第五章 エマニュエルの契約

貴婦人な魔法使い

 明け方、四刻の鐘が鳴る頃、目を覚ましたわたしは、マリアとフローレンスの過去を追想する夢を、ぼんやりと思い返していた。小さいマリアに、フローレンス。二人とも可愛かった。エマも出てきたけど、あの人はなんかずいぶん変わり映えしなかったな。


(やめてよ、恥ずかしいから!)


 心の中で、女の子が騒ぐ。ああ、そうだ。昨日、マリアが目が覚めたんだ。寝ぼけまなこをこすりながら、わたしはあくびをした。なんだか頭が重かった。マリアがお酒なんて飲んだからかもしれない。

 それにしても、なんだか不思議な感じだった。自分の中に、もう一人、別の誰かがいるというのが。


 今日は秋ノ月、五十三日、火ノ日。十二日間のお休みは、あっという間に過ぎていく。お休みは残り四日だ。この四日のうちに、動けることをしないといけないだろう。それに、エマに相談すると言っても、なにをどうしてもらったらいいんだろう。そこがネックだった。


 一番いいのは、マリアに体を返すことだが、わたしは生きたい。生きるためにどうしたらいいんだろう。いつまでも一緒という訳にもいかない。


 分離、たとえば、わたしを別の体に移したりはできないんだろうか。魂があるなら、それができるんじゃないだろうか。なにかの漫画だったか本だったかで、二つの魂を持った子が、片方は人形に宿ったという設定があった。そういう感じで、できれば生身の人間がいいけど、わたしとマリアを分けられないだろうか。


(なんか、あんたの世界ってとんでもない発想があるのね)


 しかめっ面のような声でマリアは言った。あくまで空想の世界の話だよ、とわたしは答えた。だが、この案はとても妙案に思える。そうだ、わたしの魂をどこかに移してもらえばいい。そうすれば、マリアは体が戻るし、わたしだって生きられる。体の用意については、それこそエマに相談しよう。そんなことを考えていたら、すぐに時間は過ぎていった。


 身支度を整えていると、六刻の鐘が鳴った。女中たちが朝ごはんを運んできてくれたのを食べ終え、わたしはエマを探すことにした。そういえば、エマはいつもどこにいるんだろう。ここ最近は全く見かけなかった。お見舞いにも来てくれなかった。


(あいつは神出鬼没よ。部屋を持ってるけど、いつ行ったって部屋にいないし。片っ端から探すしかないわね)


 マリアの言葉に、わたしはげんなりした。このお城は広い。あてどなく探すのは気が滅入る。だが、運良く通りがかった女中にエマを見たか聞くと、中庭で散歩をしているのを見かけたと教えてもらった。幸先がいい。走っていきたかったが、お城の中で走るのはいけない、とマリアの記憶にあるので、なるべく駆け足で中庭に向かった。


(べっつに走ったっていいじゃんねえ? なあにが、走ると品が無いよ。すまし顔してりゃあ品がいいのかっての)


 マリアの悪態を流しながら、窓を見る。今日は晴天だ。たしかに散歩したくなる気持ちがわかる。


 中庭は、手入れの行き届いた庭園だった。金ノ月は薄紅ノ月に次ぐ、花が咲きほころぶ、美しい季節のようだ。白砂が敷き詰められた中庭は花が咲き乱れ、良い香りがしていた。病院に居ても風が運んできた、金木犀の甘い香りがこの庭にも漂っている。この世界にもあるんだな、というのが感想だった。


 中庭を散歩しているエマは、遠目からでもすぐ見つかった。あの赤みがかった金髪は、このお城では誰もいない。だが、いつもと様子が違う。人違いかと我が目を疑った。深い赤の色をしたパラソルをくるくる回しながら、わたしの足音に気づくと振り返る。エマは、わたしを目に留めると、不思議そうな顔をした。


 エマよりも、わたしのほうが不思議でびっくりしている。なぜなら、エマがドレスを着ているのだ。髪も結い上げ、前にフローレンスが着ていたドレスよりも豪奢な、デコルテの開いた襟の裾にはレースと宝石が縫い取られ、腰からヒップにかけてふっくらと弧を描き、ドレープが綺麗な足元まで隠れる赤いドレスを着ている。デコルテが開いているから、ふくよかな胸元も見えた。いつも見る燕尾服のときは、布かなにかを巻いていたんだろうか。でも、ドレスを着たからだけではなく、どこか男性的だった部分が全て欠落して、本当の女性のようだった。


(また女装してやがる)


 マリアは忌々しげに呻いた。あれが女装? この世界は女装するときも、あんなに簡単に性別を変えるような方法があるんだろうか。エマは、わたしをしばらく見つめてから、思い出したように貴婦人然とした姿でパラソルをくるくる回し、ころころと声を立てて笑った。


「ああ、お嬢さんがこの姿を見るのは初めてだったね」


 声も高くなっている。喋り方はいつものとおりだけど、声自体は無理に高くしているのではなくて、女性的な響きだ。柔らかく、少し掠れた優しい声。ますます驚きだった。


「わたしは男でも女でも、どちらにもなれるんだよ。だからその時の気分で変えるのさ。こんな良い天気に、美しい庭を散歩するなら、無骨な男の服より美しいドレスのほうが似合うだろう?」


 にこにこ微笑みながら、エマはパラソルを閉じた。どちらにもなれるとは、驚きだった。やっぱりそういう魔法があるんだろうか。

 それにあんまりエマが綺麗で、頼み事なんか吹っ飛んでしまうくらい、惚けて見つめ続けてしまう自分がいた。


(こんなしょうもないのに見とれる暇があんなら、早く要件を済ましちまいなさい)


 マリアが毒づく言葉に、慌てて正気に返った。そうだ、大事な用があるんだ。


「エマ、相談があるの」


 エマはやっぱり女性らしい仕草で、軽く小首を傾げた。


「なんだい? マリアの目が覚めたことについてかな」


「わかるの!?」


 マリアが目を覚ましたことに、わたしの中にいることに気付いている。やっぱりエマは不思議な人だ。エマは、以前、最初に目覚めたわたしを透かし見たときのように、目を細める。


「わかるとも。よく見ると、二人の魂がだぶって見える。だからさっきは驚いた。マリアが、なかなか目を覚ます様子がなかったからね」


「すごい!」


 思わず感嘆の声を上げた。エマは特別なことでもないように首を振った。しかし、ふっと視線が合うと、エマは無表情にわたしを見ていた。なんだか背筋が冷たい感触を覚え、わたしは固まってしまった。


「それほど大した芸当ではないがね。――ああ、一つだけ。お嬢さん。先に言っておきたいことがある」


 その言葉に、どことなく嫌な予感がしたが、理由が全くわからず、わたしは固まったままだった。

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