召喚
エマを呼び出してから四刻は過ぎた頃、フローレンスの部屋の掃除をしていると、ノックの音が響いた。
「はい?」
「マリアさま、お呼び出しがございます」
ドア越しに女中が言った。なんだろうと思い、ドアを開けた。
「マリアさま、フローレンスさまからお呼び出しです。第二会議場にいらしてほしいとのことです」
まさか、エマがわたしが『鏡の向こうの人』だと言ったんだろうか。一瞬で血の気が引いた気がして、わたしは両足の感覚がなくなりそうだった。
(馬鹿。ンなこと言ったら、あたしに迷惑かかるのをあいつは知ってるわ。なにか別の理由よ)
こういうとき、マリアが居てくれると心強い。本当に強くて、冷静だから。それに、マリアの言うとおりだ。エマはマリアを助けるために、わたしのことを伏せてくれた。ここで、わたしのことを言うのは筋が通らない。契約違反になる。
すぐに行くと女中に言い、第二会議場の入り口までたどり着くと、足が竦んだ。きっと、今回の件で国家の重鎮たちの雁首がそろっているはずだ。わざわざ緊急会議と称しているくらいだから、偉い人たちがたくさんいるんだろう。そういった人たちに囲まれた経験がないわたしは委縮しないよう、マリアのように大胆不敵になれるよう、胸を張ろうと心に誓った。
中にもフローレンスがいる。わたしの恥は、フローレンスの恥になる。臣下の恥は、主人の恥だ。それは絶対に避けなくては。友だちの恥には、なりたくない。
(あら、あんたも度胸ついてきたんじゃない。その調子よ)
くすくすとマリアは笑いながら言った。そう、わたしには心強い味方がいるんだから。会議室を守る兵士に、呼び出された旨を伝えると部屋を通された。
「失礼いたします」
部屋に入ると、辞儀をした。その間際に、コの字に卓が並ぶ広い会議場では、ちらっと見ただけで、真ん中の卓には王さま、左にフローレンス、右にサイラスさま、いつのまにかいつもの姿のエマがその後ろで、柱にもたれるように立っている。
両脇の卓に他の大臣や地位の高い貴族たちが大勢と、アエテルヌムの司教がいる。そして両腕を後ろに縛られている男の人が、兵士に脇を固められて動けないように、そのテーブルに囲まれるよう、ど真ん中にいた。まるで、裁判みたいだ。あれが、今回の『鏡の向こうの人』なんだろうか。後ろ姿だからわからないが、どちらかというまだ子供のように思える。
(ここの一部の人たちは、あたしがティレル一族であることを知らない。口にしちゃダメよ)
わたしの目を通して、参加者を確認したマリアの言葉に、わたしは気を引き締めた。余計なことは、言わない。どちらにせよ、わたしには危ない綱渡りだ。
「おお、マリア。すまんな、忙しいところを呼びつけて。さ、疲れるだろう。面を上げい」
王さまは、気さくにわたしに声をかけてくれた。とんでもないことです、とわたしは返し、もう一度頭を下げて伏せがちにしつつも、顔を上げた。フローレンスが立ち上がる。
「マリア。この度は、エマニュエルの提案で、あなたを呼びつけました。エマニュエル、詳細を説明なさい」
フローレンスは、逆にいつもよりも格式張ったふうにわたしに声をかける。そして指示されたエマは退屈そうに伸びをしながら、いつも持ち歩いている杖で、男の人を指した。
エマがいちばんこの場でリラックスしているように見える。魔法使いと言うのは、いつもこんな感じなんだろうか。
「いくつか、我々ではわからない言葉を彼は言うんだよ。このわたしも知らない言葉だ。センペル皇国などに伝わる、秘密の言葉かと思ってね。
――そうそう、彼の名前は、ソーヤ・イノオと言うそうだよ。イノオが名字だそうだ。元の名前は違うようだが」
最後の言葉に、わたしは心が凍り付くような感覚を覚えた。なんだって? ソーヤ、そうや、宗也? 弟が、ここに来たの?
(しっかりして。まだそうと決まったわけじゃあない。下手を打ったらだめよ。あくまで、あたしとして接しなさい。
それにあいつは、センペル皇国じゃなくて、ティレル一族の言葉かと聞いてきてる。さっき考えたとおり、余計なことは、言っちゃダメよ。あんたならできるわ)
マリアの叱咤に、わたしは心の中でうん、と答える。
「では、失礼ですが、彼と話をしてもよろしいでしょうか」
「ええ。こちらにいらっしゃい」
フローレンスに言われ、わたしは彼の真正面、急に暴れてもすぐに届かない、少し離れた位置に立つようにした。
そして、わたしは愕然とした。顔に出さないように必死だった。彼は、赤みがかった茶髪に、青緑の目をしていた。だけど、それは、わたしの弟の顔立ちに似ていた。ここに来たばかりのわたしと同じような感覚だ。日本人のような雰囲気は消えて、彫りの深い顔になっているが、それでも、弟の顔に違いなかった。
弟は、母に似ていて、わたしは父に似ていたから、こちらの世界だとそっくりには見えないのが、幸いだった。
ソーヤと呼ばれた少年も、ぶすっとした表情だったのが、わたしを見つめると、瞠目した。
「……姉ちゃん?」
聞いたことは少なかったけれど、宗也の、声だった。
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