第四章 小さなフローレンス王女とマリア・ティレル

王が呼び寄せた子

 アエテルヌム歴千二百四年、水ノ年。薄紅ノ月、七日、光ノ日。その日は、ラーロ王国のフローレンス王女、八歳の誕生祝いから、一週間が経過した日だった。


 国主である父に、大事な用があるから謁見の間まで来いと呼ばれ、部屋着でいたフローレンスは否応なしに大嫌いなコルセットにドレスとを女中に着せられ、むっつりとした顔で謁見の間へと向かった。脇を固めるように近衛兵が随行するのが気に食わなかった。近衛兵は、父の信頼している家系の男たちだった。小さいときは、高い高いをしてもらった覚えがある。


(今まで、こんなことはなかったのに)


 城内であればフローレンスは自由に、好きなように歩き回れた。誰かを連れて歩くことなんて、一度もなかった。全部、あの日のせいだ。


(まだ、胸もむかむかするし、体もしびれてるし、あまり動きたくないのに。なんでわざわざ呼び出すのよ。コルセットなんて余計にしんどいじゃない。お父さまのバカ。自分で来なさいよ)


 フローレンスは歩きながら、心の中で毒づいた。なにより一番のやるせないことが、胸の中で暗澹と渦巻いていた。


 原因は、その誕生祝いの日のことだった。貴族たちも呼んで盛大に行われた最中、フローレンスは注がれたお茶を飲んだあと、血を吐いて倒れた。一番の友だちだと思っていた侯爵の娘に毒を盛られたのだ。


 彼女が毒薬を包んだ油紙をハンカチの中に隠し持っていたことも、彼女の父親が王兄、つまりフローレンスの伯父の一派として密かに動いていたことも、侯爵自身がすぐに自供し、あくまで王兄は関係なく、自分が王兄を推すため、娘に毒を持たせたのだという話をしたと、看病に来た父から直接聞かされた。結果として、その出来事はフローレンスに暗い影を落とした。


 自供すれば、赦されると侯爵は思ったのだろうか。過去の伯父の一派も、たしかに自供して、死刑は免れ流刑にされた例もあった。だが父は、その侯爵一家を赦さなかった。即座に、王女殺害未遂の罪として爵位剥奪の上、火刑に処した。常であれば、父は優しい人だった。必要に応じて刑を与えるが、今まで知る限り極刑――死刑に処すことはまず、なかった。


 裁判も行われずに成されたその速やかさが、父が激怒していることと、きっと見せしめも兼ねていることをフローレンスは感じていた。自分が父に溺愛されているのは知っていた。母と結婚してから、なかなか子供に恵まれず、お前は待望の宝物だと、父はよく言っているからだ。

 あの誕生日祝いの、倒れる間際の父の怒号と、激務の中、家臣たちに見つからぬよう、昼間にひっそりと看病に来て、フローレンスの手を握りながら見つめる優しい表情。あれが、わたしが目指さねばならない道なのか、と、フローレンスは毒に苦しみながら考え続けた。


 適材適所。必要な場所に、必要な才有る人間を。無能な人間は下げるまで。祖父も父も、その方針を貫いている。

 それなら自分は、どうなるべきだろうかと、フローレンスは考える。父や臣民の信頼を勝ち得て、自分が女王としてこの国に君臨するのか。それとも、父が選んだ有能な男を婿として迎え入れるのか。はたまた、他国へ政治の駒として嫁ぐのか。どれも、自分にとっては明るい未来のように思えなかった。だが、この三択程度しか、フローレンスには今のところ与えられていない。


 そんな考えごとをしながら、謁見の間の大扉までたどり着いた。大扉を守る兵士達が、扉を開けた。謁見の間へ入る間際に辞儀をするとき、盗み見るように父である王を見た。母の王妃もいる。その目の前には、自分より少し背が高い子供が、突っ立っていた。


 遠目で容貌は詳しくわからないが、明るい茶髪を伸ばしっぱなしにし、遥か南東に位置するセンペル皇国の裾の長い貫頭衣にズボンを履いているから、異国人だろうか。顔も父王をまっすぐ見上げているから、男か女かもわからない。礼儀も知らない子供が、なんでこんなところにいるんだろう? フローレンスは眉根を寄せた。


 王の御前は、まずは辞儀をしなければならない。それは王女も例外ではない。ましてや、それこそ王族以外があんなに真っすぐ見ていいわけがなかった。フローレンスの疑問をよそに、父は微笑むと頭を垂れたままの娘へ、面を上げるように言い、近くへ呼び寄せた。


「フローレンス、そのように格式張らなくてよい。それより、具合はどうだね」


「まだ完治はしておりません。お父さま。体のしびれが取れず」


 父の言葉をよそに、淡々と言い切ったフローレンスは、父の目が悲し気に揺れたのには気づかなかった。気を取り直すように、父が咳くと、突っ立っている子供に目配せする。


「それは、無理をさせたな。先日の件、まことに残念であった。それでな、今度は安心できるよう、余が選りすぐった子供を友だちとして呼び寄せたのだ。さあ、挨拶せい」


 優しく、父は突っ立っている子供に声をかけた。子供は無造作に振り返った。女の子だった。日焼けしたような小麦色の肌に、明るい茶髪。暗い青い目で尖った顎の少女は、ラーロ王国の人間ではないことは、フローレンスにもわかった。やはり、センペル皇国のほうの人間だろうか。年は自分に近いと思う。特別可愛らしいわけでも美しいわけでも、なんでもない。その突っ立っている姿は、それほど高位な出自には思えなかった。


「はじめまして。あたしはマリア。七歳。よろしく」


 その言葉遣いに、思わず口を開けてしまった。顎をちょっと引く程度の会釈と、あっけらかんとしたその言葉遣い。微笑みすらせず、無表情。


 まず思ったのが、王女の自分に対して、なんて物言いだろう! 気に食わないという表情を、わざと前面に出して見せた。きっと臆するに違いないと思ったからだ。だが、マリアと名乗る少女は、フローレンスのその表情に眉一つ動かさなかった。普通の貴族の子供だったら、それだけで態度を改めるのに。フローレンスのその表情を見た母が、たしなめるようにこれ、と言った。


「フローレンス。この子はね、内密にだけれど、あなたの身辺警護も担ってくれるのよ」


「この子がァ!?」


 思わず地で答えてしまった。しまった、と慌ててフローレンスは手で口を押える。両親は苦笑するだけだった。マリアは相変わらず無表情だった。やっぱり気に入らないとフローレンスは感じた。

 だいたい、外の国の人間なんて、ましてや皇国の人間と思われる人が、本当に助けてくれるんだろうか。父の方針は、異国人にまでそれが通用するのだろうか。それがフローレンスの一番の疑問だった。


「まあ、まずはとにかく、二人で遊んでおいで。大人がおると、話したいことも話せぬだろう?」


 そう言われて、仕方なく、二人はフローレンスの部屋まで戻ることになった。その間、二人は沈黙を破ることがなかった。また先ほどと同じ近衛兵が、フローレンスの部屋まで随行した。フローレンスは、硬くなった心で自分の部屋へ、マリアという少女を連れて入った。

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