契約

 あたしはすぐ目が覚めた。今までまりあが眠っているとき以外、自分が体を使えなかったことが信じられないくらい快調だ。


 飛び起きると、エマが逃げ出そうと魔法を使おうとするので、後ろから襟をふんづかまえて蹴っ飛ばしてやった。さすがの魔法使いも物理には勝てないらしい。床から引きはがして、こっちを向かせ胸を踏んづけてやると、気まずそうな顔をしている。念のため杖も奪ってやった。この杖、良い細工なのよね、売ったら金になりそう。

 しかし本当に珍しい、この陰険魔法使い、いや魔法使いもどきが困った顔をするなんて。


 そして、それはいいことだ。あたしは、ティレル一族の女。暗殺と取引にかけては一流だ。弱みはつけ込むに限る。


「あんたの本当の名前、テラーラ、だって?」


 あたしは意地悪く笑い、エマの胸を強く踏みしめながら詰め寄る。多少乱暴したって、大丈夫だろう。こいつは、人間じゃないんだから。


「聞き間違いじゃないのかい」


 わざとらしく笑う。狸寝入りして全部聞いてたわよ! エマの顔が引きつった。本当に最低な気分だわ。そしてあたしも、本当になんてバカだったんだろう!

 あたしは神話とか宗教とか、あんまり興味がなかったし、深く考えもしなかった。やっぱり目の前のこと以外も、いろいろ考えなきゃダメね。教訓になったわ。


「信じたあたしもバカだけど、流れの魔法使いだって? ずいぶんとあたしを笑わせてくれたわね。どうしてこっちに来てるかは知らないけどさ。いや、言い伝え通りといえばそうかしらね」


「君はセンペル皇国の人間だろう。放っておいてくれないか」


 今度こそ思いっきり胸を踏みつけてやった。骨がきしむ音がした。普通の人間ならこれだと喋れないけど、余裕そうだ。と、いうことはまだ甚振り甲斐があるわね。エマの顔が余計に引きつった。


「そうよ、でもお生憎様。アエテルヌムが皇帝の建国神話に関わりがあるのは、あたしも知ってる。ティレル一族は馬鹿はいらない。学才のあるやつも仲間に入れるから、ある程度の学はあるよ。

 あんた、まりあが相談したときに嘘をついたわね」


 あたしは、あの庭園でまりあがエマに相談を持ち掛けた日を思い出し、そしてセンペル皇国での建国神話を思い出す。そしてアエテルヌム教の神話も。最後に、この前の緊急会議のフローレンスの言葉も。

 この二つの神話に出てくる言葉は、とても似ている。不思議なくらいに。でも、たぶん皇国のほうが間違っているんだろう。そう思うと、腹が立ってきてエマを睨むと、エマは今度はなんでもなさそうな顔をする。


「嘘なんかついてないさ」


 余計にむかっと来たので、脚に体重をかけたままにした。あたしが寝ている間にも、まりあはちゃあんと、ナイフを常に持つようにしてくれていたらしい。偉いわ、まりあ。裾に隠したナイフを引き出すと、あたしはエマの喉元に突きつけた。


「そうかしら。あんたは、自分ができることを、なんにも言わず隠してたわ。なにが、『魂は同じ人間の体にしか宿れない』よ。『わたしの正体と、君の相談は関連がない』よ。嘘と同じじゃないか。ずるいじゃないの、え?」


 エマの口調を真似しながら脅してみたが、さすがに刃物には、びびらないか。まあそれはいい。このいけ好かない魔法使いもどきが、あっさり降参するなんて、それじゃあ、つまらないじゃない? あたしはエマと契約してたけど、別にエマのことは好きでも嫌いでもない。ただこういう気障で鼻持ちならない奴の鼻っ柱を折るのは、あたしの性格上、とても大好きだ。だから、あたしはエマが口を開くまで待った。


「……なにが望みなんだい」


「あたしから引っこ抜いた、まりあの魂は、まだ消してないわね?」


「ああ」


「魂が他の体に適合しないなら、簡単な話よ。まりあに適合する体を作ればいいだけの話。なんてとっても簡単なのかしら! それとも、もしあんた一人でできないのなら、あんたの古い家族全員呼び出してでもやりな!」


「やる意味がわからない!」


 悲鳴みたいな声だった。あたしは強ぶってるやつをいじめるのが大好きだ。おや、エマの顔が青ざめる。いい顔するじゃん。


 ナイフの切っ先を、エマの喉から胸までなぞるように下ろしていく。大丈夫、あたしはどれくらいの刃や力の入れ方で、ナイフが服や皮膚を切ってしまうのかくらい、わかっている。下手に服を切ったり、皮膚を裂いたりするようなことはしない。もちろん、こいつが言うことを聞かないなら、いろいろしてやるつもりだけど。


「やる意味がわからないですって? あたしが、まりあを必要としてるからよ。まりあは、あたしの友だち。大事な友だちを取り返したいって思う、純粋なあたしの心がわからないわけ? さすが、自称魔法使いねえ。

 それともどうする、ここでいっちょ神話の登場人物の心臓を暴いてみる? あたしは体の解体も上手いし、神も信仰も恐れないわ。恐れるのは母親の粛清だけ。ああ、それとも、そんなにバレたくないってんなら、バレちゃまずい理由があるのかしら? そうだ、国王陛下に言おうか? あんたが」

 

 最後の言葉を耳にした途端、エマは首を横に振った。


「ああ、わかった、わかったとも。言うな頼むから。誰かに聞こえると困る! わたしは、今のこの生活が気に入っているんだよ!

 ああ、ちくしょう。わたしとしたことが、こんな、こんなくだらないへまをするなんて!」


「ちゃあんと、あんたとあたしの大好きな契約を交わしてやるから、きっちり最後まで、手抜かりなく、やんなさいよ。ねえ、テラーラ? あははは!」


 エマは仰ぐように叫んだ。いい気味だ。あたしはエマを踏みしめながら、大笑いする。

 最後にこのいけ好かない魔法使いもどきをぎゃふんと言わせてやったし、我ながらいい首尾だ。でもケツまできちんと、抜け目なくキメるのがティレル一族だ。油断はしちゃあ、いけない。


 待ってな、まりあ。あんたがいらない人間なんて、悪い冗談だわ。

 あたしは、あの会議で堂々とやりきった気骨のある、あんたがとっても気に入ってんだからさ。体が得られないなら、作るまでよ。あたしがとびっきりの体を用意してやるわ!

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