現れた鏡の向こうの人

緊急会議

 フローレンスの朝食の片づけを他の女中たちに指示していると、別の女中が早足でこちらに来た。城内は走ることを禁じられているから、ほとんど駆け足気味の早足だった。その女中に目を向けると、彼女もわたしを認めるや否や、躍り出るように目の前にやってきた。


「マリア様! お、お急ぎで、フローレンスさまのお部屋までお願いいたします!」


 息を切らしながら、女中は言った。食堂からフローレンスの部屋までは、それほど距離はない。それでもまだ油断は禁物と思い、ちゃんと護衛の衛兵も随行させた。まさか、刺客が現れたんだろうか。心の中のマリアが緊張感を持っているのが、わたしにも伝わった。


「なに? なにがあったの?」


「き、緊急会議が開かれるとかで、フローレンスさまも、ご出席になるそうなのです。お、お着換えの、お手伝いをするようにと」


 緊急会議。とりあえず害があったとかそういう話ではなくて良かった。

 それでも、嫌な響きだ。フローレンスは着替えの手伝いを、絶対にマリアだけにしかさせないから、わざわざ伝言をよこしたんだろう。ちょっと女中が気の毒だ。


(緊急会議、ね。ここ数年、開かれたことないわよ。なにか悪いことが起きたかもしれない)


 マリアの緊張した声に、わたしも心の中でそうだね、と答えた。


「わかったわ。急いでくれてありがとう。少し休みなさい」


 女中に返事をし、お礼の言葉を耳の端にとらえながら、今度はわたしが早足でフローレンスの部屋に向かった。マリアの体は鍛えているから、そんなに苦痛ではない。


(褒めてくれてありがとさん)


 マリアが軽口を叩くので少し笑いそうになったが、慌てて顔を引き締めた。まもなく部屋まで到着し、フローレンスの部屋付きの兵士に会釈すると、脇にどいてくれた。わたしはフローレンスの扉をノックする。フローレンスが答えた。


「姫さま、マリアでございます」


 入って、と言われたため、中に入ると、フローレンスが下着姿で立っていた。慌てて扉を急いで閉める。


「ごめんなさいね、マリア。急がせて。ドレスはこれを着るわ。化粧は自分でやったし、髪もおろしたままでいいでしょ。後ろのほうだけはねてないかだけ、見てもらえる?」


 わざわざ王女さまが、自分で化粧をして、自分で着る物を選んで、それも他に必要な物を全部引っ張りだしてくれるのは、本当にありがたい。靴も靴下も、ドレスに合わせる物を選んですでに履いてくれていた。他国のお姫さまは、それすら自分でしないと聞いたので、フローレンスの自立心の高さには脱帽する。


「いえいえ。なにがあったの?」


 わたしは軽い調子でそう答えながら、手早くコルセットを取り付け締め上げ、パニエを着させる。ドレスを手に取った。


「……『鏡の向こうの人』が、現れたのよ。オールディス公爵の領地で現れたと報告が早馬が来てね。今、その人は捕らえた上で、こちらへ護送させているわ」


 その言葉に、一瞬わたしの手が止まってしまった。捕らえた。わたしもバレていたら、そうなっていたんだろうか。心臓が跳ねた。


(馬鹿! 早く動きなさい!)


 マリアの叱咤に、慌てて取り繕うようにリボンを結びなおした。


「なんで『鏡の向こうの人』が現れたのかな」


「さあ、わかんないわ。アエテルヌム教では不吉の兆だとか魔の者だとか言われてはいるけれど、実際、現れたことなんて今までの歴史を辿っても、わが国でも他国でも、それほどないのよね。歴史に残してないのか、結果もいまいち曖昧で。だから諸侯らを集めて、その人をどうするか緊急会議を開くことになったのよ」


「……その人は、どうなるのかな」


 最後の仕上げの襟を付け、ヘッドドレスのリボンを結ぶと、フローレンスは不思議そうに首を傾げた。


「マリアは、『鏡の向こうの人』が気になるの?」


 自分がそうだから、とはさすがに言えなかった。曖昧にわたしは笑う。フローレンスの長い栗色の髪を念のため、化粧机に置いてあるブラシでかけながら、言い訳を考えた。


「ほら……、ある意味、言い方を変えれば、異邦人ってことでしょ。あたしも立場的には、近いからさ。ちょっと気になっただけ」


 ああ、そういうことか、とフローレンスは頷いた。なんとか誤魔化せたが、まさか、立て続けにわたしと同じような人が現れるなんて思わなかった。気にもなるし、どうなるんだろうか、その人は。


