宗也は震えながら、わたしをじっと見つめた。驚きと困惑で、憔悴しきった表情だった。


「姉ちゃんだよな?」


 また、宗也は言った。わたしは、なにも言い返せなかった。ただ表情だけは変えまいと、無表情を貫くことで精いっぱいだった。

 そんなわたしの心情も知らず、宗也の言葉に、会議場が急速にざわめきに支配された。


「静粛になさい!

 ……彼は、姉と言いましたね? マリア、この少年は、あなたの弟ですか?」


 いつもの物静かなイメージからかけ離れた、良く通る声で放たれたサイラスさまの一喝で、みんなが押し黙った。そんな中、サイラスさまは、静かに問うてきた。


 わたしは身が竦んでしまって、答えられなかった。宗也、だ。間違いない。宗也だ。弟だ。どうしよう!


(否定しなさい! ここで認めれば、あんたは同じようになる。あの子を助けたいのなら、別の言い訳を考えるのよ)


 低い声で、マリアはそう言った。マリアの言葉で、わたしは混乱する気持ちを少し抑えられた。

 そうだ。わたしも捕縛されてしまっては、身の証を立てることすらできなくなってしまう可能性が高い。


 わたしは、振り返った。真ん中の席は、ちょうど王さまとフローレンス、そしてサイラスさまが座っているから、本当なら不敬かもしれないが、彼らをじっと見据えた。表情は変えず、静かにはっきりと、言うんだ。


「いいえ。わたくしに、兄弟はおりません。恐れ入りますが、彼はどのような経緯で、ここに至ったのか、わたくしめにもお教えいただけますか」


 わたしの言葉に、蒼ざめた表情のフローレンスは頷いた。ひどい顔色だった。別に、宗也がどうして来たなんかなんて、興味もなかったし聞く必要も感じなかった。ただ、その説明を聞いている間に、なにか妙案が浮かばないかと、半ば時間稼ぎを目的としての質問だった。


 説明は、左の卓に座している、彼を捕縛しここに護送したオールディス公爵がしてくれた。美丈夫というほどではないが、正義感の強そうな、精悍な顔立ちの男性だった。


 彼の説明を受けると、宗也が入った少年の元の名は、ソーヤ・コーディ。

 東の領地、オールディス公爵の館の下仕えとして、両親とともにソーヤは働いていたのだという。だが数日前から、ソーヤは熱病にかかり、ここ連日ずっとうなされていた。手の施しようがないと医者が匙を投げ、その二日後、熱もすっかり下がり目を覚ました彼は、自分がイノオ・ソーヤだと言い出し、『鏡の向こうの人』ではないかという懸念が立った。そのため、オールディス公爵の指示の下に、捕縛されここに護送されたのだという。


 そうこうしている内に、話を聞き終えてしまった。ダメだ、案が思いつかない。でもまずは、元のソーヤとの関連も否定したほうがいい。わたしは、意を決して話した。


「ソーヤ・コーディとも、わたくしは親戚、友人といった関わりなど、全くございません。わたくしは、ご覧のとおり、センペル皇国から流れてきた者ですし、それからずっと、このお城でお仕えして参りましたので、東のご領地に伺ったこともございません。

 ただ、幼いころ、故郷でティレル一族の噂は耳にしたことであれば、一つあります。一族の証であれば、なにかの入れ墨があるといったような話を、聞いたことがあります。彼に、そういったものはありましたでしょうか。もしそうであれば、ティレル一族に確認した方が良いかと」


 さすがに蜘蛛の入れ墨と言い切ってしまうのはよくないと思って、そこは濁した。その言葉に、紙をめくる音がした。サイラスさまが紙を黙読している。恐らく身体の状況について記されているのだろう。かぶりを振った。


「そうですか。それでは、わたくしが考え得る限りですと、皆さまが懸念されているように、恐らく『鏡の向こうの人』かと、愚見ながら申し上げます」


 わたしの言葉に、フローレンスは胸を撫でおろすように安堵した顔をした。わたしがきっと、彼となんの関わりもないことがわかって、安心したのだろう。だが、宗也はわたしだと認めていた。


「姉ちゃんだろ!? おい、なんで無視するんだよ!」


 振り返っちゃ、ダメだ。絶対に、ダメだ。とても泣きたくなった。力になってあげたい。そうだと、姉の真理亜だと言ってあげたい。でも、できない。ごめん、ごめんね、宗也。


「俺、トラックで轢かれて、そしたらこんな訳のわかんないところにいて!」


 食って掛かるように怒鳴り散らしている。わたしは、振り返らないように必死だった。知らず知らずのうちに、手に拳を握っていた。トラックに轢かれた。つまり、宗也もあちらの世界で死んだ――?


 そうか。異であるけれど、別世界の同一人物が同時に死ぬと、ここに移ってくるのか。わたしとマリアは、マリアが仮死状態だったから、二人同時に宿ってしまったが。じゃあ元のソーヤさんはどこに行ってしまったんだろう。


 どうでもいい謎が一つ解けて、また謎が増えたところで、どうだってよかった。わたしは弟を救う手立てを必死に考えていた。『鏡の向こうの人』は、悪い者でないと証明しなくちゃいけない。なにか、なにかなかったか。宗也がずっと怒鳴っているし、不安で集中できない。ああ!


「お黙りなさい!」


 またサイラスさまが一喝した。宗也は黙るが、わたしはその目が、きっとあの日――わたしが死んだ日――と同じ物であろうことを想像して、苦しかった。


(負けちゃダメよ。最初の勢いはどうしたのさ。今、あんたはいい方向に持っていってる。あの子を助けられるような言い訳を考えるのよ)


 マリアの叱咤に、わたしは腹に力を込めた。そうだ、考えろ。なにか手立てはあるはずだ。マリアは異邦人と今日、フローレンスに言ったじゃないか。なにか、なにか。


(そうだ、センペル皇国じゃあ、『鏡の向こうの人』は――)


「とらっく、という言葉を、わたしたちは知りません。マリア、その言葉もあなたは知りませんね?」


 サイラスさまが、口を開いてしまったので、マリアの声は全て聞き取れなかった。サイラスさまの言葉は、質問というよりかは確認のようだったが、それについて、わたしはただ頷くことしかできなかった。


 でも、マリアの言葉にわたしは光明を見出していた。

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