さようなら、マリア
エマは目を細めて杖をふるった。わたしには、マリアの魂は見えない。マリア、マリア? と何度か心の中で声をかけると、眠そうな声が返ってきた。ああ、起きた。良かった。
(なによお、なんかいい夢見てたのにさぁ)
不満げな声で、マリアは言った。その様子がおかしくて、わたしは笑ってしまった。
(あら、なんでこんな夜に、この陰険魔法使いがいるのさ)
「あなたに、体を返したいの」
わたしは、あえて口にして言った。毎回思うが、他人から見ればおかしな光景だろう。でも、わたしは、ちゃんと口にして伝えたい。どうせ、今いるのもエマだけだから、大丈夫だ。
マリアが驚いたような気配がした。でも、彼女は迷うようなことはしない。決断は即断する。
(そっか、わかったよ)
心の中で響くマリアの声は、優しかった。
「ごめんね、今まで、たくさんワガママ言って。付き合ってくれてありがとう、マリア」
(別にぃ、お礼言われることじゃないわよ。あたしも、あんたのこと好きだったし。友だちだって、思ってたよ。ほんとに)
面映ゆそうな声だった。彼女らしくない。ただ、お願いをしていい? とわたしは言う。
(できることなら)
マリアはいつもそうだ。自分ができること、できないこと、やるべきこと、やらざるべきこと、それをきっちり線引きしている。わたしと同じ年数を、暗殺者として生きて、わたしよりずっと大人だ。残酷なほどに。そんな彼女でも、フローレンスだけは大切だと思ってしまった。そこまで人を想えるのが、とても羨ましい。
「わたしがいたこと、忘れないでほしいの。わたしは、いらない人間だって、思いたくないから。あと、宗也のこと、気が向いたときでいいから、見てほしい」
それが、わたしの願い。父も母も、こちらに来てしまった弟も、いずれはわたしを、短い間隔でも忘れるだろう。特に両親は、そうしないと、生きていけないだろう。人は苦しく辛い記憶は、時間で浄化する。それは決して悪いことではない。でも、わたしは少しでも、わたしが生きていたことを、誰かに知っていてほしかった。さっきエマが言ったとおり、わたしは必要な人間だと、そう思いたかった。
(忘れられるわけないでしょ。心の中で、あたしが他の誰かと喋って、勝手に体が動くなんて経験、忘れられないわよ。
弟のこともいいわ、たまにはあたしもアエテルヌムを拝まなきゃね。……あれ? だめだ、また眠く、なって来た……)
笑うように言って、またマリアは沈むように眠ってしまったようだった。本格的に消えかかってるのかもしれない。急がなくちゃ。
「エマ、お願い」
エマが、椅子から立ち上がった。そういえば、さっきの会話でどうしても気になることがあった。それだけは解消しておきたい。
「あ、ねえ、エマ。最後に聞いていい?」
「なんだい」
「あなた、結局何者なの?」
「――魔法使いさ」
「……嘘でしょ」
じと目でエマを見るが、エマは笑うだけだった。
「本当さ。何年も生きて、男にも女にもなれる、わたしは人間じゃあない。だから魔法使いなのだよ」
「要するに、この世界は不思議でいっぱい! ってことね」
この謎は結局解けずじまいだ。残念だ。
「そういうこと。ああそうだ、お嬢さん。土産に一つだけ、わたしのとっておきの秘密を教えようじゃないか」
エマはくすくすと笑いながら、言う。とっておきの秘密。魔法使いだと言うエマに、これ以上なんのとっておきの秘密があるんだろう。
「なあにそれ」
「わたしの本当の名前は、エマニュエルじゃない。本当の名は、テラーラという」
(マジで!?)
「あっ!」
マリアが素っ頓狂な声を上げるのと同時に、エマが叫んだ。わたしは、マリアはまた眠ってしまったと思ったし、エマが初めて大声を出したものだからびっくりした。エマはひどく狼狽えていた。わたしは意味がわからなかったから、首を傾げる。なにを慌てているんだろう。テラーラ。女の人の名前みたいだ。本当は女の人なのだろうか。
「どういう意味なのそれ。女の人の名前じゃないの」
「まさか。とても古い言葉なだけだ。さあ、横になりなさい。さあ早く」
エマは、今まで見たことがないくらいに慌てていた。自分の粗末なベッドを杖で指した。なにを慌てているのかはわからないけど、わたしは素直に頷いて、ベッドに横になる。
「目を瞑ってお休み。さようなら、真理亜」
エマはさっきと同じように杖をふるった。初めてエマは、わたしの名前を呼んだ。嬉しいと、単純に思ってしまった。古い言葉って、どんな意味なんだろう、そんなことを思いながら、きらきらと、砂粒のようななにかが杖の先からふりまかれ、それを目にした瞬間、落ちるように眠った。
そしてわたしは、二度目の短い生涯を、閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます