ティレル一族の娘

 部屋に入ると、フローレンスは椅子に腰掛けた。マリアという少女は扉を閉めると、さすがに所在なさげにそのまま立ち尽くしていた。それでも、やっぱり礼儀知らずな子だと思った。

 そして、フローレンスは先ほどの疑問をぶつけることにした。


「あなた、わたしより年下じゃない。本当にわたしを守れるの?」


 マリアは、きょとんとした表情をしたと思うと、すぐに馬鹿にするような笑みを浮かべた。


「あたしはこの国でいうと、金ノ月生まれだから、今年で八歳になるよ。

 それより、王さまと王妃さまが言ってたでしょ。あたしは、あんたの友だちとして、来てるの。正規の軍には、あたしは年齢上入れないし。もう一度言うけど、おもて向きには、ただの友だち、遊び相手。王女さまなんだから、馬鹿な質問しないで、ちゃんとわかってくれない?」


 マリアは鼻で笑うように言い切った。たしかに、内密だと母に言われたが、その物言いにかちんときたフローレンスは立ち上がる。


「なによ! あんたこそ、わたしがこの国の王女様だってことわかってるわけ!?」


「じゃあ王女さま、あたしは王さまにこう言うけどいい? 王女さまは、あたしのことはお気に召しませんでした。って。あたしは貰ったお金を、そのまま返すだけだからいいけどさ。また、自称友だちが毒入れても知らないよ?」


 淡々と放たれたその言葉を聞いた瞬間、あの毒を飲んだときの、焼けつくような感覚がフローレンスの喉に思い出された。椅子から転げ落ちて、途端に息が苦しくなって、ぜいぜいと肩で息をしながら、涙がぼろぼろと零れてくる。


 あんな思いを、これから先もまたするのかな。あの子は、ほんとの友だちだと思ってたのにな。そんな気持ちがいっぱいになって、余計に上手く息ができない。

 フローレンスの異変に気付くと、すぐにマリアは側に寄り、背をさすってくれた。


「ゆっくり息をして。ごめんね、今のはあたしがいけなかったね」


 優しく背をさすってくれて、その手が思ったよりもずっと温かくて、少し平静さを保てた。平静さを取り戻せば、自然と息が整い、体勢を立て直すと、零れた涙をハンカチで拭いた。フローレンスが落ち着きを取り戻すのを見届けると、マリアはにっと笑ってそのまま敷かれた毛氈の上に座り込んだ。

 その不敵な様子がおかしくて、不思議だった。今まで会ってきた、誰とも違う。きっとこの子は、何者にも気兼ねしないんだろうと、フローレンスは感じた。


「あなた、わたしやお父さまたちに、全然物怖じしないのね」


「だって、あたしと王さまは契約を交わした同士。対等よ。ティレル一族は安売りしないし、人に媚びないわ。表でも裏でも、ね」


 その一族の名を聞いて、フローレンスははっとした。ティレル一族。別名、血潮に汚れた大商隊。


 フローレンスも噂には聞いていた。ティレル一族は、センペル皇国で発祥したと言われている。しかし今は多種多様な国民が入り混じった、大商隊そのものを示していた。

 一族の始まりの男は、センペル皇国の奴隷でいたところを、軍人として武勲を積んで、ついには自由を得た男だという。その男は商才にも長け、妻と子供たちを引き連れ各地を商いをして回り、彼の人柄か旅路に人から人を呼び、いつしか大商隊となった。


 ティレル一族は、表向きには居を構えず、彼らは常に様々な品物を扱い、行く先々で物を売る。そして、商隊が一番旅路で恐れる盗賊に、恐れをなさない。なぜなら、彼ら自身が一流の戦士だからだ。男も女も、老人も子供も関係なく、ひとしく戦士として力をつける。もちろん武の才がないものは、他のことで一族の信頼を勝ち得なければ、生きていけない、厳しい一族だと聞き及んでいる。


 だからこそ、一人の傭兵も雇わないし、逆に入りたいと思う者がいれば、技量さえあれば受け入れるのだと聞いた。自由を愛し、敵に恐れをなさず、己の天分を一族のために発揮することを条件に。ティレル一族の噂を聞いたとき、ラーロ王国と、否、父の方針と似ているところがあるなと思ったのだ。


 そして、その戦士としての一面は、表社会でも裏社会でも多額の報酬とともに売り払われている。大人は傭兵として雇えば充分強力であるし、子供はその小ささを活かして暗殺などのたばかりごとに持ってこいだという噂もある。彼らの一族のうち一人を雇うだけでも、かなりの金を取られる。だが、明確な契約と必要な金さえ積めば、心強い仲間になるだろう。そう聞いていた。逆を正せば、彼らは血なまぐさいことでも躊躇なく金を稼ぐ。だからこそ、ティレル一族は、裏社会では汚れた一族と蔑称されるのだ。

