二人で生きる

 わたしが固まったままでいると、エマはまた透かし見るように目を細めた。わたしというより、わたしのすぐ真横になにかがあるように、そちらに目線をやっている。


 マリアがだぶって見えるというからには、わたしに重なるようにマリアが見えるのだろうか。魂とかそういうのは、生前霊感があったわけでも、そういうのがあると信じているとも信じていないとも、どちらでもなかったけれど、目に見える形にあるんだろうか。そんな考えをよそに、エマは口を開いた。


「お嬢さん。わたしが協力するのは、あくまで、マリアだということを、ご理解いただきたいのだよ」


「……どういうこと?」


 言っている意味がわからなくて、わたしは首を傾げた。あくまで、まりあだということ。どういう意味かわからないでいると、マリアが舌打ちした。


(陰険魔法使い。要するに、あたしの相談は受けるけど、あんたの相談は受けないって言ってんのよ)


「どうして?」


 思わず声に出してしまった。意味がないとわかっていても、声に出てしまった。だって、最初の日、エマはとても親切にしてくれた。なにもわからないわたしに、親切にいろいろ教えてくれた。どうして急にそんなことを言われなくてはいけないのか、見当がつかなかったのだ。


「マリア・ティレルとわたしは互いに契約をしているが、君とは契約していないから、君の相談は受けられない。

 君が目覚めたときに手を貸したのは、マリアが眠っているのが見えて、『鏡の向こうの人』と処されるより、マリアが目を覚ますまで君に手を貸したほうが賢明だと思ったから。それだけだ。君への親切心じゃない」


 平然と、冷たいくらいに言い切られたその言葉に、わたしは体が竦んだ。そして、強い疎外感を受けた。わたしは、エマに受け入れられていないんだ。あの日、一番に親切にしてもらったから、わたしは勝手にエマに好感を抱いていた。泣きたくなって、目じりに涙が湧いてきた。慌てて擦ったが、エマはもうわかっているかもしれない。


(泣いたってどうしようもないわよ。あいつは、普通の人とは違うんだから)


 マリアがわたしを叱咤するように、そう言った。うん。とわたしは返すが、それでも疎外感は消えなかった。そして急に、エマが怖いと思った。

 そんな気持ちもお見通しなのかわからないが、エマはサイドの髪を手で梳くような動作をして、今はその髪を結ってしまっていることを思い出したのか手を止め、ようやくわたしに目線をやった。


「それで、マリアの相談とは、いったいなんだね」


「ま、マリアと、わたし、二人を分けることができないかと思って」


 びくつきながら言うわたしの言葉に、エマは閉じたパラソルを片手で持つと、つんつんと地面に小突きながら、ふうん、と呟いた。しばらく考えるように小突き続け、手を止めると頷いた。わたしの気持ちは期待に膨らんだ。


「分けることは、わたしならできる。簡単な話だ、君かマリアのどちらかを体に遺して、片方の魂を抜き出して消してしまえばいい」


 期待の風船がしぼんでしまった。違う、そうじゃない。それは望んだ答えじゃない。わたしは首を横に振った。


「それじゃ、意味がないの! わたしも生きたいし、マリアも生きたい。だから、上手く二人を分離させられない? 例えば、わたしの魂は別のなにかに宿すとか」


「できない」


 身もふたもないどころか鍋もないような即答だった。わたしが聞くから、意地悪をされているんだろうか。


「どうして!?」


 思わず語気を強めて聞き返すと、エマはパラソルを小突くのをやめた。そして静かに聞いてきた。


「君は、『鏡の向こうの人』が、どうして似た人間に宿るのだと思う?」


「え……? それは、異世界の同じ自分だから、でしょ」


 ここで信じられている『鏡の向こうの人』とはつまり、パラレルワールドにいるもう一人の別の自分だとかそういうものだろう。


 ほかの『鏡の向こうの人』を見たことがないからわからないが、たぶん、わたしとマリアは同一だけど別人物。別人物だけど同一。コインの裏表みたいな物なのかもしれない。だから、わたしがマリアの中に入れたんだと、わたしは考えていた。なんで死んだら、わたしがこちらに来てしまったのかまでは、わからないけど。もしかしたら、わたしとマリアが同時に死に直面したからかもしれない。だがどうしてわたしがこちらに来たのかは、この際どうでもいい話だ。


 それも付け加えて伝えると、エマは静かに頷いた。


「そう。異であるけれど同一の人間だから、『鏡の向こうの人』の魂は、こちらの世界の自分に宿るのさ。この世界だけでなく、恐らく君がいた世界の他にも世界はたくさんあるんだが、まあそれはどうでもいい。


 つまり、魂は同じ人間の体にしか宿れないのさ。わたしみたいな者は稀であるしね。第一、仮に他のナニカに宿るとしたって、その体をどうやって用意するんだい? 墓場でも掘り起こすのかね? それも一興だが、墓荒らしはこの国じゃあそれなりに罪になる。プリンセスにでも聞いてみると良い。『わたしの為の体がほしいんだけど、良い体を探すのに墓を暴いてもいい?』ってね。


 きっと彼女も目を剥くだろうさ、見物じゃないか。くっくっく」


 最初のただ婉然とした綺麗な貴婦人の雰囲気はすでになく、くつくつと喉を鳴らすような笑い方をしながら、とても冷たい、砕氷のような言葉をわたしにぶつけてきた。マリアはため息を吐いていた。エマは、やっぱりわたしが、『鏡の向こうの人』だから意地悪をするんだろうか。それなら、エマだって何者なんだろう。流れの魔法使いのくせに。ふつふつと怒りが湧いてきて、わたしはエマを睨みつけた。


「じゃあ、あなたはなんなの?」


「さあ、なんでしょう? わたしの正体と、君の相談は関連がないよ。聞いても時間の無駄さ。

 ……焦れったいから、結論を言うがね、潔くどちらかが身を引く以外に、体を得る方法はない」


 半ば面倒くさそうにして、最後は決然と、エマはそう言った。


「……」


「仲良く二人で体を分け合うのもいいだろうさ。だが魂が二つある、そんな人間になにが起きるかは、わたしにもわからない。それだけだ」


 まるで忠告するような物言いだった。それっきり、エマは口を閉ざして、ふらりと庭園の奥へと消えてしまった。わたしはそれを追いかける気にもなれず、じっと立ち尽くしたままだった。


 仲良く分け合う。でも、マリアだっていつまでも人に体を勝手に使われるのは嫌だろう。どうしたらいいのか、わからなかった。

 でも、わたしが身を引くのも、できなかった。生きていろんなことをしたい。普通に仕事をして、美味しいご飯を食べて、恋をして、結婚だってしたい。なんだか無性に、サイラスさまの顔を見たいと、思った。


(あの陰険魔法使いの言うことなんて、全部信じ込まなくていいわよ。ひとまず有事のときだけ、あたしが体を使えるようになれば、それでいいや。どうしたらいいかは、わかんないけど。なんにしたって、あたしはフローレンスを守らなきゃいけないからさ。墓荒らしは、やっぱり見つかったらやばいし、とりあえずこのままでいましょ)


 のんびりと、それでもたぶんわたしに対し、慰めを込めて、マリアは言った。それでいいんだろうか。最後のエマの言葉が、とげのように食い込んで頭から離れない。


――魂が二つある、そんな人間になにが起きるかは、わたしにもわからない。


 その言葉は、悪い予言のようだった。なにが起きるというのかが、せめてわかれば、別の糸口を探ることもできるのに。本当に、わたしたちは別れることができないんだろうか。


(魔法使い自体が珍しいやつだからね。あいつ以外に、居れば相談もできるんだけどさ。滅多に見かけないんだよ。北方のクラウストルムだったら、まだ望みはあるかもしれないけど、あそこは遠すぎるし。ティレル一族にもいたはずだけど、今の時期はセンペル皇国に向かっちまっていないんだよなあ。ちくしょう)


 マリアの言葉に、わたしは軽い絶望を感じた。どこにいるかどうかわからない、魔法使いを探す余地はない。北方のクラウストルムも、南東のセンペル皇国も、マリアの記憶上、かなり遠い。クラウストルムに至っては、船を使って行かなければいけないような国のようだ。そんな長旅はさすがにできない。


 今は、マリアの言うとおり、二人で体を分け合うしかないんだろう。わたしはため息を吐いて、部屋に戻ることにした。

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