「七大国として、教義上、アエテルヌムの教えを破るのはどうかと思うから、難しいのよね。だって、その人の人柄によると思うのよ。わたしとしては、それを見た上で、その人をどうするのかを判断したいと思う。いくら教義上、不吉だからってわざわざ処刑するのも違うと思うわ。……こんなこと言うと、信心深くないって司教には言われるんだけどね」


 フローレンスは苦笑しながら言う。支度は整った。なにか、その人の手助けになることは、ないだろうか。

 その人が、善人か悪人かなんてわからない。でも、もし善人だったら? フローレンスが頑張ってくれても、王さまやサイラスさまが反対する可能性だって否めない。そうなれば、わたしよりずっと冷たい処遇になる。それは、あんまりだ。


「……エマも、呼んだらどうだろう」


 エマが、その人を助けてくれるとは限らない。


 わたしは、釘を刺されている。わたしではなく、あくまでマリアを助けるのだと、冷たいくらいキッパリ言い切られている。だがわたしと、同じような立場の人がいたら、可哀相だ。もし善人であるのなら、不吉でないことだけでも、証明してくれないだろうか。今のところ、わたしはこの国に不吉をもたらしてはいないはずだ。


 それにエマ自身が、それはデマだと、わたしに出会ったときにハッキリ言い切っていた。望みを、そこにかけるしかない。


「エマニュエルを? ああ、それは良い手かもしれないわね! お父さまがもしかしたら呼んでるかもしれないけど、マリア、一応呼んできてくれる? 第二会議場で行うから」


「わかった」


(あんたも、お人好しねえ)


 マリアのため息を無視しながら、わたしはフローレンスの部屋を出た。


 フローレンスの部屋を守る兵士に、エマを見かけたか聞いたが見ていないという。仕方ないので、女中部屋まで早足で向かうと、ちょうど通りがかった女中に声をかける。


「ねえ、エマを見なかった?」


「エマニュエル卿ですか? さきほど、中庭にいらっしゃいましたよ」


「ありがと!」


 女中に礼を言って、わたしは早足で庭園に向かう。ということは、呼ばれていないんだろうか。エマは、前回とは違う真っ白いドレスで、今度は真っ白いパラソルを回しながら散歩をしていた。


「エマ!」


 わたしが声をかけると、エマは振り返った。やっぱり今日は女性だ。エマは綺麗だった。ぞっとするほどに。


「どうしたんだい、お嬢さん」


 エマは小首を傾げた。わたしは息を少し整えながら、まっすぐエマを見る。話を聞いてもらったせいか、苦手意識は少し無くなっていた。


「第二会議場にすぐ来てほしいの。緊急会議が始まるから、フローレンスが来てほしいって」


 わたしの提案だとバレないことをひそかに祈ったが、エマは特に気にするふうもなく、そうかと答えた。


「どうせ、『鏡の向こうの人』が来たんだろう」


「……わかるの?」


 エマは肩をすくめてみせた。パラソルを閉じると、あらぬ方を見て呟く。


「なんとなくわかるさ。東のオールディス卿の領地が、揺らいだのが見えた。君が来たときも、そんなふうに見えたからね」


「あなたって、万能なのねぇ」


 思わず感嘆すると、ころころとエマは鈴を転がすような声で笑った。


「あははは、そんなわけないさ。わたしは万能ではない。

 まあ、行かなければどうせ王からも後で助言を頼まれるに決まっているからな。いいだろう、行こうじゃないか。面倒は早く済ますに限る」


 エマは出口へと、こちらへ向かってきた。わたしの横を通り際に、ぼそっと一言残して。


「お嬢さん。わたしに企み事は通用しないのは、わかっているだろう。君の提案だと、素直にそう言いなさい」


「……っ陰険魔法使い!」


 マリアとわたしは同時に、その台詞を吐いた。実際に声に出しているのはわたしだけだけど、たぶんマリアの声もエマには聞こえているんじゃないだろうか。エマが高く笑いながら、去っていく。本当にあいつ、陰険だ。わたしもだいぶ、マリアに毒されてきたけど、やっぱり陰険だ!


 一人地団駄踏みながら、わたしは心の中で叫ぶのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る