汝は人か

 サイラスさまの問いに、震える体を抑えるように、わたしは一息吸った。


「トラックと言う言葉、わたくしは存じ上げません。ただ」


 ただ? と一斉に、みんながわたしを見つめる。わたしは、思いついたのだ。


 その場で片膝を折り、手を組んで頭を垂れた。この国で一番の最敬礼にあたる礼をした。頭を垂れたまま、思いついたことをはっきりと口にする。


「センペル皇国で『鏡の向こうの人』は、『分け隔てた世界の賢者』と呼ばれる知恵と富を運んでくる吉兆の神です。

 わたくしもラーロ王国で育ちましたので、アエテルヌムの教えで、不吉の兆というのは存じ上げております。愚見であることも承知の上で、お願いがございます。


 彼は、まだ子供です。どうか、アエテルヌムと、国王陛下がお持ちの寛大なお慈悲を持って、処遇を今一度ご検討いただけないかと存じます。


 なぜなら、わたくしもこの国で育ったとはいえ、なにをどうしたとしても、センペル皇国の生まれというのは消せません。彼と同じ、異邦人という立場でございます。そして、センペル皇国では吉兆の神。わたくしの故郷では吉兆の神なのです。もちろん、ここがラーロ王国であることも承知でございます。


 国王陛下並びに、フローレンス殿下方には、わたくし自身、とても言葉では言い尽くせぬほど良くしていただいております。わたくしに注いでいただいた、その寛大なお心で、どうか彼に極刑を処さないようにしては、いただけませんでしょうか。どうか、伏してお頼み申し上げます」


 自分でも驚くほど、冷静に、切実な言葉が出てきた。

 センペル皇国の『鏡の向こうの人』は、神の子である皇帝に富と知恵を授けた者として、神格化されている。最初に、エマに会ったときにそう聞いた。さっきマリアが言いかけたのはそれだ。あとはもう、どうとでもなれだった。


 本当は、この場でこんなことを言ったら、追い出されるかもしれない。もしかしたら、なにか刑罰を受けるかもしれない。マリアの体なのに、勝手なことをしてしまったというその考えもあった。だけど、わたしは、わたしと違って本当に一人ぼっちの宗也が、訳もわからないまま殺されてしまうのだけは避けたかった。憎まれても、嫌われても、宗也は、わたしの肉親だったから。


 しんと鎮まった中、わたしは誰かがなにかを喋るのを待った。そして、我に返ったようにわたしの言葉に、司教が怒鳴りつけた。


「こ、国王陛下に、そしてアエテルヌムの教えに、恐れ多いことを! お前のような異邦人に、尊い教えを――!」


(石頭のくそジジイ!)


「司教殿。彼女は、彼女の国の考えを話したまでです。


 事実、センペル皇国では、皇帝に富と知恵を授けた神と呼ばれる存在と、わたしも聞き及んでいる。そしてラーロ王国では、国の方針としてはアエテルヌムを信奉しますが、個人でなにを信じるのかは、悪の道でなければ、その人の自由であると法律でも決まっている。あなたがアエテルヌムの教えを貴ぶのであれば、同じように、彼女が彼女の故郷の教えを貴ぶことを、誰も無下にはできません」


 司教の言葉に、意外にもサイラスさまが防いでくれた。その前にマリアの悪態が響いたが。


 だが、それっきり、みんな黙り込んでしまった。七大国の面子として、アエテルヌムの教えを守って宗也を処刑するべきか。それとも、わたしの言葉通りにするのか。どう考えたって、前者のほうが彼らには正しいことのように思えるだろう。やっぱり、宗也を救えないのかと、苦い気持ちがこみあげてきた。


 そのとき、場の空気を叩き壊すようにエマが杖で床を叩いた音がした。


「お嬢さん、まことに結構じゃないか。わたしもアエテルヌムの教えの、『鏡の向こうの人』が不吉と言うのは、信じがたいね。吉兆とも思わないが。


 なあ、国王陛下。あそこにむざむざと縛られている、ちっぽけな、ただの少年が! この七大国たるラーロ王国を、簡単に傾けられるとでもお思いか? もちろん、火種の一つになる可能性は否めないさ。だが、一人の人間だけで国が引っ返せると思うなら、それは間違いだろう。なあ、サイラス閣下? あなたが一番、それをご存じのはずだ。あなたのお父上は、一人では国をひっくり返せなかった、そうだろう?」


 気安い調子でエマは王さまとサイラスさまに声をかける。サイラスさまは何も答えなかった。その代わり、何人かが、不機嫌そうな咳ばらいをした。少しだけ目線を上げると、王さまは、自分の豊かな髭を撫でながら、宗也を見つめていた。エマは気にせず、静かに話を続けた。


「それに、このことがセンペル皇国に知られてみたまえ。ましてや処刑などしてみたら、向こうがどんな言いがかりをつけてくるかわからないだろう。

 わたしは、そちらのほうが、恐れるべきことだと思うがね。国王陛下付きの魔法使いとしての意見は、それだけさ」


「ううむ。そうさな。エマニュエルが言うことも一理ある。なにより、余もこの少年が我が国を傾ける存在とは、とても思えぬのだ。余の目が曇っていなければ、だが。フローレンス、そなたはどう思う?」


 わたしは思わず顔を上げた。王さまとエマは薄く笑って、フローレンスを見ていた。決して嫌な笑みではなかった。だが、王さまの目は、フローレンスを試すような目つきだった。それに対して、フローレンスはしばらく黙っていた。そして口を開いた。


「陛下、彼に質問をさせてくださいませ。……ねえ、ソーヤとやら。あなた、鏡の向こうの世界で、人を殺したことはあって?」


 フローレンスの静かな問いに、宗也はびっくりしたような声でいいえ、と答えた。


「人の物を盗んだことは? 人を騙したことは? 人をいたずらに傷つけたことは? 人を憎んだことは?」


 いいえと答え続け、三つ目の答えから、宗也は詰まった。そして、少し悩むように、か細い声で告白した。


「俺は……、俺には、姉がいました。そこの女の人に良く似た人で。俺は、姉が大嫌いでした。病弱で、両親がいつも、姉に構ってばっかりで、俺のことをほったらかしにするから、憎かったし、それを姉の前で態度に出していました。姉が死ぬ、直前まで。

 ……それが、ひどいことだとも、わかっているけど、でも、気持ちの持っていき場が、なかった。だから、傷つけたり、憎んだりしたことは、あります」


 フローレンスは、少し考えるように目を伏せ、眦を開いた。


「わたくしは、あなたは、富を運ぶ神でもなく、不吉をもたらす魔でもなく、ただの人だと思うわ。人を愛し、人を憎む、ただの人だと。


 ……わたくしとしては、この少年がこのラーロ王国に一切背かないと約束できるのであれば、この少年に相応の働き口を紹介し、健やかに暮らしていくのが、最善だと思います。


 アエテルヌムの教えは、人が生きることができる世界を創りたもうた、アエテルヌムと七柱の使徒の慈愛と、今一度人を創りたもうた、土ノ使徒の慈悲に感謝をします。ゆえに、我々人同士は慈愛を持って接せねばならない。


 この少年が、ただの人であれば、この子に極刑を処すのは、アエテルヌムの教えを破ることになる。それに、エマニュエルの言うように、センペル皇国との争いの火種を作るのは、一番避けなければならない。

 違って? 司教」


 フローレンスは、静かに司教に問うた。だれもが、口を開くことができないほど、毅然として、威厳のある姿だった。

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