おかえり


 目が覚めたらベッドだった。なぜか、デジャヴュを感じる。右手をかざすと、白い肌だった。同じようなことを、ずいぶん前にした気がする。でも、なにも思い出せない。薄青いレースのカーテンも、鮮やかな毛布も、柔らかい布団も知っているように思えるのに、思い出せなかった。

 そして、自分のことも。わたしは、誰だろう。


「あ、まりあ、起きた!?」


 小麦色の肌の女の子が、元気よく飛び込んできた。誰だろう。見たことがあるような気がするけれど、思い出せなかった。わたしが首を傾げていると、女の子はちょっと眉根を寄せた。


「あちゃー、やっぱりさすがに記憶はなさそうね。まあ、しょうがないか。あとでエマにやらせるとしましょ。ねー、エマー?」


 目を白黒させていると、小麦色の肌の女の子はからからと笑った。なんだか、とても親近感がある。でも、誰だか思い出せなかった。エマ、と呼ばれた人もやってきた。赤みがかった金髪と青い目が目を引く、とっても綺麗な人だった。でも、ずいぶんと疲れ切った様子のようだ。近くにあった椅子に腰かけ、綺麗な銀の飾りがついた杖にもたれている。


「……最悪な気分だ。わたしはあれをやるのが大嫌いなのに。アエテルヌムも君もくそくらえだ」


 綺麗な顔をやつれさせて、エマさんという人は小麦色の肌の女の子に言った。よくよく見ると、この人も、見たことがあるような気がする。


「あら。あたしはあんたの秘密をちゃあんと、隠してやってるのに、なんか文句あるわけ? え? 双方合意の上、書面にて署名して契約したわよねえ?」


 脅すような目で、小麦色の肌の女の子は、エマの胸倉をつかんだ。ちょっと怖い人なのかもしれない。でも、やっぱり親近感がとてもある。


「あなたは、誰?」


 わたしが聞くと、小麦色の肌の女の子はエマさんの胸倉から手を放して、にいっと笑う。


「あたし? あたしはマリア。うーん、あんたと血の繋がらない家族みたいなもんで、友だちかな」


「家族……、友だち。わたし、わたしは、誰ですか?」


 家族、友だち。意味はわかるけど、そうしたら、わたしは誰なんだろう。なにも覚えていない。ただ、なんだか目が覚めるまで、ずっと寂しかったことは覚えている。それだけだった。


「あんたも、まりあ。あたしと同じ名前なの。でも、それだとお互い呼びにくいわね。でも、あんたも、まりあだしなぁ」


 うーん、とマリアさんは悩んでしまった。確かに、二人ともマリアは呼びにくい。悩ませてしまって、申し訳ない気持ちでわたしは口を開いた。


「あ、あの、マリアさん。わたし、別の名前でいいですよ」


「えっ、いいの? あんたもまりあなのに。っていうか敬語しなくていいわよ。あたしとあんた、血の繋がってない双子みたいなもんだし。そんな気兼ねしなくていいわよ」


「う、うん。呼びにくいのは、大変でしょ」


 そう? とマリアは言う。わたしは大様に頷いた。そうすると、マリアはしばらく悩む様子を見せて、顔を上げた。


「じゃあ、あんたはマリカにしましょ! あたしの故郷では、マリアって名前は本当はこう言うのよ。言葉は通じるのに読み方が違うなんて変よねえ。つっても、あたしの母親は響きが気に入らないって、マリアって名前にしたんだとさ。あたしは良いと思うんだけど、どう? 気に入らない?」


「ううん。良い名前」


 思わず嬉しくて、わたしは笑った。マリアという名前も素敵だけど、この子に似た名前なのも、悪い気はしなかった。マリアは少しびっくりした顔をしていた。


「……あんたって、大人しいのねえ。ずうっとあたしと頭ン中で話してたから、あんたの心の声は全部聞こえてたから気づかなかったけどさ、こうやって話すとすんごい静か。びっくり」


「君が馬鹿みたいにうるさいだけだろう」


「うっさい、黙ってな」


 座っているエマさんを睨みつけた上に蹴っ飛ばして、マリアは言った。やっぱりちょっと乱暴な人なのかもしれない。でも、マリアは壊れ物でも触るみたいに、優しくわたしの手を取った。わたしの顔を覗き込むように見て、さっきみたいに、にいっと笑う。


「マリカ。あんたに、一番に言わなきゃいけないことがあるのよ。

 ……あんたは、いらない人間じゃないよ。あんたは、大切なあたしの家族で、あたしの友だち」


――わたしは、いらない人間なのかな。


 なぜか、なにも思い出せないのに急にこの言葉が浮かんできた。マリアは、じっとわたしの目をまっすぐ見つめてきた。


「あたしとあんたの友だちにフローレンスって子がいるんだけど、あんたはその子と喧嘩してたの。でも、あたしが事情も説明したわ。あ、あとあんたの弟もいるのよ。弟には、事情があってすぐには会えないけど、今度会いに行こう。

 あんたの記憶は、あとでちゃあんと蘇らせるし、なんにも心配しなくていい。あんたは、ここに居ていいんだ。いらない人間じゃあ、ない。もちろん、あんたがここから出て行きたいって言う時が来たら、あたしは止めない。でも、あたしはあんたに、ここに居てほしいんだ。これだけは、覚えておいて」


 マリアのその言葉に、なんだかわたしは、悲しくもないのに、涙が出てきた。涙は一度出ると、止まらなくて、わたしは声上げて泣き続けた。マリアはわたしを抱き寄せて、背をさすってくれた。


 わたしは、マリカ。ここに、居ていいんだ。その言葉が、すごく、嬉しかった。

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