせよ、疲れたー! マリア、お茶! お茶しましょう!」


「ええ、もう少しで夕飯だよ?」


「知らないわよ、あの頭のかったいジジイども、あなたが来る前からずーっと相手にしてたんだから、いいでしょ! 甘い物が食ーべーたーい!」


 駄々っ子のようにフローレンスが言うので、わたしは笑いながら、だめだよ。と言った。

 宗也とは、もう会えないかもしれない。無理に会おうとすれば、なにを疑われるかわからない。でも、あの言葉は、わたしの救いにも、恨みにも、ならなかったけど、本音が聞くことができたのは良かった。そうだ、わたしは宗也から両親を奪っていた。それは、事実だ。


(あんたは、よくやったわよ。あれが上出来だった。あとはあんたの弟次第。気に病まないこと)


 優しいマリアの言葉に、泣きそうになるのを我慢して、唇を噛みしめた。わたしと宗也は、王さまたちのように、たぶん一生、和解できないだろう。それが、すごく悲しかった。


 お菓子が食べたいと駄々をこねるフローレンスを軽くあしらって、わたしは自室に戻ると、大声で泣いた。この世界に来て、初めて、大泣きをした。その間、マリアはなにも言わないでじっとしていてくれた。

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