 ティレル一族は、決して略奪はしない。盗賊でもない。表向きであればただの陽気な商人たちだ。だが、人々は手を血に染めて金を得るその様を、厭い、恐れを抱くのだ。


 その一族の娘が、目の前にいる。マリアの目は試すような目付きでフローレンスを見ていた。


「あたしのこと、怖い?」


 マリアの暗い青の目は、夕闇の空の色を映すイーレ河の色だった。フローレンスはその目を見つめ返した。

 自分のお気に召すように言葉を放つ貴族の子供と、しっかり勘定の上で成り立つ契約者。どちらが一番、信用できるだろうか? 先日の件で、答えはもう決まっていた。


「いいえ。お金で割り切った関係のほうが、ずっと安心できるわね」


 冷たく、フローレンスは言い放った。


「そ、なら良かった」


 あっさりとマリアがそう言うと、ドアをノックする音が響いた。フローレンスが答えると、若い女中がお茶を運んできた。王妃さまから、お茶を運ぶよう申し付けられたのだと女中は言いながら、盆を両手に持ち直しながら中へ入ってくる。フローレンスは嬉しそうに女中に寄った。二人分の茶器と、焼きたての菓子がいい匂いをさせている。


 開け放たれたままのドアの向こうに、怪しい光があった。剣を構えた男が二人いるのを、フローレンスは気づかないまま、無邪気にお菓子に手を伸ばそうとした。


「お姉さん、ちょっと退いて」


 マリアが飛び跳ねるように立ち上がり様、女中を横に突き飛ばす。女中が倒れた勢いで、盆から落ちた茶器が割れる音がした。それを見ることもなく、マリアは男を視界にとらえると俊敏に裾から小さなナイフを引き抜く。


「姫、お覚悟!」


 明らかな刺客だった。フローレンスは、一瞬で血の気が引き、腰が抜けてしまった。だが、マリアは違った。


「んなこと口にしてる暇あるなら、手ェ動かせっての」


 口の中でそう呟きながら、マリアは男の喉笛目掛けてナイフを投げつけた。ナイフが男の喉に深々と刺さり、絶命してこちらへ倒れ込むのを、一気に猿の如く跳躍し、間合いを詰め、思いきり蹴飛ばした。その後ろに控えていた男が、蹴り飛ばされた死体とぶつかり、よろめいた隙にマリアは飛びかかると、もう一本のナイフを引き抜き男の喉笛を切り裂いた。


 フローレンスの部屋の入口は、一瞬にして血に染まった。女中が金切り声で叫ぶの対し、マリアはうるさそうに、しかめっ面で辺りを注意深く見ていた。見当通り、刺客が二人だけだとわかり、足に引っかかった死体を蹴り飛ばした。よく見れば、フローレンスの部屋を守る兵士たちの死体も転がっている。妙な匂いが鼻についた。兵士の死体には、扼殺された痕が見える。ともすれば、眠り薬の類か。悲鳴を上げる暇もなかったのだろう。フローレンスに窓を開けるよう、マリアは声をかけた。


(きっと王女の毒殺に失敗して焦って、刺客をよこしてきたんだろうな。まあ、あたしがいたら、意味がないけど)


 あまりにも性急な刺客の登場に、マリアはそう検討づけた。なにか王兄派の印みたいな物がないかと、刺客の死体の服を剥ぎ始めた。ついでに財布の中を漁り、このお金も貰ってやろうとネコババも決めていた。

 守られた当のフローレンスは、這うように窓へ近づき、言われたとおり窓を開け終えると、入り口の惨状を見つめていた。女中は目の前の状況に耐えきれなくなったのか、いつのまにか失神していた。


「……。わ、あ……すごい、あっという間に。すごい! あなたの一族は、みんなこんな感じなの!?」


 一拍遅れてやってきた現実を受け入れると、フローレンスは感嘆の声を上げた。それに対し、マリアは手を休めないまま屈託なく笑った。


「あたしは特別。あ、フルネームで名乗ってなかったね。あたしは、マリア・ティレル。つまり、ティレル一族の直系。だから特にしごかれてんのよ。ね、分かったでしょ? あたしのことは近くに置いたほうがいいよ、王女さま」


 先ほどと同じように不敵に、にっとマリアは笑った。腰が抜けたことなどすっかり忘れ、快哉をあげ、興奮した面持ちでフローレンスはマリアに近寄った。


 これほど鮮やかに、大人を相手取ることができる子が、いるだなんて思ってもいなかった。貴族の子供で騎士を目指し、訓練を積む男の子たちがいるのも知っているが、ここまでの実力を持つ子など、到底いないだろう。あそこまで、徹底的な戦い方も、恐らく知ってはいまい。惨状に怯えるよりも、その鮮やかな手腕に、フローレンスはただ憧れを抱いた。そして先ほどの、屈託のない笑みに、マリアがいろいろな意味で、単純でまっすぐな性格であることも見抜いた。


「わたしのこと、名前で呼んでくれていいわ! ……だから、だか、ら」


 フローレンスは耐えきれず、笑みを崩して涙をこぼした。


「ぜったい、裏切らないって、約束、してくれる……?」


 嗚咽交じりのその言葉に、マリアは少し驚いたような表情をした。そして、もとの不敵な笑みを浮かべる。


「もちろん。契約が続くそのときまで、あたしはあなたを裏切らない。ぜったいにね」


 作業の手を止め、泣き崩れるフローレンスの背を優しくさすってやりながら、マリアは今回の事の顛末を雇い主に話すために順序を立てることと、この汚れた部屋をどうにかしなくてはいけないな、と考えながら、五日前のことを思い返していた。

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